恋の終わりと世界の危機

第22話 モブレイヴの真相

 突然の客に、守恒もりつねはシェアハウスを辞すことになった。真緒まおの五体投地が見られなくて残念だと言うと、枕が飛んできた。


氷月ひづきさん―――」

「車に乗ってくれ。中で話そう」


 何故守恒の居場所がここだと分かったのか、という問いは、なんとなく無駄だという確信があり、飲み込んだ。


「このアウディ、ボロボロですね」

「いろいろあってね」


 代わりにそう言いながら、守恒は氷月の白い外国車に乗り込む。


「自転車は明日取りに来ます。バイトの時間もあるんで、とりあえずシューメイカーってカフェに向かってください」

「ふっ。割と得体の知れない人間をタクシー代わりに使うとは。俺の見込み通りだね」

「それはどうも」


 氷月は以前同様のダークスーツ姿だったが、その立ち居振る舞いに、どこか疲れた様子もにじんでいた。


「何をしていたんですか」

「ちょっと太平洋の向こう側へ“モブ”を成敗してきたんだ」

「それは良かった」


 満足気な守恒、楽しそうな氷月。


「お話をいただければ、僕も加勢しに行きました」

「秘密組織に勤める俺が言うのもなんだが、君はこれ以上予定を詰め込んだら死ぬのではないかな」


 守恒のハードスケジュールは、エージェントにすら心配される。


「ところで、ショッピングモールの動画は拝見したが、アレも“モブレイヴ”だね」

「やっぱりそうですか。たった今、容疑者の潔白が晴れたところです」

「ほう」

「多大な犠牲を払いました」


 そういえば、一奈の性的指向を、一馬かずまは知っているのだろうか。腹違いの双子を産んだ二人の母親は。内緒だった場合、一奈はまた守恒を無理に“混ぜよう”としてくるのだろうか。


「憂鬱です」

「真実が常に気持ちのいいものとは限らないからね。分かるよ」


 妙なところで通じ合った二人。


「ここからが本題だ。先ほど言った“モブレイヴ”の震源について」

木瀬川ここって、どういうことですか。そもそも、“震源”ってなんですか」

「もちろん、すべて話すよ。そのために―――ん?」


 車に備え付けられた電話から着信があったようだ。肩耳にイヤホンをつけた氷月が言う。


「ドライブデートの最中に仕事の電話とは不躾だな。……ふむ、了解」


 通話はすぐに終了した。端的な会話。仕事人エージェントの顔。


「隣のH市の市街で“モブレイヴ”の発生を確認」

「え?」


 H市という言葉に守恒が反応する。今、坂ノ上さかのうえ姉妹と母親が会っているのも、H市だった。


「すまないが、話はまた今度―――」

「僕も行きます」


 氷月の目には逡巡が浮かんだ。それに向け、守恒は言う。


「僕はモブじゃない」

「OK、責任は上司に取らせよう」


 めちゃくちゃなことを言って、氷月はアウディの自動運転を解除。公道を制限70㎞/hオーバーで駆けるべく、アクセルを踏み込んだ。


※※


孤独の世界ソリチュード・ワールド?」

「我々はそう呼んでいる。こことは別の次元、別の宇宙から、“それ”はやってきた」

「それって?」

「お化けだ」

「お化け」

「そう。簡単に言ってしまえば、その“お化け”が憑りついた人間が、この大騒動の“震源”。“モブレイヴ”とは、そのお化けの影響が感染し、拡大した結果だ」


 氷月は解説するが、正直、守恒は彼の命知らずなハンドルさばきのせいで、話が半分しか入ってこない。


「そいつが、“扇動者”の親玉ってことですか―――あっぶなっ! 今! 大型トラックが! ギリギリでかすめて!」

「そうだ。人間の意識から、“個”を塗り潰し、操り人形の兵隊へと変える。モブレイヴあれに触れた君なら分かるはずだ。に染まった姿を」


 人間的な複雑に絡まった感情がない。

 浅く、直線的な憎悪。

 他者の言動に振り回され、追随するだけの、モブ。


「僕の敵だ」


 危険運転に多少上ずっていた声が、低く、よく通るバリトンに戻る。


「なかなか、いびつな在り方をしているね、君も」

「なんです?」

「君はやはりモブじゃないなって話さ」


 氷月は言いながら、ようやくギアを落とし、ブレーキに足をかけた。地獄のドライブが終わろうとしていた。


「なぜ、こんなことが起こるんですか」


 そして、そこかしこでサイレンが鳴り、悲鳴が上がる鉄火場に到着した。


「ソリチュード・ワールドからやってきた“お化け”は、他人が怖いのさ。やっこさんの世界には、“個”の概念がない。知らない世界の知らない文化に触れて、戸惑っていらっしゃるというわけだ」


 その結果として、自分以外の他人を操る力を振るう。はた迷惑にもほどがある。


「とある有名な作詞家が『寂しさは愛する者と手を繋いでやってくる』と言っていた。個を持たない究極の孤独の中では、寂しさもない。“お化け”は、今、生まれて初めての感情に恐れおののいている。どうにかして見つけ出し、のが、俺の任務だ」


 車が完全に停車し、氷月が降りる。守恒もそれに続き、改めてH市の惨状を見る。


 地方都市特有の街並みだった。

 没個性的な家々の住宅街。

 駅前のさびれた商店街。

 スーパーマーケット。

 小中学校。高校。


 それらを守恒は“モブ”と呼ぶことはない。そこに、それぞれの意思で生きる善良な人々の息づかいがある限り。


 だが、そこに跳梁跋扈ちょうりょうし、暴れ回っていたのは、紛れもなく守恒の“敵”だった。


 大きく破損したコンビニのガラス。

 交差点で起こった玉突き事故。

 横倒しになったバス。

 逃げ惑う人々。

 泣き声。

 叫び。


 「どこだ! どこにいる!!」と、言語明瞭意味不明瞭な怒声を上げる暴徒。


 モブ。


 守恒は湧き上がる怒りを抑えるべく、益体のない質問をした。


「氷月さん。あなたの組織ってなんなんです?」

「言ってみれば、我々は“こことは違う宇宙”と繋がった門を監視し、時に修正する調停員。有り体にいえば秘密結社だね。正義の味方とでも名乗っておこうか」


 氷月の答えに、守恒は笑った。笑えた。落ち着けた。


「行きましょう、氷月さん。先輩たちが危ない」

「仰せのままに、墨守恒しゅじんこうくん」


 災禍の中へ、二人は踏み出した。

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