第12話 デート終了

 ショッピングモールを出たところにある幼児用の広場に、夕陽が差し、夕闇が迫っていた。


「先輩、今日どうやってきました?」

「お姉ちゃんに送ってもらったけど」

「そっか。なら、一緒に帰らなきゃですね」

「どうしたの?」

「いや、これから僕の家に来ませんかって言おうと思ってました」

「……ッ!」


 今日何度目かの絶句。動け、動かんかポンコツの口め。


すみくんの……お家に……お呼ばれしちゃっていい、の?」

「あ、違う! そうじゃないです!」

「違うの!?」


 やっとの思いで紡いだ言葉に、守恒もりつねにしては珍しい慌てた声が返ってきた。彼が焦ると、咲久さくはパニックだ。


「やっ? やっぱりだめだった!? そんなぜんぜんごめんねなんでもないから―――」


 あわあわする咲久に、守恒は困り顔で笑いつつ、言った。


「いえ、お誘いしたかったのはほんとなんですけど、じゃありませんでした」

「ふぇ?」

「あそこはシューメイカー家でした。居候先です」


 照れ隠しなのか、あははっ、と笑う守恒。咲久は頭一つ分低いところに向け、言う。


「墨くん。そういうとこ」

「はい?」

「良くないよ。あそこは、君の家だよ」

「……」

「行こうかな」

「いいんですか?」

「涼風ちゃんたちにご報告しなきゃ。墨くんが寂しいこと言ってましたよって」

「―――お手柔らかにお願いしますね」


 眩しそうに咲久を見上げる守恒。主導権がすっかり移っている。


「うふふ。どうしよっかな~」

「先輩も、そういうとこですよ」

「なにが?」

「肝心なところでは、絶対に、敵いっこないなって」


 また、あの顔だ。咲久は守恒の苦笑しているような泣いているような表情に、胸が締め付けられる。


 でも、暖かいものも感じた。


 気の小さい咲久じぶんとは違って、物怖じしないし、優柔不断じゃないし、とても頼りになる。


 なのに、どういうわけか守恒このひとは、あまり自分に自信がないのだ。そんな彼の一面を、今日は見られた。少し寂しい。それと同じくらい、嬉しい。


「じゃあ、ときは、私を助けてね。今日みたいに。それで―――」


 それに続く言葉はすらすらと出てきた。


「本当に大事なときは、私があなたを助けてあげるから。ね?


 名前呼び。今まで何度も挑戦しては失敗してきたのに。守恒はまた少し驚いたようだが、すぐに微笑んでくれた。


「―――はい。よろしくお願いします、坂ノ上先輩」

「よろしいっ。それじゃ、お姉ちゃんと一奈に伝えてこよっかな」

「そうですね。で、先輩」

「ん?」

「手はこのまま繋いでても?」

「―――!」


 指の絡みがぎこちない、右手左手の結び目を、咲久はじっと見つめる。


「僕はいいんですけど、先輩は―――」

「あわわわわわわわわわわ」

「ダメみたいですね」


 坂ノ上咲久。はポンコツ。


※※


 ステージは撤収作業が完了しており、一奈たちはいなかった。


「機材車で積み込みですかね」


 家の電話以外に連絡手段を持たない守恒が訊くと、「そうみたい」とタブレットを操作する声が返ってきた。


「僕も手伝わなきゃいけなかったですね」

「ふふっ。私も。あとで一緒にお説教され―――」


 と、そこまで言ったところで、咲久の様子が急変した。


「どうしました?」


 咲久の身体が、ただならぬ様子で小刻みに震える。


「いやだ、いやだ、いやだ……」


 顔色は蒼白。自分の身体を抱き締めるようにして、小さな声で呟いている。


「先輩?」


 守恒の呼びかけにも応じない。


 こんな咲久を、守恒は一度も見たことがなかった。だから、どうすればいいのかまったく―――。


 嘘だ。


 まったく同じではないが、似たような状況を、守恒は知っていた。


 仲間をすべて失ったとき。四面楚歌。孤立。今にも崩れ落ちそうになりながら、それでも毎日、グラウンドでサッカーボールを蹴り続けていた、強く儚いシルエット。


 そして、守恒はさらに気付いた。


 いつの間にか、自分たちが妙に注目を集めている。モールの客たちが、一斉にこちらを見ている。今にも倒れそうな咲久を気遣っているという風ではない。


 悪意。いや、それも違う。守恒は、この没個性的な表情に、見覚えがあった。


 学校の襲撃者。

 下らない政治家の言葉に“扇動”された、“感化者”たち。

 モブ共。

 自分を助けた謎の男。

 氷月ひづき

 モブレイヴ。


「うっ……。うぅ……っ!」


 いよいよ座り込んでしまった咲久。ひとまず、謎の集団精神疾患は頭の外に弾き出した。


 先輩はああ言ってくれたが、自分は、凡庸な人間だ。モブになりたくないなんて決めたところで、しかできない。せいぜい、誰よりも先んじて、しかなかった。


 咲久しゅじんこうにはなれない。


 じゃあ、なにができる。


 出張でばれ。

 行動しろ。

 恥ずかしがるな。

 恐れるな。


 それでいて、やったことの責任は全部引き受けろ。無い自信を振り絞れ。


 ―――歌え!


「先輩ッ!!」


 モール中に響き渡るほどの大声。唯一の取り柄。撤収の終わったミニステージに上がる。また出禁かな。上等。


 咲久が顔を上げる。涙で濡れていた。その顔に、守恒は微笑みを寄越した。


 大きく息を吸い込む。腹の奥まで空気を入れる。横隔膜を動かす。声帯が震える。マイクなど無い。いらない。


「―――You'll Never Walk Alone」


 深く、大きく、それでいて伸びのあるビブラートを伴った歌声が、咲久の涙を止めた。


 歌いながら、まっさらなステージを降り、咲久の方へ近づく。


 まるでミュージカル。いや、気分だけはそのつもりだった。大袈裟に身振り手振りも付けて。ターンも入れてやる。きっとカッコ悪いだろう。それでよかった。かっこいいのは、咲久このひとが担当だから。


 ―――だから、モブ共、。このド下手くそな歌と踊りを見てみろよ。アンタらに、これができるか。


 もしできるのなら、物陰から他人を腐すことしかできない“扇動者”の言いなりになるのはやめろ。そんな、森の中に隠れる木の葉のようなことはやめろ。


 そう思いながら、歌い終わった。目の前には、涙の痕をつけた笑顔。周囲の人間たちからも、能面のような敵愾心てきがいしんが消えていた。ただ、写真やムービーをめちゃめちゃ撮られている。おい、肖像権。


 ―――まぁいいや。


「先輩」

「なぁに?」

「このまま、カーテンコールでもやりましょうか」


 いよいよ破顔した咲久を認め、一安心。そして、


「どこにいるッ!!!!」


 と、また大声を出す。


 氷月の話が正しければ、咲久への悪意を、“扇動”した者がいる。敵はモブだけ。“扇動者”は敵ではない。が、説教をしてやらねば気が済まない。


 モブレイヴは、扇動者の意思とは無関係に起こるのかもしれない。だが、他者にいわれのない悪意をぶつける後ろめたさはあるはずだ。怒鳴られれば、反応する人間が必ずいる。


 見つけた。


「守恒くん?どうしたの、大きい声出して。それに怖い顔」


 咲久に無言で首を横に振りながら、守恒はその顔をしっかりと記憶した。


 木瀬川高校生徒会長。薬利真緒くずりまお


 去年、咲久を孤立させた首謀者。

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