第31話 守恒の向き合い方

 翌日。県立木瀬川きせがわ高等学校は揺れた。


 毎週何かしら揺れている。もっともだ。

 その原因は主に一人。その通りだ。

 今回も、渦中にはがいた。

 だが、もう一人いた。


貝塚かいづか絵斗那えとなが女装してる』


 彼女のクラスを中心に、じわりとその話は駆け巡った。

 

 ―――一体、何が起こったんだ……。


 女子の女装。女装という言葉が適当なのかは分からない。現国教諭である担任ですら、その成否を指摘できないほどの、事件であった。


 そして、もう一つ。が起こした方の騒ぎは、奇しくも、内容がまったく同じだった。


すみ守恒もりつねが女装してる』


 学校と周辺住民にまで、一瞬にして、その話は広がった。


 …………なんで?

 

 これはもう、誰にも分からない。倉本兄妹をはじめとする友人たちも含め、理解不能。


「あ」

「あ」

「「その恰好」」


 そして、出会ってしまった。クラスが同じなのだから、会うのは当然なのだが。とにかく、守恒と絵斗那は、声を揃えて驚き合った。


「墨よ。なんて恰好をしているんだい」

「坂ノ上先輩から大きいサイズを売ってる店を訊いたんだよ」

「いや、入手経路の話ではなくてね」

「あまり毛は生えない方だけど、それでも醜いからストッキングを履いた。ダメだったかな」

「いや、そんなピンポイントな話でも無くだね……」


 自分を振った男が、週末から週明けに駆けて女装に目覚め、登校してきた。


 これはまさに日本男児ここにあり―――


 いや、無理無理無理無理。これはない。これだけはない。


 絵斗那は、大混乱した頭でなんとか軌道修正を試みた。


 え? なにこの状況。というか、さっきからなんでみんな、この狭い教室で遠巻きに私たちを見ているの? おいみなみ恵華えっか、今目ぇ合っただろ。逸らすな。助けろ。


「誰も何も言って来ない。この学校の人たちも、ようやくモブがいなくなったみたいだ。良い成長だよ」


 成長、かなぁ。むしろ「慣れって怖い」って類の話なのでは。もしくは、「墨守恒あいつに触れると火傷する」か。


「……で、どうだい? 異性装をやってみた感想は」

「とっても恥ずかしい」

「「「「「恥ずかしいのかよ!!!!」」」」」


 クラス全員からの総ツッコミ。


「やはりお前ら注目しておったな! 無視しよって、許さん!」

「「「「「あ」」」」」


 絵斗那が怒った。クラスメイト達が逃げ出す。


「ごめんってば。だって、巻き込まれたくなかったしー!」


 恵華が代表して、謝罪になってない言葉で謝る。火に油。むきー! となった絵斗那がクラスメイト達にずんずん詰め寄る。あまり怖くはないが、恵華たちはわざとらしく恐れおののく。


「貝塚さん、スカートの履き心地は?」

「最悪だ!」

「墨と何かあったの」

「答える義理はないっ!!」


 ホームルームの時間になっても、騒動は続いた。やってきた担任が「こりゃだめだ」と匙を投げ、我関せずを貫くセーラー服の守恒に話しかける。


「まぁ、“儀礼的無関心”っていえば聞こえは良いがな」


 いつしか絵斗那も、楽しそうに怒っていた。


「どっか腫れもの扱いだったことは否めなかった。『いてもいいけど、いない方が助かる』ってメッセージが出てた。貝塚には悪いことしちまってたな」

「なるほど先生が職務怠慢だったと」

「言葉にワタを込めやがれ。常に剥き出しかコノヤロー。……ま、否定はしねぇがな」


 と、一限の時間になった。丁度、現国だ。その前に、担任が言う。


「なぁ、墨、東亜の交流会で一曲披露するんだろ」

「はい。来週、行ってきます」

「……頑張れよ。お前がいうとこの、モブみてぇなことしか言えねぇけど」

「先生はモブじゃありません」

「そいつはありがたいね」

「ちょっとボンクラなだけです」

「おっし分かった。あとで職員室来やがれ。言葉の暴行罪で教頭に言いつける」


※※


 同時刻。どこかの場所。


「何の用だね。私も忙しい身なのだが」

「逆だ。この一大事に、あなたのような“小物”に、組織おれたちが時間を作った」

「む……」


 向き合う二人の男。一人は高齢だが、もう一人は年齢不詳。若月わかつき氷月ひづきだった。錐のような顔。霧のような雰囲気。未だ隠然たる力を持つ政界の大物が、渋面じゅうめんを作る。


「アンタを襲ったのは、“モブレイヴ”という」


 構わず、話は氷月のペースで進む。政治的な後ろ盾のない、一対一の場所では、永田町を生き抜いた老獪さも通用しなかった。


「―――にわかには信じがたいが、あまりにも実体験と酷似している」


 すべての話を聞き終えた若月は、そう、感想を述べた。


「恐ろしいが、同時に、興味深くもある。上手く使えば、世界の秩序をより安定させられるやもしれない」

「上手く使う、か。政治家のあなたが言うと、ぞっとしないな」


 対する氷月は、まったく興味が無さそうに言った。


「アンタら御上おかみが何を考えようと、“モブレイヴ”は潰す。これは決まっていることだ。諦めろ」

「何故だ」

「俺が“やる”と決めたからだ」


 瞬間、若月は感じた。霧のような男の輪郭が不意にはっきりとし、有無を言わせぬ迫力と意思を持った。その源流は分からない。だが、頭をもたげた野心は、かすみの如く消え失せてしまった。


「……それで、君は、私に何を協力してほしいのだね」

己惚うぬぼれるな。俺がアンタにしてほしいことなんて、何もないさ」


 氷月に叩き返され、若月は目に見えて憔悴した。


「今度の日亜交流会で、何かが起こる予感がある」

「なにか、とは」

「分からない。俺の勘だ。そこに、アンタの命の恩人が出る。知っているか」

「……彼か」


 墨守恒。不思議な少年だった。あとで人を使って調べさせた。さらに謎が深まった。


「俺の友人も出演予定だから、気を付けるよう言い含めてあるが―――せいぜいアンタも、その汚れきった晩節ばんせつ、ヘドロに塗れさせないような行動をしろ。俺からの助言だ」

「私は本当に轢き逃げなんてやっていないんだ」

「裁判所で言え」


 勢い込んで言った若月に、氷月の答えが冷たく響く。うつむき、目を上げたとき、既に氷月はそこにいなかった。

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