恋の終わりと世界の危機②

第29話 守恒の部屋 ラン編

 土曜。守恒は夜に寝て、夜に目覚めた。コアラ並みの睡眠時間。寝過ぎ。頭がボーっとしている。


 シャッキリさせたい。が、シューメイカー家全体でカフェイン禁止令が出ていた。他人の母屋を借りている身。郷に従わねば追い出される。わけもなかろうが、仕方なくハーブティで我慢する。


 とにかく起きよう。焦点の合わなかった視界がはっきりしてきた。天井が―――見えない。代わりに、女の子の顔。


「おはようございます」

「……ラン、今は夜だけど」

「うふふ。そうですね、つねもりさまー」

「誰がつねもりだ」

「言い間違えた方が可愛いかなと思いまして」

「いいから余計なキャラをトッピングするな。ランはそのままで十分可愛いよ」

「可愛い……うふふふふへへへへへへへ」

「だからそういう笑い方にエッジ効かせるのとかをやめろ」


 ランは「今のは割と素です」と言って、愛嬌のある笑顔を見せてくる。


「何か用か」

「ちょっとしたお見舞いです。あ、勝手に拝借してしまいました」


 ベッドの傍らに座るランの細い太ももの上には、ここの本棚に並んでいた小説があった。


「構わないよ」

「あと、打ち合わせもしたくて」

「なんの?」

「交流会の、です! いよいよ再来週に迫ってきましたよ。民連での守恒様の評判も、ウナギの滝登りですっ!」

「その言葉、良い意味なの?」

「もちのロン・ウィーズリーでございますよ」


 ランが、守恒の本棚から拝借していた児童文学小説を掲げ、言う。


「なんで僕が滝を上ったの?」

「H市でのご活躍ですよ。おじいさまもお喜びでした。若月わかつき先生は、わたしたち在日本東亜人の支援を数多くしていただいた方でしたから」

「そうなんだ」

「そうなのです」

「あの人は、モブじゃないってことだね」

「それはよくわかりません」


 今ではすっかりパブリックエネミー扱いだが、人とはいろいろな面があるものだ、と守恒は改めて思った。


「お茶でも入れようか」

「わぁ! 守恒様のお茶!」


 話していたら頭がはっきりしてきた。湯を沸かし、お茶を入れる準備をする。


「よくお休みになられてましたね」

「何か悪戯してないよね?」

「それはどうでしょう。うふふふふへへへへへへへ」

「だから笑い方。効かせるなエッジ」


 和やかに談笑しつつ、二人でハーブティをたしなむ。


「守恒様。なにか、ございましたか」

「ん? うん、そうだなぁ」

「お話しできる範囲でよろしければ、お聞きいたします」


 お茶目なところはあるが、節度はある後輩だ。守恒はお言葉に甘え、固有名詞は出さないで話す。


「ある女友達に、告白されたんだ」

「わぁっ!」

「ふふっ」


 思いのほか、思い切り赤面したランに対して笑ってしまう。


「もりもりさま、笑うなんて酷いですよ」

「ごめんよ。いや、もりもりって誰」

「……その方は、守恒様のことが好きだとおっしゃったんですか」

「いや、正確には、僕の『彼女にしてください』って」

「はわわわわわわわわわ」


 耳まで真っ赤。やはり変に盛るより素のリアクションが面白い。どこか咲久にも似ていると、守恒は思った。


「それでそれでどうしたのです?」

「すごい被りつき方だね。なんでもない。その場で断ったよ」

「あら。そうでしたか。お好きではなかったのですか」

「好きでは、あった。でもあくまで、友達として、だったからなぁ」

「そう、その場で、はっきりと。……なるほど。では、お友達の方も、すっきりとされたのでは?」

「だったらいいんだけど」


 含みのある守恒の言葉。ランが訊く。


「なにか、引っかかることでもございましたか」

「いや、これは、ランに話すようなことじゃないな」

「……そうですか」


 少々寂しげな声を出して、それでもランは納得したように頷いた。


 話が一段落し、守恒が欠伸をしつつ言う。


「夜に寝たのにもう夜だ。また今晩寝なきゃいけない」

「なんだか哲学的ですね。おじいさまと話が合いそう」

「ならいいんだけど。今夜の寝つきの方が不安かな」

「子守唄を歌って差し上げましょうか、うふふふ」

「いいね」

「え?」

「僕も一緒に歌おう」

「それは子守歌にならないのでは?」


 ランが人差し指で頭を指しながら小首を傾げる。守恒は言った。


「練習だよ。“ユビサキ”の」


 ランの顔がパッと咲いた。


「お供いたします」


 そして、小さなキャンピングカー内で歌声が響き、数分後。


「……ランが寝るのか」


 押しかけ見舞客が、椅子に座ったままベッドにうつ伏せていた。


「もるつねさまぁ……」

「誰がもるつね―――うん」


 くぅくぅと寝息を立てる後輩に、守恒は微笑み、言う。


「ここで起こすのはモブだな」


 どのような思考回路を経た結論かは不明だが、そう決まったようだ。自分のベッドに寝かせようと身体を起こしかける。ランがむずがゆむように身じろぎした。


「寝てればいいよ」


 言いながら、ランの長い髪をそっと撫でる。落ち着いたのか、また寝息が戻った。


 絵斗那ほどではないが、小柄な身体を横抱きにする。安心しきった寝顔が、守恒の眼前に来て、少し微笑ましく思う。


 そこで、キャンピングカーのドアが開いた。


「あー坂ノ上さかのうえ先輩、ランちゃんがいますよ?」

「大丈夫だよぅ。私、そんなこと気にしない、か、ら……」


 最初に飛び込んできたのは、心配そうな涼風の声。そして、咲久の長身が現れ―――そっとドアを閉めた。


「待て」


 昨日から、こんなのばっかりだな。

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