第41話 守恒、再び東亜へ

 守恒もりつねの予想は的中した。


 氷月ひづきの仲間が、某国の監視衛星をクラックし、東亜に降り立った咲久さくをとらえた。


しらみ潰しなら一週間はかかった。お手柄だな墨守恒しゅじんこう

「これで、先輩を迎えに行けます―――けど」


 目下、心配事が三つあった。


 モブレイヴの“お化け”に操られる咲久の安否。

 病院にいるはずな、一奈かずな(と、真緒)の安否。

 そして、現在進行形で終わりかける世界の安否。


「僕らはモブじゃない。全部何とかしましょう」


 世界と友達の危機を天秤にかけるなどモブの所業。と、またも守恒の謎多き理論が発動し、一石三鳥の方法が取られることになった。


※※


 ―――六月四日。午前二時。木瀬川病院の屋上。ドクターヘリ用のポートに、克也・墨の自家用ヘリコプターが飛んできた。


「もりつねさまああああぁぁぁぁ!!!!」


 ランの絶叫も、乗ってきたヘリががなりたてる轟音にかき消されていた。


「……高校の後輩とおじいちゃんがヘリで来た」


 モブ化した人間に襲われ、病室に立てこもっていた一奈が呆れたように呟く。傍らには同じく、唖然とした様子の真緒と一馬。ちなみに、病院内のモブは、全員氷月が制圧し、安全は確保されている。


「守恒様、ご無事で何よりです」

「やぁやぁ無法者たち。楽しんでるかな」


 サブが、ランと共に降り立ち、この非常時にも変わらぬ皮肉屋ぶりを見せる。これから東亜に不法入国を決める氷月に代わって、ここで倉本兄妹や真緒の護衛をするためやってきた。


「大丈夫だ。こちらには揉み消しの達人たる政治家先生が後ろについている」

「若月さんにも連絡済みです」


 堂々と言い放つ氷月と守恒に、サブは爆笑した。


「氷月様、これで咲久様のもとに向かうのですか」


 ランの素朴な疑問に、氷月は「いや」と答える。


「一旦は最寄りの飛行場に行って、そこから組織の専用機を出す」

「相変わらずめちゃくちゃだな、アンタんとこの組織とやらは」


 サブが楽しそうに言う。どうやら長い付き合いがあるらしい。


「まぁね。では克也さん、ヘリを少しお借りします」

「うむ。私の方から東亜むこうに滑走路を空けるよう手配したから


 屋上から見下ろす街は恐ろしいほどに静かで、時折、悲鳴とも叫びともつかない轟音が上がる。


 日本、いや、世界の終わりまで、猶予はない。


「ツネ、本当に行くのか」

「先輩を取り戻してくるよ。一馬は、一奈たちを頼む」

「……ああ」


 何かを言いたげだった一馬はそれを飲み込んで、「行って来い」とだけ言った。


「守恒様……」


 ランも同様に、言いたいことを我慢している風で、うつむいていた。が、沈黙は一瞬。すぐにその小顔の大きな目を上に向け、言った。


「また、お昼ご飯をご一緒したいです」


 潤んだ瞳で訴えるには、いささか軽い要望に思えたが、その奥に秘めた想いを、守恒はさとく感じ取って言った。


「うん。涼風や、先輩も一緒にね」


 頭に、ぽん、と手を乗せる。ついやってしまう癖を、意図的に出した。その意味するところを、ランも理解したようだ。


「―――はいっ」


 健気に頷く後輩が下がると、今度は、一つ年上の幼馴染の少女。


「絶対に帰って来なさいよ。咲久も、あんたも」


 一奈が、今にも泣き出しそうな表情で言うものだから、守恒は、「ねぇ、薬利くずり」と、真緒に水を向ける。


「帰ってきたら、一つ頼みがあるんだけど」

「はい。なんなりと」

「―――お前と一奈に、いいかな?」


 瞬間、湯沸かし器のように真緒の顔が紅潮し、爆発する。


「とっとと行きなさい! バカッ!!」


 真緒のガチギレに、一奈は破顔し一馬も困ったように笑う。克也もランもサブも、相好を崩す。


「じゃ、行ってきま~す」


 いいオチがついたところで、守恒は氷月と共に、闇空へと飛び立った。


※※


 同時刻。カフェ・シューメイカー。


「倉本さんたちは落ち着かれたようですな」


 ロバートが、巨体を揺らして一階に降りてきた。邦治くにはるは「それは、良かった」と所在なさげに答える。すっかり冷めたハーブティを、ほとんど口にしていない。


「妻と娘も休みました。普段ならばここらで一杯と行きたいところですが、さすがに予断を許さない状況ですので」


 言って、新しいお茶を淹れる。邦治は、「どうも」とまた、おざなりな礼を言う。


「いやはや、倉本家は腹違いの双子に二人の母親の四人家族だそうで」

「ええ……町内では、ちょっとした……有名人です」

「私もですよ。町では有名な、のいれる真っ黒なコーヒーの店」


 邦治は、ロバートの物言いに、なんと答えていいか分からない。


「墨さん。実はうちの妻、帰化人なのですよ。東亜のね」

「え!?」


 突拍子もない声を上げてしまった。まるで、自分の“所業”を知っているかのよう。しかし、守恒が、“身内の恥”を喧伝するはずもないと思い至ってから、「申し訳ありません」と意味もなく謝罪する。


「いろんな方がいらっしゃるものですよ。この世界というのはね」


 息子が働いていた店の主は、いちいちが意味深に聞こる言葉を重ねる。ろくに物を知らない自分の頭が、勝手にそう聞かせているのかもしれない。


 分からない。


 ただ、分からないということが、分かっている。無知の知。大昔に大学で覚えた言葉を思い出し、邦治は、先ほどより少し張りのある声を出した。


「息子は、どうですか。使い物になっていますか」

「いつでも店を譲れます。ただ、涼風を貰ってくれる気はないようで」

「はい!?」

「It’s a Joke. ですよ、ミスター」


 冗談に聞こえなかった。


「ナイスガイですよ。あなたの息子スミスは。今もそうだ。たった一人の女の子を救いに行きました」

「……そうですか」


 十分だった。ロバートが微笑み、こう言った。


「目に光が戻られましたな、お父上。スミスも一時、そうだった。どうやら、あなたとの“お話”が効いたようだ」


 ならば、望外の結果だ。


「父親として、のかなと思います」


 晴れがましい表情で、邦光は言った。


※※


 数時間後。夜明けの迫る時刻。守恒と氷月は、組織が所有する小さなジェット機の劣悪な席に座っていた。


「モスクワから東亜行きもなかなかでしたけど、これは最悪ですね」

「秘密組織というやつは万年金欠でね―――ところで、サブの話によると、だいぶ凹んでいたらしいが、今はまったくそんな雰囲気がないね。どんな心境の変化が?」


 守恒は、氷月の質問に、自らの思いを馳せる。


 咲久を探して連れ戻す資格など、自分にはないと思った。

 彼女を知らず傷つけていた自分。父への子供っぽい反抗心。“モブ嫌い”が起こした罪。


 でも、きっかけはどうあれ、何もかもが間違いではなかったと、そう思えた。


 そんな気持ちの変遷を、守恒は一言で言い表した。


「どうやら僕は、この世からモブを一人退治できたみたいなので」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る