揺動する世界
第15話 ランと守恒
『カフェ・シューメイカー』の主力商品は、コーヒーでもサンドイッチでもなく、ハンバーガーである。野菜など一切入っていない、脂質糖質の暴力みたいなアメリカンバーガーを、まさにアメリカンメタボリックの象徴みたいな巨漢ロバートが、丁寧に一個ずつ作る。説得力は抜群である。
守恒は、未だにハンバーガー作りを任せてはもらえない。毎日練習はしているのだが、師匠の許しはなかなか出なかった。
「味は悪くない。あとはスミス自身の貫禄だね」
「ボブ。だとしたら、僕には一生無理なのでは?」
約百キロの増量はいくらなんでも酷である。そういう話ではないのだろう。店の“顔”が作るからこそ箔が付き、県外や、時として海外からもお客さんがやってくるのだ。
ともあれ、今日も今日とて夕方の営業時間は刻々と過ぎ、守恒はバーガー以外の部分でキリキリと働いていた。
そこに最近、新しい常連の相手が加わった。
「こんばんは、守恒様」
「いらっしゃいませ。ようこそ。席は奥のテーブルが空いてるからね」
「はい。ハーブティ、いただけますか」
「かしこまりました。少々お待ちください」
守恒ら一同
「お待たせいたしました。あと、これはマスターからのサービスだって」
「まぁ! ケーキですか、ありがとうございます。とっても嬉しいです」
「今日はお客さんも少ないから、ゆっくりしていって。
「お忙しそうでなければ、お話ししたいです」
「分かった」
最初はとんでもない奴が来たと思ったものだが、ランは素直で明るく、それでいて落ち着いた性格の少女だった。初対面の次の日には早くも店にやってきて、守恒や涼風らと打ち解けていった。
学校では涼風と同じ文芸部に入ったらしい。木瀬川高校で最も緩く、週に二日くらいしか活動しない部だったが、涼風は友達が増えて喜んでいた。
「涼風?」
「なぁにお兄ちゃ―――守恒さん?」
部屋のベッドで完全にだらけ切っていた妹分に、ランが来ている旨を伝えると、慌てて飛び起きた。
「五分くらいしたら降りてくるって伝えとくからな」
「うん、ありがとね!」
といったようなことをランに伝えると、やはり「涼風さん、別に気にしませんのに」と、返ってきた。
「そういえばさ」
「はい?」
「僕への用件はまだ言わなくていいの」
初対面時に「後で」と言われていた件について、まだ伺われていなかった。
「う~ん……忘れていました」
ここはズッコケておくべきだろうかと思っていると、「嘘です」と即、訂正が入った。
「こちらに来る口実が、無くなってしまうのが嫌だったのです」
「そんなこと気にしてたのか。ランの家、近くなんだろ?」
彼女は近所の少し大きなマンションで一人暮らしをしていた。通いのお手伝いさんもいるらしい。流石に黒光りの車で登校するほどではないが、ここで少し遅くなると、「迎えに行きましょうか」と連絡が入る程度にはお嬢様だった。
「いいえ、口実というのは、お店に来るためのものではなくて―――」
一瞬、言い淀むような間があってから、ランは、
「守恒様にお会いするための、です」
と言った。
直後、慌ただしい足音。
「お待たせ、ランちゃん!」
“正装”してきた涼風がやってきた。
「ま、いいか」
少し引っかかるところもあったが、サービスで出された小さなチョコケーキを楽しそうに分け合う二人の女子に、守恒はそう独りごちた。
※※
またある日の放課後。サッカー部の練習中。
「守恒様。私にもお手伝いさせてください」
「本当に? なら、今度の日曜日、練習試合についてきてもらってもいいかな」
「はい! では、またいつもの時間、お店にお邪魔いたします」
「そんなに毎日来たら、僕なら破産だな」
「うふふ。わたくし、ちょっといいとこの子なんで」
「自分で言うといいとこ感がなくなるな」
「ですね」
笑い合う。守恒が時計を見る。そろそろ、バイトの時間。
「あの、守恒様。どうせ、お店に伺うので……いっそ今日は、一緒に帰りませんか?」
「それもそうだな。いいよ」
「やったぁ。同伴出勤です!」
「どこで覚えた。僕もよく知らないから指摘しづらいな―――自転車通学?」
「いいえ、徒歩です」
「健脚だね」
「それほどでも―――朝と夕方にここの堤防を歩くの、好きなんです。太陽が川面に差して、綺麗で」
「分かるよ。じゃあ、僕も今日は歩こうかな」
「後ろに乗せて頂けないんですか」
「僕のこの柳のような腕でできるとでも?」
と、すっかり気の置けない様子で談笑する二人を、見つめる目。
「
「そんで今から下校デートときたか。とんでもない
「咲希さんもそう思う? ヤバいよね。あの落ち着いた顔、高一で既に可愛いを通り越して、美人の域に入ってるもんね。それでお嬢様なんでしょ。うわぁ、ド級の下ネタで顔真っ赤にさせてぇ」
「
「咲希隊長、あの
「まだ一年の貯金はある。けど、ガリガリ減ってる。
「同感であります」
一奈と咲希が、揃って目を練習場に向ける。咲久は珍しく真面目に練習していて、親交を深める守恒とランを一顧だにしていない。
「デートのあと、咲久が体調を崩したのは痛恨だったな。ツネ様ハウスにお呼ばれしてたんだろ」
「でも、あの後、『守恒語り』がまた増えたけどね。もうあいつン中でミュージカル映画の王子様になってるから」
「それを! 本人に! 言えっつうんだよ!」
「同感であります!」
「監督! 一奈!」
試合でしか使わない大声を上げる咲久。
「何サボってんの! 大会までそんなに時間ないんだよ」
「「おめぇに言われたくねぇよ!!」」
「ふぇっ!?」
世界と、守恒の周りの世界が、慌ただしくなってきていた。
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