第39話 親子の話
「
「まだ病院。
「へぇ、いつ以来?」
「お前がお隣さんじゃなくなって以来」
「また答えに困ることを言うんだから」
「ほんとなんだからしょうがないだろ」
あれから、三年になろうとしている。
中学生だった。
金も知恵も何もなかった。
だが、それを差し置いてもなお、この家にはあと一秒だって居たくないと思った。職と
「一馬、ありがとう」
守恒は、良い具合に気を抜いてくれた親友に礼を言う。倉本家のリビングで、随分と話し込んでしまった。
時計を見る。午後六時。あの時と同じ時刻。父親が帰ってくる少し前。
「……待ち受けておいてやるかな」
「お、出陣か。せいぜい、前歯くらいで勘弁しておいてやれよ」
「殴ったりしないよ。そんな根性の入った家庭じゃないから」
「そうかい。……ところでよ」
「なに?」
「一奈と
「ノーコメント」
「ノーコメントかぁ」
無念極まる表情で天井を仰ぐ一馬に、守恒は宣言した。
「じゃあ、行ってくる。
※※
ひょっとしたら、一馬の宣言通り、その顔に一発食らわせてしまうかもしれない。
不意打ちのように帰ってきた
そんな父親に対し、守恒はふつふつと湧き出る怒りを丁寧に抑え付け、手を出す代わりに口を出す。
「今日は、職場の社長から言われて決着をつけに来たよ」
倉本家から、夕飯にとお裾分けして貰ったビーフシチューを食べながら言う。邦光は、目も合わせない。
「よく考えたら、最初からやっておくべきだったよ。僕はモブになりたくなくて家を出たのに、肝心な部分をほったらかしにしてた。これじゃ、モブと一緒だ」
「モブ?」
訝しげな声が返る。会話が、ようやく成立した。
「あんたのことだよ」
ほぼ同時に食べ終えた皿をキッチンに持っていく。店の要領で手際よく洗いながら、言葉を続ける。
「三年前の、東亜民援の弁護士に対する大量の懲戒請求。理由は何だっけ―――ああそうだ、東亜人を支援する日本人は“国賊”なんだっけ」
当然、そのような理由が懲戒に当たるはずもなく、逆に弁護士から損害賠償を請求されることになる。『東亜断種会』の息がかかった過激派が笛を吹き、それに踊った大量の者たちの名簿に、墨邦光の名前もあった。
「そこまでは、別にいいんだ。そういう考え方の人だっているだろうさ―――でもね!」
食器を洗い終えると、勢いよく蛇口を締め、やおら大声を出した。振り返り、後ろで洗い物を見守っていた父を振り返る。
「自分のしたことには、責任を持てよ? 差別主義者呼ばわりされたって、堂々としてればいいだろう。自分の意思で、覚悟を持ってやったことなら!」
彼らは、一様に賠償と責任から逃げ続けている。
曰く「ほんの署名活動のつもりだった」と。
曰く「(『断種会』の)愛国心に共感し、ブログに従っただけだ」と。
曰く「“スパイ”に制裁を科し、世の中を良くしているつもりだった」と。
曰く「こんなことになるなんて、考えもしなかった」と。
そんなたわけた言い訳を、誰あろう父親がさえずるとは思わなかった。
「あれを“モブ”と言わずに、なんて呼んだらいい?」
―――恥ずかしい。
心の底から、羞恥心が湧き上がる。
こんな人間にだけはなりたくない、と強く思った。だから、家を出た。父を見限った。
モブに、ならないために。
「今年は、お前の名前をニュースでよく見る。東亜関連が多かったな」
邦光が呟くように言った。バリトンは父親譲りだというのがよく分かる声。
あてつけか、と訊かれるかと思った。しかし、違った。
「あんな風に人前で大立ち回りして、怖くは、なかったか」
「……怖くない、わけじゃない」
心配そうな父に、そう答えた。
「勇気でもない。ただのヤケクソ。強迫観念ってやつかな。ここで止まったら、もう二度と進めなくなると思って」
父のように、ならないために。
「僕からも訊きたい。どうして、弁護士に損害賠償を請求されたときに逃げ回ったんだ」
意地の悪い質問は、親子ゆえの気安さか。武士の情けで、沈黙は十秒ほどにしておいてやる。
「それは、信念がなかったんだ。ただの憂さ晴らしで、自分の気分を良くしてくれる“親分”に扇動されて、何も考えずにやったんだろ?」
「……ああ」
「モブだよ。誰かの操り人形になって、良いように食い物にされる」
「……そうだな」
情けない人間。守恒はかつてそう吐き捨てた人間に「でも」と、言葉を接いだ。
「僕も、大して変わらなかった。あんたが大勢におもねってたのと同じように、ただ、数の少ない方に付いてただけだったよ。人の気持ちも考えずに」
言葉にしてみれば、なんと簡単で、子供じみた行動だろう。
「何でも良かったんだ。
人に説教できた義理じゃない。自分だって、単純な憂さ晴らしだった。それで、何かを成し遂げた気でいた。
「くだらない、僕だってモブだったよ」
「……モブ、かどうかは分からないが」
息子の演説を聞きながら、徐々に顔を上げていた邦光が言った。
「くだらなくは、なかったんじゃないか」
それは、何かを諭し教えるのではなく、単純な疑義を呈するだけの口調だった。
「俺は―――お父さんは、お母さんが出て行ってしまってから、すっかり自信喪失してた。何かに
「うん。してる」
邦光は苦笑する。守恒は容赦ない。この竹を割った様な性格は、母親譲り。
「騙されて、罰が確定して、お前が出て行ってから、いろいろ勉強したよ。『愛国心はならず者の最後のよりどころ』なんて言葉があるのも知った。俺に似合いだろ」
さすがに答えに窮する守恒へと、邦光は、この言葉を送った。
「賠償は既に済ませたよ。薄給のサラリーマンにはキツい出費だったが。東亜民援に寄付もさせてもらった。謝罪を込めて」
「……そう」
守恒の頬が、僅かに持ち上がる。微笑、といえなくもない表情。
「悪かったな、守恒。母親がいなくなって寂しい時期に、あんなことになってしまって―――」
「いや、別に寂しくはないよ。
「そうだよなぁ。お前は、そういうタイプだもんなぁ」
邦光は、この父子の確執に、既に離婚した妻が入り込む余地は一つもなかったと知って、ガックリとうなだれる。
「……ん?」
その父が、うなだれたまま、動かなくなった。と、次の瞬間、家の電話が鳴る。
「もしもし?」
『やぁ、その声は守恒。俺だ。氷月だ。まずいことになった』
親子の問題が解決を見た途端だ。
『このままだと、世界が滅びる』
一難去ってまた一難。
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