第33話 東亜の男

 名古屋の繁華街栄の裏手―――雑多な風俗、ゲームセンター、ライブハウス、移民御用達の安アパートが軒を連ねる通り。


 そこの雑居ビルに、東亜民族支援事務局の名古屋支部はあった。


 無個性な鉄筋コンクリート造りの外観。しかし中身は、極彩色だった。


 分厚く、大柄なポリネシアの女性もいれば、針のように細いチャイニーズ系の男性もいる。真っ黒な肌をした男性職員が、陶器のように白い肌の女性客を応対している。人種の坩堝るつぼ。ミニ東亜。


 多様性に富んだ世界で、言語は単一だ。英語と北京語とヒンズー語が混ざり合った独特な東亜の言葉。その国の成り立ちから、『世界で最も血塗られた人造言語』と揶揄される東亜語が、活き活きと交わされていた。


 そして、嫌でも目に付く大きな肖像画。東亜の統治者。遍く世界中から秩序を乱す狂犬、狂王と名指しされ、同時に東亜国民のすべてから崇め奉られる支配者の一族。その四代目。


 来客の東亜人は、まず、彼を拝んでから庶務や用件に取り掛かる。守恒を連れてきたマコウもそうだった。東亜の国教。個人崇拝。


すみさん、こちらにどうぞ」


 東亜語でと受付を終えたマコウが、日本語に切り替えて言った。


 エレベーターで最上階へ。骨太肉厚なポリネシア系のマコウと一緒だとかなり狭く感じる。


「俺も事務局長のところに行きたいんだが、これは無理そうだな」


 そこに、もう一人乗り込もうとしてきた人物―――恐らく日本人がいたが、丁重に断らざるを得なかった。


「すみません」

「いや、俺もあのカタギ離れした御仁と会うには準備がいるからな」


 頭に女性もののヘアピンをつけた三十歳ぐらいの男がそう言った。皮肉屋。守恒はどこかで見た顔だと思いながら、マコウの巨大な腹に圧迫されつつ、その“御仁”のもとへ向かった。


※※


 どこか木瀬川高校の生徒会室に似ていた。応接室。マコウは外で待っていた。事務局長は、革張りの椅子で、読書をしていた。


「『一つの正しいとされる教義が別の教義と置き換えられても、それを進歩とは言わない。そのレコードの曲に賛成しようと反対しようと、敵は、常に蓄音機の如き性根なのだ』」


 どうやら、読んでいた本を音読したようだ。何の引用かは、守恒には分からないが、『蓄音機の如き性根』という部分は妙に残った。


「東亜という国を、君はどう思うかね」


 ランの話によれば、齢八十に近いという事務局長はしかし、張りのある若々しい声で守恒に問うてきた。


「申し訳ありませんが、僕は東亜について、ほとんど何も知りません」


 多少の緊張を覚えつつ、守恒は正直に言った。その方が“モブっぽくない”という判断。いつものこと。


「調べたりはしなかったのかね」


 非難めいた色はなく、ただ単純な疑問を呈する声。


「毎日、学校と部活とバイトと家事が忙しくて」

「ふふん」


 楽しそうな声を漏らす。


「孫娘から聞いたよ。実家からは独立していると。そして、TVやネットもほとんど見ず、携帯すらもっていない」


 男は本を閉じた。


「そして、僅かな伝手つてを辿り、国交もない東亜に足を踏み入れ、スタジアムで我らが代表チームの無惨な敗北を見届けた」

「東亜も強かったです」

「ありがとう。でも、昔はもっと強かったんだよ? 今のような、半鎖国状態に陥る前はね」


 おどけた口調に悔しさが滲んでいる。


「―――そして、日本代表を鼓舞するアンセムを響かせ、政治家やその取り巻きに避難された」


 言い終えると、“東亜の男”は立ち上がり、守恒に歩み寄った。その足取りも、年齢を感じさせない、しっかりとしたものだった。


「申し遅れた。私は克也・墨」


 名刺と共に名乗られたが、上手く聞き取れなかった。


「日系の末裔でね。発音が難しいから、私のことは“かつや”と呼んでくれたまえ」

「分かりました。克也さん」

「今回は手前勝手な申し出を快諾して頂き恐悦至極だ。親交の証として、この本を進呈しよう」


 それほど分厚くはないが、読み込んでいることが分かる紙の本を受け取る。作者は、読書家というわけではない守恒も知っている有名な人物だった。


「おとぎ話なんて書いてたんですね、この人」


 克也氏は、眉を悪戯っぽく持ち上げ、喉の奥で笑みを忍ばせる。


「それはちょっとした副題だ。まぁ、読んでいただければ理解できるよ。そうだな、一つ、読書感想文の課題を出そう。なに、ただの遊びだよ。

 墨守恒くん。君は豚か? 馬か? それとも羊か?」


 謎めいた問いかけだった。


「読み終えたら、答えを教えて欲しい」


 ジョージ・オーウェル作『動物農場 おとぎばなし』(※)を、守恒は、ポケットにしまう。


「祖国について、多少の紹介をしておこう」


 克也が、応接ソファに守恒を導きながら言った。


「元はアジアの植民地。建国からようやく百年が経とうとしている新しい国だ。第二次大戦からしばらくは栄華を誇っていた時期もあったが、今ではいわゆる、“ならず者国家”というやつだ」


 随分な自虐だった。守恒は「下の、肖像画の人に怒られるんじゃないですか」と訊く。克也は険しい人相の鼻を掻きながら言う。


は親友の息子なんだ。そうだな。あの先代から、東亜はすっかりおかしくなった」


 苦笑。恥じ入るような口調。守恒は言った。


「僕はたった一日東亜むこうに滞在しただけでしたけど、日本こっちとあまり変わらないと思いました。皆さん、しっかり生きてました。モブじゃなかった」

「モブ……? ふふっ」


 破顔。それはやがて、部屋を埋め尽くす高笑いへと変わった。


「ガハハハ……、モブ! モブときたか! いやはや、孫娘ランも、良い男を連れて来てくれたもんだ!」


 “東亜の男”は、身を乗り出し、向かいに腰掛けた守恒の肩をばんばんと叩く。痛い。


 それと同時に、ドアもノックされた。


「おい、リトルゲバラ。あんたのバカ笑いで下の仕事が止まってたぞ」


 エレベーター前で出会った皮肉屋の声。克也は渋面を作り、言う。


「まったく。彼はいつも、の国民である私をそう呼ぶんだよ」


 チェ・ゲバラ。社会主義国キューバでかつて統治者だったカストロの盟友。独裁者の親友。


「入ってくれ、。紹介しておこう。交流会で君のバックで演奏してくれる霧島三郎くんだ」

「初めまして。この革命家崩れの爺様に雇われたギタリストだ。サブと呼んでくれ」


 握手をしながら、そうか、と守恒は思い至った。この人はメジャーで活躍しているストレイキャッツというバンドのフロントマンだ。三年ほど前に、アニメの主題歌を歌っていた。有名なプロがバックを務めるということ。守恒は急に緊張を覚えた。


「光栄です」

「言われる程は光っちゃいない。ところで、墨守恒くん」


 そして、続く言葉にさらに身が強張った。


「氷月から話は聞いてる。ちょっと大変なことになりそうだが、まぁ、頑張ろう」


 約束された波乱の幕が上がりそうだった。



※ 1945年に刊行されたディストピア小説。作者がブログで紹介している。https://ameblo.jp/overalive/entry-12555484212.html


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