第24話 咲久の覚悟

「まるで、ゾンビ映画だ」


 坂ノ上さかのうえ英治えいじは、椅子と机でバリケードを張ったカフェの様子に、思わずそう呟いた。


「―――咲久……!」


 そして、軽口を叩いた自分を恥じた。


「あの人たちは、私を狙ってる」


 そう言って、自分から店を飛び出し、走っていった娘。たしかに、店を取り囲んでいた暴徒たちは姿を消した。だが、囮になった咲久を追いかけることができなかった。痛恨の極み。


「お父さん……」


 声の方を振り返る。妻と、思わぬ騒ぎの最中に義足が壊れてしまった長女。鏡を見ているようだった。同じ表情。不安と焦燥。


 誰か、誰か来てくれ。


 そう祈ったとき、店のドアが勢いよく叩かれた。


「先輩! 坂ノ上先輩! いますか!」


 そして、ドア越しでも大きく響く低音の声が続いた。


※※


 救い出した若月わかつき志朗しろうは未だに気絶していた。ここまで背負ってきた氷月ひづきが床に転がしておく。


「“扇動者”を釣る餌にしよう」


 守恒もりつねは氷月の物騒な物言いを聞き流し、英治から、これまでのいきさつを聞いた。咲希や店の従業員たちは、目の前の現実にまだ頭が回っていないようだった。


「道理で“感化者”の拡散が早いはずだ」


 話をすべて聞き終えたあと、氷月が言った。


「どうやら、君の先輩を標的にした“モブレイヴ”も、同時に起こっていたらしい」

「坂ノ上先輩を狙った……いったい誰が」

「それはまだ組織ウチ解析班ボンクラ共が調査中だが、一つ、分かっていることがある」

「なんです」

「さっき話した、この世界で最初に起こった“モブレイヴ”。その“震源”。それこそが、坂ノ上咲久に対する昨年の集団いじめだ」

「まさか」


 二の句が継げなかった。確かに、あれは“モブレイヴ”だったと思う。しかし、あれが最初だったとは、にわかに信じがたい。


「つまり、例の厄介なお化けが憑りついた、オリジナルの“扇動者”がこの町にいるってことですか」

「可能性は高い」


 守恒は、しばらく頭を整理するように人差し指を自分のこめかみに押し付けていたが、ややあって、言った。


「うん。分からん」


 きっぱりとした思考放棄。


「氷月さん。ここは任せてもよろしいですか」

「無論だ」

「よし」


 守恒は、店のドアの方に向かう。


「ちょっとツネ様!? どこ行くの?」

「先輩を探しに」


 焦る咲希へ、端的に答える守恒。


「危ないですよ?」

「娘さんは、もっと危ないです。武器も持っていないんでしょう」


 母・香子にも告げ、守恒はテーザー銃の針を確認する。まだ撃てる。


「英治さん、使える携帯を貸していただけますか」

「いいが、本当に行くのかい?」

「あなたは、ここにいるご家族を守っていてください」

「……ごめん、頼むよ」


 本当ならば、父が一番飛び出したいはずだ。その思いを、守恒は受け取った。


「大丈夫。先輩はモブ共にやられるような人じゃありません」

「モブ……?うん、そうだね」

「行ってきます」


 芯は食っているはずが、微妙な食い違いも感じるやり取りのあと、守恒は店の外に出た。


※※


 女子サッカーは、観ているよりずっとタフなスポーツだ。


 フィールド条件は、男子とまったく同じ。国際ルールならば105m×68m。そこを、四十五分ハーフの九十分間。相手も合わせてたった二十二人、キーパーを抜けば二十人で走り続ける。


 タックルに負ければ吹き飛ばされ、スライディングでは足を削られる。ボールに行っていると看做みなされればファウルは吹かれない。


 時に、女子の日本代表が男子高校生のチームと練習試合を行うが、良い勝負ができれば御の字。大抵は無得点かつ敗北。男女の差。フィジカルの差。


 それでも、彼女たちは懸命にピッチを駆ける。その、どこまでもひたむきな姿に、サポーターは胸を打たれる。


 女子サッカーはこの世で最も焦れったく、泥臭いスポーツの一つだ。


 坂ノ上咲久は、物心ついたときからを続けてきた。


 怖い。

 泣きたい。

 立ち止まりたい。


 自分一人の為だったら、とうにそうしていただろう。家族と、そして、が咲久を突き動かしていた。


「私たちが、試合で何十分間走り続けていると思ってるの」


 汗で額に張り付くショートヘアを掻き上げる。その口角が、攻撃的に吊り上がる。スタミナ勝負なら、毎日あの超人サイボーグに追いかけ回されて鍛え抜かれている。


 再び、その背に宿る鬼。


 その双眸に灯る火は、決して消えない。


「付いて来れるものなら、付いて来なさい。


 咲久を追う者たち。個の深みを失った、“感化者”。


 主体性無き怒りの奴隷が、彼女の覚悟に追いつける道理はなかった。


 やがて、追いすがる気配がなくなった。


 一旦は撒けたようだ。ゆっくりと歩き、息を整える。


「……ん?」


 着信。父親の携帯。


 しかし、出たのは違う人物だった。


『先輩、僕です。今、H市にいるんですが―――』

「守恒くん!?」


 携帯を持っていない、それどころか、この町にいないはずの人。それでいて、今一番聞きかった声の主に、咲久は思わず叫ぶ。


『今、どこにいますか』

「え?ええとね……」


 有無を言わせぬ声に、近くにある全国チェーンの飲食店の名を告げる。


『分かりました。三十秒でつきます。何とか持たせてください』

「へ?」


 三十秒って―――彼には悪いが、守恒の走力は凡人とヘナチョコの間くらいのはず。合点がいかない咲久が、物陰に隠れてキョロキョロと見回していると、トップギアに入った凄まじいエンジン音が近付いてきた。


 ―――まさか。


 と、思ったときにはその外国車が時速100㎞でやってきた。


「わぁ!?」


 カースタントのように大きく跳ねて到着した車に驚いて、尻もちをついてしまう。


「もりつね、くん……?」

「先輩! 乗ってくださいッ!」


 ―――三十秒で、やってきた。


 守恒むめんきょアウディでやってきた。

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