第13話 絵斗那と守恒

「うむ。検索結果は私のブログだけだな」

「つまり、“モブレイヴ”って言葉は、エトのブログのコメントに書かれる以前はなかったのか」

「もう少しアングラでディープなところならあるかもしれない。行ってみるか」

「いや、エトのネット弁慶が炸裂しそうだから遠慮しとくよ」

「なんだと貴様」


 月曜日。木瀬川高校のPC室。絵斗那えとなは頑張って三限まで教室にいたが、そこでギブアップだった。今は昼休み。昼食を終え、根城で回復しつつあった。


氷月あのひとか……?」


 錐のような細面。霧のような雰囲気。


「どうした、墨」

「いや……今日はちゃんと働かないとな。東亜行きで、スッカラカンだ」


 それでも、守恒もりつねの声は晴れやかだ。絵斗那は、その横顔を見つめながら言った。


「そこまでしてくれて、坂ノ上先輩は幸せ者だな」

「そうかな。僕がいなくても、あの人はちゃんと活躍してたよ」

「そういうことじゃない」

「じゃあ―――」

「こういうことだ」


 守恒の声に被せるように、絵斗那が言った。同時に、一本の動画が液晶に表示される。動画タイトルは『一人フラッシュモブ!?突然歌い出す高校生』だ。同様の動画が、いくつもアップロードされていた。


「気に入らんな」

「まぁまぁ。Good評価の方が多いじゃないか」

「そうじゃあない! これだ!」


 鋭い声で、守恒がタイトルを指差す。“フラッシュモブ”の部分。


「僕はモブじゃない」

「そこか。いや、薄々そうじゃないかとは思ったが」

「僕はモブじゃない」

「分かった分かった」


 絵斗那は、「モブ共め。訴えてやろうか」などと息巻いている同級生をあしらいながら、それでも動画を止めなかった。


 ―――いいなぁ。と、率直に思ってしまう。


 こういう劇的な光景は、絵斗那の物語になかった。


 とても普通に助けられ、今も普通に助かっている。


 男装をしている理由は、いろいろあって一言では表せないが、一番は、安心感だ。


 絵斗那は、絶望的に丈の余った男子用制服の袖を、口元に持ってくる。同年代の平均を下回る身長が伸びるわけでもないし、細い手足から強烈な拳や蹴りが放てるようになるわけでもない。なのに、安心する。人混みも平気―――ではないが、家から百メートル先に行くことにも難儀していた頃とは比べ物にならない。


 だから、絵斗那にとって男装とは、趣味嗜好の域を超えた死活問題だった。家から近いこの高校に通えないとなると、残された選択肢は限りなくゼロに近い。


 しかしながら、自身の困難や思いをすべて口にするには、絵斗那はあまりにも人見知りで、軽んじられやすかった。


 性懲りもなく学ランで登校したが教室には入らせてもらえず、保健室で養護教諭に慰められる一日を過ごして帰る途中のことだった。


 歌が聴こえた。


 夕景の木瀬川高校河川敷グラウンド。そこに響くアカペラのバリトンが、絵斗那を釘付けにした。


「実家を出て、学費を自分で払ってる子がいる」と、養護教諭から教えられたときは、いくら授業料無償とはいえ、そんなまさかと思った。


 さらに、2030年の日本で、何の携帯端末も持っていないと聞き、都市伝説レベルの希少種じゃないかとさえ思った。


 実在した。

 こいつだ。

 何故だか、直感した。


 まぁ、一つの普通科高校に、おかしな人間が二人も三人もいて欲しくない、という切なる思いだったかもしれない。自分も含めて既に二人なのだし。


 ともかく、墨守恒とはそうして出会った。正確には、彼が咲久の押しかけマネージャーになる顛末をボーっと見つめていたら、向こうから話しかけてきた。


「やっぱり女子だった。サッカー部、入らないか?」


 運動は苦手とか、男装について訊かないのかとか思ったが、何も言えず、その場は逃げ去ってしまった。


 翌日、何かを期待してもう一度登校した。朝の部員勧誘に勤しんでいた守恒は、すぐに自分を見つけた。


「昨日は自己紹介もせずにごめん。僕は墨守恒」

「あ、あの―――」


 つっかえながら、この格好のことや、困っていることを話した。


 話し終えると、彼の顔色が変わった。「教師がモブとは、世も末だ」などと意味不明なことを言って姿を消す。


 数時間後、絵斗那の男装が許可されていた。


 あの有無を言わさぬ説得力の声で、立て板に水の如くまくし立てたそうだ。守恒はグラウンドの次に職員室で伝説を作った。


 かくして、絵斗那は、救われた。


「はぁ……」


 そして、一年が経った。守恒と咲久の物語を眺めるばかりの。


 守恒はつまらなさそうに動画のコメント欄をスクロールしている。


「あ」


 と呟き、手を止める。


『その調子だよ』


 そう書かれた文字列に見入っている。


「何か気になることでもあるのか」

「いいや、殺害予告がなくて安心しただけだよ」

「ひっ……」

「あははっ。また、襲撃されちゃうかな―――あ、ごめん」

「……そんなに怖い顔になっていたか」

「三限目直後みたいな顔になってた」


 死にそうな顔だったか。情けない。


「墨、私が言うような義理ではないが。あんまり……危ないことは、しないでほしい」


 語尾が弱く消えていく。


 弱いのは嫌だ。でも、この人の前なら、自分を少し許せる。


「義理が無いなんて言うなよ。友達甲斐の無い奴だな」


 守恒はそう言って、絵斗那の頭にポンと手を置く。


「……」


 子供扱いも本当は嫌。でも、同じくらい心地いい。先ほどまでの不安と恐怖が、彼の掌によって剥がされていく。


「でも、約束はできないんだ。ごめんな、エト」

「気にするな。この国に生まれた誇り高き民として、当然の気概だ」

「それは知らないけども」


 次も、守恒は決してためらわないだろう。この男の言い方を借りるなら、『モブにならないために必要なこと』だから。


「墨、私は弱い。国を愛することはできても、護ることはできそうにない」

「うん、エトが守る必要も、愛する必要もないけどね?」

「だが、いつまでも助けられっ放しは民族の沽券こけんにかかわる」

「日本男児として?」

「女子だが、まぁ、そんなところだ」


 ……ええっと。守恒こいつが茶々を入れるせいで、言葉が渋滞してしまう。


「むぅ~……。墨ッ!」

「ん?」


 絵斗那としては守恒の一喝ばりに凄んだつもりだが、げに恨めしきミニマム級の身体と声。


「何かあったら私を頼れ」


 弱く小さな自分。何の役に立つものか。


 でも、守られっぱなしは、いやだ。


「……ふふっ」


 思いつめた絵斗那に向かって、守恒は笑った。


「こら! それは流石に傷つくぞ! 学校内ひきこもりになるぞっ!!」

「モブっぽくなくて面白いけど、バカにしたわけじゃないよ」


 どうやら、つい昨日も咲久から同じようなことを言われたらしい。また先んじられたか。


「は~、僕は幸せ者だなぁ」

「……ふん。それは―――」


 それはこちらのセリフだ。と続けようとした言葉は、午後の授業を告げるチャイムによって遮られた。


「じゃあ僕は教室に戻る。エトも、ネット弁慶はそろそろ卒業しなよ」

「うるさいぞっ!」

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