第34話 リハーサルと観覧車デート

 克也が予約してくれたリハーサルスタジオを、守恒もりつねの伴奏者霧島きりしま三郎さぶろうは、あっさり拒否した。


「本番は野外なんだろう。サビとカビ臭いスタジオなんかで歌ってられるか」


 全国的な知名度を獲得したメジャーバンド・ストレイキャッツのリーダー。

 下ろせば目が隠れてしまう前髪を、女性用のヘアピンで留めた男。

 結構な皮肉屋。なかなかに無頼漢。

 そして、氷月ひづきと知り合い。


「サブさん、どこに行くんですか」


 守恒はとりあえず、直近の行き先を訊いた。


「路上だ。栄広場に行こう。ま、広場とは名ばかりの、何にもない石畳の敷地だが」


 案内された“広場”は確かに、看板も立っていない空き地のような場所だった。しかし、ここからメジャーに羽ばたいたアーティストやバンドがいるという。サブも、その一人だ。


「緊張してるか? 墨君」

「それなりに」

「上等だよ。俺は、足がガタガタ震えて何も歌えず、おめおめと逃げ帰った」


 頭の部分にK-YAIRIと書かれたアコースティックギターをチューニングしながら、サブが言った。


「まぁ、東亜人だらけのスタジアムで熱唱できたんなら、当然か」


 そして、重く、かつ鋭いストロークで、コードを鳴らす。六つの弦が震える。広場の空気、空間が震動する感覚。その、たった一つの音で、道行く人々が数名立ち止まる。


 その音は「俺の音楽を聴け」と言っていた。

 大きな音。絶対的な意志の強さ。

 これが、プロの音。


「サブさんもやっぱり、モブじゃないんですね」

「それは……ええと、どう意味だ?」


 サブが困惑する。守恒は構わず、大きく息を吸い込んだ。


 ―――。


 青空に溶ける歌声と、ギターの音色。三分程度のバラードが、町の時を止めた。


 そして、時は動き出す。


 誰ともなしに起こる拍手。


「あ」


 群衆の中に、“衣装合わせ”に行っていた咲久たちがいた。ランはぴょんぴょんとはしゃぎながら、薬利は控えめに手を叩いている。


 咲久はというと。


「なんで泣いてるんですか、先輩」

「えへへ。なんかいろいろ思い出しちゃって」

「墨君。こんな将来有望なアスリートが彼女だなんて、なかなかやるじゃあないか」


 サブが茶化す。否定しようと守恒が口を開く前に、サブと咲久のツーショットを認めた聴衆から声が上がった。


「あれ、サブじゃない? 名古屋に帰ってたんだ」

「あの大きい子、なでしこの代表じゃなかった?」

「サイン貰う?」

「どっちの?」

「色紙どっかに売ってない?」

「おい、ちょっとサッカーボール買って来いよ」


 ざわつく栄の人々。サブは「ひとつ言っておくが」と、守恒に言う。


「俺一人なら、こんな騒ぎにはならなかった。次世代のストライカーとの合わせ技一本だ」

「それはいいですけど、どうします。サイン会開きます?」

「なんならハグ会でもサバ折り会でもいいが、マネージャーの説教が面倒だ」

「サッカー部のマネージャーとしても賛成です」


 意見が一致した。あの咲久ひとみしりが耐えられるはずもない。ここは逃げの一手。


「二手に分かれるぞ。俺はお嬢と、あの堅物そうな子を連れて行く。君は先輩だ。ホテルで落ち合おう」

「了解です。因みに、堅物そうに見えますが、薬利あいつは淫乱です。注意してください」

「……おう」


 得意の皮肉も飛ばせないサブを置いて、守恒は駆け出した。


「逃げますよ、先輩」


 守恒が咲久の手を取った。いつかの時とは逆。


「―――うんっ!」


 弾んだ声で、咲久もそれに答えた。


※※


 そして、時刻は夕方。


「わぁ、すごいすごいよ守恒くんっ!」

「そうですね……」


 栄に降り立った瞬間から、咲久がうずうずと気にしていた観覧車に乗り込んでいた。面白半分に名古屋市民から追いかけ回され、疲れ切った守恒が答える。


「人がいっぱい! ランちゃんたちもいるかなぁ」


 一周五百円。地元ではそこそこ有名なスポットらしい。町が一望できると言えば聞こえはいいが、どうにも迫力に欠ける。しかしながら、咲久が妙にはしゃいでいるので、乗ったことに後悔はなかった。


「テンション上がっちゃっててごめんね。観覧車なんて乗るの初めてだから」

「そうなんですか」

「遊園地も行ったことないし、学校の遠足で行けると思ったら、サッカーの練習に当てられちゃってたしなぁ」

「サラリとご家庭の仄暗い部分を垣間見せるのやめていただけます?」

「ドーモ、わたくし、サッカーロボットです。クリスマスを祝ったこともありません」

「やめろ」


 真顔の突っ込みに、咲久がケラケラと笑う。今日も服装はボーイッシュなジーンズスタイル。組んだ長い足を包むデニムは、鍛え上げられた筋肉によってタイトに膨らんでいる。


 あまりじろじろ見てはいけないと思い、外に目を移す。丁度、箱が頂点から下がっていくところだった。


「じゃあ僕は、また先輩のに付き合えたってことですね」


 つい漏れ出たような言葉への返答が無く、向かいの咲久を見やると、夕陽に染まった真っ赤な顔があった。


「だからそういうことをいつも言うんだからまったくもう」


 怒っていらっしゃった。そして、すぐに破顔した。


「みんなまだ私たちのこと探してるかなぁ。ああやって追いかけられるなら、たまにはいいかも。の人たちに感謝だね」

「あの人たちはモブじゃないですよ」

「違うのかぁ。むっずかしいなぁ~ほんと」


 おどけた口調で頭を抱える咲久。守恒はこう訊く。


「楽しかったんですか」

「うん。今までは、怖い思いしかしたことなかったけど、今日は楽しいかな」

「……そう、でしたね」


 苦い思いが広がる。モブレイヴ。咲久をつけ狙う“震源”の“扇動者”。まさか、この町にも―――。


「見て、守恒くん。すごい夕焼け」


 いつの間にか隣に座っていた咲久が顔を寄せ、声をかけてきた。


「!―――あだっ!」


 吐息が耳をくすぐり、思わず顔背けると、窓に鼻が激突する。


「痛い……」

「あははっ。大丈夫?」


 気恥ずかしさを押し隠し、守恒は外の世界を凝視する作業に没頭する。確かに、凄絶な、血のような夕焼けだ。特別な景色。


 いや、違うな。


「先輩と見てると、特別に見えるんだ」

「何か言った?」

「いいえ、独り言です」

「ふ~ん。あ、観覧車、もう終わっちゃうんだ。早いね」

「そうですね」

「もっと、こうしてたいね」

「そう……え?」

「二人っきりで、いたいなぁ」

「……」


 こちらも、独り言のようだった。だからというわけではないが、答える言葉を持てず、いたずらに思考を弄ぶ。暮れなずむ空には、飛行機が悠然と雲を描き飛び去って行った。


「綺麗な飛行機雲ができると、雨になるそうです」


 つい、雰囲気を削ぐことを言ってしまった。咲久は気にせず「そうなんだ」と請け合ってくれた。


「誰が言ってたの?」

「……ああ、しまった。父親だ」

「えへへっ。守恒くんも、ちょっと家庭に闇がありますなぁ」


 お互いさま、とおどける。先ほどのを、打ち消すように。


「ランちゃんたち、もうホテルに戻ってるって」

「なら、僕らも帰りましょうか」


 いつかの額をくっつけ合った日のように、その夜の寝つきも悪かったのは、言うまでもない。

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