第16話 東亜からの招待状

 守恒もりつねの昼食を食べる場所は決まっている。


 咲久さく一奈かずながいる女子サッカー部の部室。


 絵斗那えとながいるPC室。


 そして今日は、河川敷でシートを広げていた。空は快晴。雲一つない暖かな午後。


「わたくしたち以外、学生さんはいらっしゃいませんね」


 ランがきょろきょろしながら言う。小さな子供たちや、釣り人や、ラジコンを飛ばす音が聞こえるが、木瀬川の生徒は二人だけ。


「一応、人を誘ったこともあるけど、目立ちたくない、なんてモブみたいなことを言われて断られたな」

「そうですか。でも、ひとりぼっちは少し寂しい気もするし、恥ずかしい気もします」

「寂しいならしょうがない。恥ずかしいのも分かる。でも、それをやらない理由にしちゃいけないよ」

「守恒様は、強い方ですね」

「違う。気を張ってないと、僕はまたすぐにモブに逆戻りだから」

「う~、またモブって言葉が出てきました……」


 いつもだと、そこから守恒お得意の“モブ嫌い”大演説がぶち上がるが、付き合いの浅い後輩に自重する程度の遠慮は、身に着けていた。


「守恒様は、いつも涼風さんの分まで作って差し上げているのですか」

「仕込みのついでだし。手間じゃないよ」

「涼風さんが、あなたをお兄さんと慕う理由が分かりました」


 のどかな昼食の時間が過ぎていった。


 お嬢様とはいえ、巨大な重箱に入った豪勢な弁当などではなく、可愛らしい箱に入った庶民的なおかずを上品に食べ終え、ランが言う。


「守恒様、そろそろ、用件をお伝えいたします」


 守恒も食べ終わっていた。


「墨守恒様。東亜民援わたくしたちは、あなたを、祖父が主催するパーティにご招待いたしたく存じます」

「パーティ?」

「はい。日本と東亜の交流事業の一環でございます」

「なんで僕を」

「事務局長であるわたくしのおじいさまが、あなたを大変に気に入られまして」

「気に入られるようなことをした覚えはない」

「“ユビサキ”です。守恒様」


 守恒が、東亜のスタジアムで熱唱した日本の歌謡曲。


「はるばる国交のない日本からロシアを経由してやってきた守恒様の“独唱”に、おじいさまはいたく感動されました。素晴らしい愛国心だ。閉鎖的な我が国が見習うべき人間だって」

「エトが喜びそうな言葉だけど、僕はそんなんじゃないよ」


 寸余りの袖を振り乱す男装の少女が目に浮かぶようだ。


「分かっています。この二週間余り、守恒様とお話しして、よく理解しました。なので、これは友人としてのお願いです。大変不躾ですが、守恒様に、“ユビサキ”を交流会のステージで歌っていただきたいのです」

「僕が歌うの?」

「はい。“ユビサキ”は、東亜と日本の音楽家が共作した歌ですし、守恒様の名はニュースにもなっています。日東の交流を深めるのに、これ以上の方はいません」


 言われた守恒は日々、ニュース番組を観たり、新聞を読んだりする暇もなく、行き急いだ生活をしている。実感のない話だった。


 だが、それはそれとして、“友人”の頼みをむげに断れるはずもない。


「うう~ん……」

「やはり、だめですよね」

「いや、正直、ちょっと乗り気ではあるんだ」

「そうなのですかっ!」


 ランの表情が華やぐ。


 彼女の話を聞いて、守恒は思い出したのだ。以前、退学勧告の署名が集まったとき、薬利くずり生徒会長と「自分の存在を証明する」といったような約束をしていた。


「モブ共に見せてやるには丁度いい機会だ」

「はぁ……? 守恒様のおっしゃっていることがたまに分からなくなりますが、こちらが手前勝手に設定した舞台。良いように使っていただければ」

「でも、心配なことがあって」

「なんですか」

「坂ノ上先輩のこと。詳しいことは言えないけど、できれば傍にいたいんだ」


 あの“モブレイヴ”以来、咲久に“発作”は出ていない。薬利真緒も、妙な動きはしていない。だが、事態が動かないからといって、自然消滅したわけでもないだろう。


 ランの目に、一瞬、寂寥せきりょうの影が差した。


「守恒様にとって、坂ノ上様は、大切な方なのですね」

「そうだね。だから、ごめんな、ラン」

「いえ、それは構わないのです。それ以上に残念に思ったのは―――あの、少しわたくしの話をしてもよろしいですか?」

「うん」

「ありがとうございます。日本対東亜の会場に、実は、わたくしもいました」

「そうなんだ」

「メインスタンドの、一番高い席でしたけれど、貴方の声は聞こえました」

「自分でも思った以上に響いてびっくりした」

「うふふ。素敵な歌声でしたよ。それに、敵チームの応援なのに、とてもワクワクしました。―――憧れました。たった一人の応援団なんて、すごいなぁ、どんな方なのかなぁって」


 喋るごとに、ランの顔がどんどん赤くなっていく。


「変な時期に木瀬川高校へ編入したのは、もちろん偶然ではありません。おじいさまが「あの少年をパーティに呼ぼう」とおっしゃったとき、会ってみたいと思ったのです。それで、あの……」

「うん」

「思った通り……素敵な方でした」

「そっか。それは良かった」


 完全に茹だった表情で放たれた言葉だったが、返答は、それだけだった。ランは少し拗ねたような声を出す。


「もう、あなたの話ですよっ?」

「分かってるよ。安心したんだ。僕が、モブじゃなくて」

「言葉の意味はよく分かりませんが、守恒様が嬉しそうでなによりです」

「うん。で、何が残念だったんだ?」

「はい、せっかくわたくしの気持ちをお伝えしたのに、もう、守恒様には恋人がいらっしゃたのが、残念という意味です」

「え?」

「え?」


 守恒とランの顔に、同じく疑問符が浮かぶ。


「僕は、坂ノ上先輩と付き合ってないよ」

「そうなの!?―――はっ! 失礼いたしました」


 いつもの丁寧語が思い切り外れ、声のトーンも上ずったランが言う。


「そうですか―――それは、なんというか―――ええと、うん」


 言葉を探しながら表情をくるくると変えるラン。


「朗報です。まだわたくしにも、チャンスがあるということですよね?」

「言葉の意味はよく分からないけど、ランが嬉しそうで何よりだよ」


※※


 一方その頃。PC室。


「むむむむむ」

「何がむむむですか。河川敷にドローン飛ばして覗き見するくらいなら、絵斗那えとなさんも行けばいいじゃないですか」

「君はどうなんだシューメイカーさん。わざわざ調べ物があるなどと嘘を吐いてPC室まで来ておいて」

「嘘じゃないもん。ちょっとランを義姉あねと呼べるか確認するだけだもん」

「既に小姑気分じゃないか。それと、シューメイカーさんは知らないのか」

「なにが?」

「ひきこもりを太陽の下に出すと、溶けて消えるのだぞ」

「Oh,Jesus Christ...」


 意外な仲良しが形成されつつあった。

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