第23話 氷月の守恒評

 神出鬼没、正体不明な謎の男・氷月光太郎ひづきこうたろう(偽名)に、実のところ、秘密はそれほどない。


 異名の“葬儀屋”は、常に黒い服を着ているからと、実家が本当に個人経営の葬儀屋だから。

 錐のような鋭い顔は生まれつき。柔らかな物腰に裏はない。

 言い回しが飄々としているだけで、嘘やごまかしは吐かない。

 人格的には善性で、他者を傷つけ、傷つけられることを嫌う。

 遍く世界を“調停”する任について十余年。その動機は、まさしく世界や人を愛するが故である。

 本名は流石に機密シークレットだが、歳は訊かれれば答える。

 が、誰も問うてこないので、未だに年齢不詳。

 住所も持っている。住んではいないが。

 両親も健在。カバーは掛けているが。

 変装もしていない。素顔だ。

 最終学歴は訳あって中卒。

 その訳も、訊けば長々と答えるだろう。


 そんな自分と比べ、なんと謎の多い少年だろうと、氷月は思う。


 誰も轢かない自信が持てずアウディを乗り捨てたが、守恒も、さっさと車から降りた。あっさりと、自動車というセーフゾーンから離れた。


 そして、「先輩たちが危ない」と、当然の如く他人の心配を先立たせる。


 身体能力は並み。何か特別な才能を持っているわけではない。


 いや、ひとつあるか。


「行きましょう、氷月さん」


 あちこちでサイレンや物が壊れる音が立てる場で、しっかりと聞こえる声。大声ではない。張り上げずとも、自然によく通る声質。


「なかなかに危険だよ。君を守り切る自信はあるが、多少の怪我は覚悟してもらうかもしれない」

「……平気です。僕が決めたことですから。それに、


 守恒が先ほどから繰り返す言葉。“モブ”への敵愾心てきがいしん。一般人、いや、氷月にすら謎めいた行動原理。


 自らの心に従っているのだろう。しかしながら、そこに“正義”や“善”なる心があるか。のままに行ったことが、たまたま善性を帯びているに過ぎない危うさがある。


 先ほど思わず呟いた通り、歪な在り方だ。


 だが、を、氷月は嫌いではなかった。


 タガが外れないようにしっかりと見てやるのが、年長者の務め。


「仰せのままに、墨守恒しゅじんこうくん」


 言って、一先ず落ち着くための細長い嗜好品を、箱から出す。


「君も一本やるといい」

「僕は未成年ですよ」

「大丈夫、これはトッポだ」

「トッポ」


 確かに、煙草の箱にしては大きい。出てきた物体も、最後までチョコたっぷりだ。


「なぜトッポ」

「友人が好きでね(※1)。俺も癖になってしまった」


 暴徒が暴れ回る街で、お菓子を齧るシュールな光景が数秒繰り広げられる。


「では、行こうか。護身用にこれを使いたまえ」


 氷月は、守恒に武器を渡す。


「これは?」

「組織で使っている連続八連射可能なテーザー銃。遠距離用のスタンガンだね。この際だ、スパイっぽく行こう」


 目的だけを決めて、過程はすべて即興。敵も味方も混沌に陥る。氷月が好む仕事のやり方。


 だから、今も走り出してから目的地を守恒に訊いた。


「どこへ行けばいいと思う?」

「まずは、スポーツクラブです。先輩とその家族がいる」


 併設されたカフェで、ちょっとした誕生会を開いているはずだという。


「感化者の連中は俺たちを狙っているわけじゃあないが、刺激しないように行こう」

「……はい」


 今にも駆け出したい焦燥を押し込むような声が返ってくる。氷月は、微笑んで言った。


行くぞ」

「……はい!」


 良い顔になった。己の身が危険になるというのに、随分嬉しそうな顔をする。


「露払いは任せろ、走れ!」


 非殺傷用とはいえ、銃を渡されたときは戸惑っていたものだが、駆け出してしまえば一直線。


 整然とした歪さ。氷月は暴徒たちを牽制しつつ、また不敵に微笑んだ。




※1 前拙作『おマツリ少女とSCP!アフター!!』の主人公の好物。こちらも読まなくて全然支障はないけれど、読んでいただけたら嬉しいです。


※※


 十数人が取り囲む高級外車は、見るも無残な形状ながら未だに運転手を守り続けていた。


「オラァ! 出てこい若月!」

「罪から逃げ切れると思うな!」

「死ねぇ! クソジジイ!」

「ぶっ殺す!」

「地獄に落ちろクズが!」


 何故か専属のボディガードや警護のSPまでもが加わっている。年齢も性別もバラバラな怒れる者たちからの執拗な攻撃に、元衆議院議員の若月わかつき志朗しろうは、既に生きた心地がしなかった。


 御年七十五歳と高齢でありながら、義務化された自動運転を切って走り、子供を轢き逃げした疑いで逮捕。


 そんな男が、まるで特権でもあるかのように、逮捕後、即、留置場から出てくるのみならず、性懲りもなく自分で車を運転していた。


 その目撃情報が、今の災禍を引き起こしたことなど、彼には知る由もない。


 受験も選挙も、黙っていても受かる。生まれたときからすべてがお膳立てされた、温室育ちの三世議員。今は四世たる娘婿が地盤を引き継ぎ、自らは悠々自適な党の相談役。


 本格的な競争や緊張感のある現場に晒されたこともない男が、初めて遭遇する修羅場。できることといえば、ただただ、身体中から汗、涙、尿を垂れ流すのみだった。


「ひぃ!」


 我を忘れた群衆の憎悪が叩きつけられる。情けない声が漏れる。


 分厚いフロントガラスがひび割れ、完全に割れた瞬間、とうとう若月は失神した。


「どうやって撃てばいいんですか!」

「狙って、引き金を弾く。大丈夫だ。急所に当たっても死ぬことはないさ」


 薄れゆく意識の中で、焦った様子のよく通るバリトンと、落ち着いた声が聞こえた。

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