第14話 東亜のスパイ
それから一週間、
彼は勤労高校生である。生活費の内、
ほぼ毎週六日間、店のオープンと夕方の勤務、クローズ作業を合わせて約七時間の賃金労働。
それに加えて学業、部活動、友人たちの交流。
スケジュールはパツパツで貯金はカツカツ。中三の時からそんなことをやっていたので、先日ついに風邪という名の過労でダウンした。
「お前って、『アズカバンの囚人』のハーマイオニーよりちょっと暇なくらいだよな」と、担任の教師からは言われた。気になって読もうとしたら三巻だった。仕方なく一巻から読んでいたら睡眠時間が削られてしまった。
ともかく、守恒は多忙で、、そこに“モブレイヴ”などというけったいな世界的事件を加える余裕はない。
守恒はそんな時どうすればいいかを知っていた。
目の前のことに、集中する。それに限る。
「おらおらおらおらおらァ!!」
「ひぃっ!? ちょっとお姉ちゃん、そっちの足で削りにくるの、どう考えても危ないよね!?」
「当たらなきゃ死にゃあしない。だから死んでも奪われるな妹よォ!」
「めちゃくちゃだよぅ!」
今日も今日とて、女子サッカー部の監督で義足の超人・
「あまり新入部員をドン引きさせて欲しくはないんだけどなぁ」
呟く守恒は新人マネージャーに後を託す。
「じゃあ、今日は頼んだよ、エト」
「任された」
言葉の勇ましさとは裏腹に、
今日は少し余裕を持って帰りたかった。なので、以前言われた通り、絵斗那を頼ることにしたのだ。生まれたての小鹿のようだが。
大丈夫かな。大丈夫だろう。適当に結論付けた守恒は、もう一人の助っ人にも声をかける。
「
「言うな。人に物を頼むときはもうちょっと横柄にしやがれ」
「そんな―――」
「そうなんだよ」
ぴしゃりと言い放つ一馬。
「ツネ、いいから、俺たちにもっともたれろ」
「もたれろ」
語彙に無い言葉を聞いたように、守恒はオウム返しにする。
「結構いろんな人にもたれかかってる気がするけどな」
「もっとだ」
「もっとか」
また一馬の言葉を反芻して、守恒は河川敷グラウンドの光景をゆっくり眺めた。
超高校級妹とサイボーグ姉の超人サッカーにドン引きしている部員たちの面倒は、部長の一奈が見ている。
去年は、ほとんどゼロから、なんと全国まで行った。が、優勝はできなかった。そして今年。戦力はまったく落ちていない。指導者も健在。ならばあとは、十分なバックアップ。年中繁忙期の高校生一人では、手が回らない。
だから、友達に頼ることにした。
そうしたら、快く引き受けてくれた。
二人もだ。
十分だと思ったが、もっとか。
「守恒さんっ!」
両肩に、体重がかかった。居候先の長女の声と、匂い。
「今日は早いんでしょ。一緒に帰ろうよ」
「おんぶでか?
「うーむ」
「悩んでくれるな。僕には無理だ」
「知ってる。さ、行こっ」
涼風に手を引かれ、「じゃあ、僕はお先に失礼します」と、河川敷全体に響くような声を通す。
日常が、戻ってきていた。
そして、涼風と共に、帰路につく足を一歩踏み出した瞬間。
「ここにいたアルか! 我が祖国に足を踏み入れた日本人ッ!」
お早いお帰りの非日常が、堤防の上から守恒たちを見下ろしていた。
「誰だ?」
「にひひ。アタシは、ラン・モオだ!」
「あれ? あの人……今日、私のクラスに転校してきた子だ。モオさんでしょ? その恰好どうしたの?」
「え? ええ~っと……ワハハハハ!」
東亜の伝統衣装に身を包んだ少女が、クラスメイトの疑問に高笑いで返答する。長い長い黒髪をたなびかせ、言う。
「アタシは東亜から送られてきたスパイアルよっ!」
そして、守恒をビッと指差し、言う。
「墨守恒ぇ! 貴様を拉致するアル!」
沈黙。醒め切った静寂。
「すげぇな、こいつ。中華系への偏見に満ちた語尾。敏感な政治問題を冗談にする。言うに事欠いて自称スパイって」
「面白いと思ったんだろうか。まったく笑えんぞ」
「学校では普通に制服だったし、普通に話してたじゃない」
一馬、絵斗那、涼風から順番にそう言われた自称東亜のスパイは、そろそろと河川敷に降りてきた。
「……すんません」
そして、蚊の鳴くような声でペコペコ頭を下げた。困惑する四人。一馬が、辛うじて口を開く。
「いや、俺らに謝られてもよ。何がしたかったんだ、お前」
「何事も始めが肝心と思いまして、ハイ」
「それで作ってきたキャラでダダ滑りしちゃ世話ねぇな」
「その通りでごぜぇます」
猫背で揉み手をせんばかりの体勢。これはこれでキャラ立ちは成功しているのでは、と思いながら、守恒は言う。
「で、ラン・モオさんだっけ」
「あ、はい。漢字で書くとこうなります」
すっかり小物と化した少女が、タブレットを取り出し、電子学生証を見せる。そこには『県立木瀬川高等学校一年・蘭墨』と記されていた。
「へぇ、僕と同じ名字なんだ」
「なんてうらやま―――じゃなくて、すごい偶然だねぇ」
いつの間に姉から逃げてきた咲久が、会話に加わる。
「ひょっとしたら、遠い親戚かもしれやせんね」
「うん、いいからその三下口調やめろ。アルも禁止な」
「へい。それでは―――」
ランが、口調を丁寧なものに切り替える。
「墨守恒様、
「うん。渡航するとき、少し世話になった」
東亜民族支援事務局。日本の東亜人を支援し、実質的に纏め上げている組織だ。東京に大きなビルも建っている。
「それが僕に何の用だ」
ランは、エキセントリックな最初の印象から考えられないほど優雅な笑みで言った。
「いえ、本日は守恒様へご挨拶をと思っただけですので。用件は、また日を改めて伺います」
「様はやめてくれ。極端な奴だな」
「いえ、この呼び方が楽なのです。家で躾けられました。なので、守恒様と」
また、違う呼び名だ。そのうち『守恒殿』とか『守恒どん』とか呼ぶ奴が出てきやしないかと、守恒は無駄な心配をする。
「ランはお嬢様なのか」
「それは分かりませんが、わたくしは、事務局長の孫です」
「マジか」
日本在住東亜人のボスが祖父だという。十分にキャラが立っていた。
「お騒がせして申し訳ございませんでした。シューメイカーさん、これに懲りず、仲良くしてくださいね?」
「あ、はい。うん」
急に放ち始めたお嬢様オーラに立ち遅れた涼風が曖昧な返事を聞き終えてから、失礼いたします、と深々と頭を下げ、ランは去って行った。
※※
「
その声は面白そうに言った。
「何だか、“ヒロイン”が揃ったようだね、
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