第30話 守恒の部屋 咲久編

 やはりか、と咲久は思った。


「むにゃ~……もるもるさまぁ~」

「もはや原型をとどめてないな。涼風すずか、悪いけど」

「うん、大丈夫だよ守恒もりつねさん。はいはいランちゃん、お迎えが来てるから一緒に車乗ろうね~」


 シェアハウスの同居人御三方から「行け」とYes or はいで答える指令を受け、やってきたら、やっぱり、ほかの子に先んじられていた。


 まぁ、競争なんてするつもりはないんだけどね。と、咲久さくは苦笑いで溜息を吐く。


 確かに、彼の彼女になれれば最高なのだけど、本当に大事なのは守恒の気持ち。奪い合うものじゃない。彼が決めるものだ。


 ―――私も、決めなきゃいけないんだけど。


 咲久は自嘲する。うだうだと語ってみても、しょせん、怖気づく自分への言い訳だ。


「そういうお子ちゃま思考が泣きをみるんだよなぁ」と、同居人たちからは異口同音に言われた。分かってます。でも、もし私以外の子が恋人になっても、きっと大丈夫だから。泣いたり、動揺したりなんてしない。


「エトから告白されました」

「へ?……へぇ~、そうなんだぁ。絵斗那えとなちゃん、やるなぁ~」

「先輩、あんまり床を汚さないでくださいね。ハーブティが一滴も口に入ってませんよ」


 傾けたカップの中身すべてが、ぼたぼた零れ落ちていた。ごめんなさい皆さん。私、坂ノ上咲久はクソ雑魚メンタルの大嘘つきです。


「ふぅ……で……あ、あんまり立ち入ったことは訊きたくないっていうか、私には無関係の話って言うかそんな感じの話だとは思うんだけど、部の先輩としてキャプテンとしてマネージャーの今後についてはどう考えているのか訊いておかなきゃいけない責任もなきにしもあらずだと思わなくもないから訊くんだけどどう答えたのかな(立て板に水)」

「断りましたよ。いいから顔拭いてください。床は僕がやりますから」

「……ごめん」


 しばし、タオルで汚れた部分を拭いた後、話が再開した。


「これで良かったのかな、って思ってます」

「え? そ、それは、絵斗那ちゃんとお付き合いしても良かったってこと?」

「それはありません」

「ふへぇ~~~」

「……どういう感情の溜息ですか」

「うん、私にもよく分かんない。ごめんね、続けて」


 妙なリアクションは取らないように、と咲久は自分を戒める。


「その、あまりにもというか、態度をはっきりしようとするあまり、返す刀でズバッといっちゃったというか」

「私は、守恒くんのそういうとこ、良いと思うよ。多分、絵斗那ちゃんもそう思ったんじゃないかなぁ」

「だったらいいんですが、でも―――」

「釈然としてないんだ?」

「もっとなにか、エトにちゃんと向き合う方法はあったんじゃないかって」


 言ってから、守恒は頭を掻く。どうやら、自分でも自分の気持ちの芯を食っていないようだ。


「守恒くんが、絵斗那ちゃんに……」


 咲久は、ふむふむ、と、もっともらしく顎に指を当てて考えた後、言った。


「こういうことじゃない?」


 膝を折り、その悪戯っぽい笑顔を守恒の眼前に持ってくる。


「顔、ちっちゃいですね」

「それはいいのっ」


 細かく褒めてくる丁寧な守恒に、これまたいちいち赤面する咲久は、気を取り直すように咳ばらいをしてから言った。


「こほん―――私、一応キャプテンじゃない? 後輩の子たちとしっかりコミュニケーションしなきゃいけない。

 どうしたもんかなぁって思ってたんだけど、やっぱり、目線を合わせるのが大事なのかなって」

「目線を、合わせる」


 守恒は、オウム返し。何か考えている様子。咲久は合わせていた目線を元に戻すと、言った。


「あんまりいいアドバイスじゃないかもしれないなぁ。毎度毎度、頼りない先輩でごめんね―――わっ!?」


 自信無さげな顔に、守恒の顔が、ぬっと現れた。ぐっと背伸びをしていた。


「あははっ。僕からも、目線を合わせてみました」

「……可愛い」

「なんです?」

「なんでもないですっ!!」


 咲久の、背伸びした男子にときめく特殊な性癖が思わず判明した。


「ひとつ、僕でもできることが分かった気がします。ありがとうございます」

「そ、そう? ちょっとは頼りになった?」


 嬉しそうな咲久を見て、守恒も微笑み、言った。


「本当に可愛い人ですね」

「うっ……」


 バリトンが咲久の胸を撃ち抜く。荒い息を吐きながら、言う。


「はぁ、はぁ……で、でも、守恒くんなら大丈夫だと思う、よ。私なんか、普通にしてるだけで威圧感与えちゃってるっぽいし」


 一奈を含め、チームメイトは全員咲久より20㎝は背が低い。自然、全員を見下ろす格好になることが、少々心苦しかった。


「大丈夫ですよ。先輩は怒ってても、全然怖くありませんから」


 が、守恒の言葉が、咲久の余計な心配を打ち砕く。


「そうなの!? ビシッと言えてない?」

「先輩のふんわりお説教のあとで、一奈ぶちょう咲希かんとくが気合を入れ直してます」

「まじかー」

「先輩として、頼りない自覚はあったのでは?」

「あれは謙遜っ……うう、まさかの客観的事実ぅ」


 守恒の悩みが晴れ、咲久の悩みが深まった。


「で、坂ノ上先輩、ひとつお願いなんですけど」

「え? な、なにかな」


 何かを期待するような目の咲久だったが、守恒の“お願い”を聞いた途端、その目がぐるぐると回る羽目になった。


「そ、そんな、守恒くんに、そんな趣味が―――でも私は、私だけは受け入れたいと思う。でもでもぉ……」

「違います。先輩のが欲しいんじゃなくて、どこで買ったか言ってくれればいいです」

「そうなの? でも、なんで?」

友達エトと、向き合うためです。あと、やっぱりこんなのじゃ、僕はモブになっちゃいますから」

「ほへぇ~~~」

「だからそれは何の感情?」


 敬語も外れた口調で、守恒が訊いてきた。これには、咲久も答えられた。


「これはね、守恒くんが守恒くんらしくなってきたなって感情」


 言って、新しく淹れてくれたハーブティを、今度はちゃんと飲んだ。守恒は少し面食らったように黙っていたが、ややあって、こう言った。


「やっぱり、あなたには話してよかった」

「え?なんか言った?」

「いいえ。独り言です。そういえば、交流会なんですけど、薬利くずりも連れて行くことになって―――」


 そのまま夜深くまで、話し込んだ。

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