1.勇者様は寝起きがお悪い

 勇者暦1020年。


 日がさんさんと照る昼過ぎ、国の中心に位置するミスティリオ城にて。


 国王・エルドレッドは玉座に腰かけ貧乏ゆすりをしていた。その眉間には、二十歳にしてすっかりくせがついてしまった縦ジワが深く刻まれている。


 今日は国の命運を左右する大切な行事、勇者の任命式が行われる日。それなのに、肝心の主役がいっこうに姿を見せない。


「まさか、逃げたのか……?」


 つのりゆく焦りと不安に、何度目かわからないため息がこぼれた。


 間もなくして、扉が開き、兵士が一人の青年を連れ現れた。半ば引きずられるようにして玉座の前に立たされた青年は、おっくうそうにエルドレッドを見上げる。ジトッとした目つきは、とても王に向けるものではなかった。


 勇者と呼ぶには、とても貧弱な青年である。手入れの行き届いていないパサついた金髪。目の下のくっきりしたクマ。青い瞳が鈍く光る三白眼に、一直線な上がり眉はお世辞にも人相が良いとは言えない。さらに口角の下がった口元も合わせれば絵に描いたような仏頂面の完成だ。


 隣から「ゴホンッ」とわざとらしい咳払いが聞こえ、エルドレッドは背筋を正した。気を抜くと下がってしまう眉に力を込め、朗々と唱える。


「この大事な日に遅刻するとは情けないな。勇者ザカリアの息子、アイザック・ロレンスよ!」

「……チッ」

「今舌打ちした!?」


 だが、威厳を取りつくろおうとした努力は早々にくじかれる。たじろぐエルドレッドに対し、青年――アイザックはいたって平然としていた。


「眠いんすよ、俺。誰かさんのせいで朝っぱらから叩き起こされまして」

「ああ、それは申し訳な……くないわ! ってかもう昼過ぎてるだろうが!!」


 もはや王の威厳などかなぐり捨て、エルドレッドは怒鳴る。朝十時に来いと書状を出したにも関わらず来なかった。挙げ句の果て、わざわざ兵士を迎えにやったにも関わらずこの態度である。


 顔を真っ赤にして息を荒げるエルドレッドに、隣で控えている、床につきそうなほど長い立派な真っ白のおヒゲを蓄えた王様より王様っぽい大臣がアイザックをねめつけた。


 だが、当の本人は大きく開けた口を隠そうともせずあくびをしている。あまりの奔放ほんぽうな様子に見守る兵士たちはざわめき、あくびがうつった数人が大臣の眼光に射抜かれ首をすくめた。


「まさかお前、そしらぬフリして勇者に選ばれた責務から逃げ出すつもりだったのか!?」

「ははっそんなまさか。ベッドが俺を離してくれなかったんすよ。俺だって別れが辛いのに……!」

「分かる分かる、つい二度寝してしまうよなー……って言ってる場合かっ!!」

「なんかあれっすね。王様って見た目も口調も貫禄皆無なのに、感覚まで庶民的とかマジで王様感ゼロっすね」


 会話する気があるのか、言いたい放題なアイザックのペースにエルドレッドはのまれてしまう。極めつけの容赦のない指摘に、玉座の上で縮こまって体育座りをしだした。


 エルドレッドは落ち着いた茶髪に優しい光を宿した緑の目、平々凡々な顔立ちの持ち主である。よく言えば親しみやすく、悪く言えば地味で王にしては威厳も覇気もない。


「へっ、どうせ僕なんて父上の足元にも及ばないのさ。どいつもこいつも僕を馬鹿にして……」

「王様、そういうのいいから早く終わらせて欲しいっす。帰って寝るという予定もあるし、俺は暇じゃないんすよ」

「暇じゃん! それ思いっきり暇じゃん!! 私だってずっとお前に構ってられるほど暇ではないんだからな!!」

「わー。利害が一致しましたね。では、さっさとお願いします」

「んなっ……!」


 ブツブツと文句を言っていたエルドレッドに、アイザックはすっぱりと言い放つ。エルドレッドはひざに埋めていた頭を勢いよく上げて言い返すも、更なる追撃に言葉を失った。


 もうこいつと話を続けたくない、顔を見るのも嫌になってきた。そんな感情が怒りに勝る。


「言えばいいのだろう、言えば。アイザックよ! 勇者となって魔王を倒せ!!」

「お断りします」

「もうこいつやだーっ!」


 これは問いではない、王命だ。存在しないはずの返答を受けて、エルドレッドは頭を掻きむしった。


「貴様は全国民に死ねと申すのか!!」

「睡眠時間が減るようなことしたくないんすよ、俺」


 隣で半狂乱になっているエルドレッドの代わりにステキおヒゲの大臣が威圧的に叫ぶも、アイザックは平然としている。


 そのあまりの態度に言葉を失う大臣だったが、アイザックが勝手に玉座の間から退出しようとしているのを見て、兵士に止めさせる。アイザックはいかにも嫌そうに振り返った。


「うわー。なんのつもりっすか?」

「それはこっちの台詞だ! 何を勝手に帰ろうとしておる!!」


 兵士にズルズルと引きずられてエルドレッドの前に戻ってきたアイザックの眉根には、一層不機嫌そうにシワが刻まれている。


「ぶっちゃけ他にも候補はいるのでは? なんで俺が勇者にならなきゃいけないんすか」

「はぁ……条件が条件ならなんとかなったかもしれないが、今回はダメだ。アイザック、お前しかいない」


 そうこうしているうちに復活したエルドレッドが、トーンダウンした声でどんよりと話し始めた。

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