第11話 デートは続く

 吹き抜けとなった通路の三階から、一階のベンチに座った守恒もりつね咲久さくが見える。


一奈かずな隊員、咲久たちなにやってる?」

「はっ。咲希さき隊長、ぐったりしている咲久を守恒が介抱しています。どうやら、さっきの店でピザを食べ過ぎたようであります」

「帰ったら説教。三時間コース」

「了解でありますっ!」


 デバガメを怒られる心配はなかった。これから、一馬かずまがモール内のミニステージでライブを行うのだ。


「今日もダメかな」


 咲希が左足の付け根辺りをさすりながら言う。雨の日は切断した部分が疼くらしい。一奈は、咲久とよく似た目が憂いを帯びているのを見て、言った。


「咲希さん……」

咲久あのこには、あたしの分まで背負わせちゃってるからね。サッカーだけじゃない、あの子が思う幸せってのも、掴んでほしいんだけど」

「その曇った顔、超エロいですね。撮っていいですか」

「お前も説教な」


※※


「ピザ屋で拍手貰ったの、生まれて初めてでした」

「言わないでぇ」

「サッカー選手を引退したらフードファイターで食べていけるのでは?」

「墨くん、食欲の止まらない卑しい先輩をいじるのは楽しいですか」

「すみません」


 咲久に瞳孔の開いた目で指摘され、すぐさま謝る守恒。


「墨くんは私の屍を越えて一馬くんのところに行ってあげてぇ」

「まだ血がお腹から脳に回ってない先輩を置いてはいけませんよ」

「うぅ~……これ絶対お姉ちゃんと一奈に怒られるやつだ~」

「ふふっ。泣かないでくださいよ。ほんとに、可愛い人だな」


 超情けない咲久を慰め終えると、守恒は手を差し出す。


「じゃあ、そろそろ行きましょうか。出禁の僕はかなり遠くから見ることになりますけど」

「……いい。自分で立てる」

「さすがは先輩」


 言って、ゆっくりと歩き出す。神ならぬ守恒には(なんっで! 私は! こういう時にいらん意地を張ってしまうのっ!!)と、咲久が内心で滅茶苦茶に後悔していることを知る由もなかった。


※※


 清涼飲料水のPRイベントも兼ねた一馬のミニライブは、客足も良く盛況に終わった。


 撤収の手伝いをしていた一奈から、「最後のチャンスをやろう。行け」と問答無用の指令を受け、咲久は守恒との本日最後となる二人きりの機会に臨んだ。


「墨くん、行こう」

「はい。どこへですか」


 そこで、はたと気付いた。


 ―――行けって、どこに?


 このありさまである。ほぼサッカー漬けの十七年間は、坂ノ上咲久という少女を、地方の純粋培養型恋愛偏差値一桁乙女にしてしまったのだ。


 思考回路が停止した咲久に、守恒が言う。


「その辺のお店、適当に回りましょうか」

「……うん、ごめんね、ノープランで」

「いえ」


 はぁ。今日だって行く場所はすべて守恒の先導だ。後輩に頼りっきり。部活でも、デートでも。


 そこでふと気付いた。守恒は、今まで女の子と付き合った経験あるんだろうか。


 ありそう。だってこんなにかっこいいんだもんなぁ(※咲久目線です)。


 元カノはいいけど、今カノはいて欲しくないなぁ。


 親友でチームメイトの一奈とは幼馴染だという。元アイドル。言わずもがな美人だ。あと、あの男子の制服を着た可愛い女の子、貝塚かいづか絵斗那えとなさん。自分と同じ、守恒に恩がある子。そして、一年生の涼風ちゃんとは一緒に暮らしている。うぅ……。


 もやもやとした気持ちが膨れ上がるままに、気付けば咲久は、こう口走っていた。


「墨くん、?」


 時が止まった。試合でもたまにある。ゾーン。でも今は断じて違う。


「…………は?」


 そして時は動き出す。守恒の長い沈黙を経て発せられた一文字の言葉によって。


「埋めて……私を埋めて……」

「先輩を埋めるには、結構おっきな穴が要りそうですね―――あ、すみません」


 守恒の言葉に、さらに沈み込む咲久。


「質問にお答えすると、彼女はゼロです。今も、今までも」

「う~、ほんとにごめんね」

「先輩はそれでいいですよ。慰めじゃない、本音です。先輩は“主人公”ですから。いざってときに、誰よりも力を出せる人です」


 主人公か。守恒は決して嘘やごまかしを言う人間じゃない。だから、咲久もその言葉を素直に受け取り、元気を出した。


 が、直後の言葉に耳を疑った。


「先輩に比べると、僕はすごくないからなぁ」

「え……?」


 守恒の表情。自信無さげな顔。


「そんなこと、ないよ」

「あははっ。ありがとうございます。でも、買い被りですよ」


 こういうところ、あるんだ。


 確かに、少し理想を押し付けていたかも知れない。この後輩の男の子を、まるで完璧超人かのように思っていた。


 それでも、自分を卑下した愛想笑いは、してほしくないなぁ。


 思うままに口を開いたら、止まらなくなった。


「墨くんは、毎日涼風ちゃん家のお店でお金を稼いで、生活費も学校のお金も自分で払って、家事も、ご飯だって作ってる。

 ―――学校だって、この間風邪で休むまで皆勤だったんでしょ?あれ、多分風邪じゃなくて過労だと思うよ。私たちのマネージャーまでやってくれてたんだもん。それも、ゼロから部員を集めたり、お姉ちゃ……監督に頭下げてくれたり―――

 あと、知ってるんだからね、私。墨くんが、たまに一人で河川敷グラウンドの整備と草むしりやってるの! すごすぎるよ! かっこ良過ぎるよ! なのになんでそんな風に言うのっ!!」


 口下手なのにたくさん喋ったせいで、最後は何故か少し怒ったような口調になってしまった。


「でも、先輩は、僕が意識しなきゃできなかったことを、最初からやれてました。いろいろあって、モブにはなりたくない。そう思ったとき、あなたがいたんです」


 こちらもやけに熱っぽい口調で、守恒が言い返してきた。


「いじめを告発するときに、自分もいじめてたって言える人はいません。僕だってできるかどうか自信がない。そんな、誰にもできない正しいことをしたのに、色んな人から恨まれて、それでも下を向かずに、一人で部活を続けてた。あんな風になりたいって、心から思いました。僕はあの時から、先輩のファンです。本当に、尊敬してます」


 こちらは口調こそ抑制的だったが、そもそも通りのいい声質がために、周囲にもよく聞こえていた。


「「……!」」


 二人とも気付いた。日曜昼間のショッピングモール。周囲の生暖かい視線。アニメグッズを大量にぶら下げた女性の一団など、手を合わせて「尊いのぉ」「ありがたやありがたや」と、こちらを拝んでいる。


 咲久と守恒は褒め殺し合うのを中断し、全速力でその場を走り去った。一旦モールの外まで移動して振り返ると、守恒が死にそうになっていた。


「先輩……速いです」


 女子とはいえ、代表クラスのサッカー選手の走力だった。


「あ、ごめん。でも―――」


 なんでついて来られたの、と言いかけて、自分と守恒の手が、いつの間にか繋がっていたことに気付く。


 いざってときは、か。


「……うふふっ」

「あ、雨、止んでますね」

「そーだねっ」


 弾んだ声を上げると、手を繋いだまま、雨上がりの黄昏を、二人きりで眺めた。

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