第9話 一奈と守恒

 十分後、守恒は、一奈が作ったおかゆを四分の一ほど残して、食事を終えた。


「ん。ま、食べれた方かな」


 また薬を飲んで眠くなった頭に、一奈のサバサバとした中に温かみを感じる声が反響する。


「もう寝る?だったら帰るけど」

「ああ、一奈も、帰りが遅くなっちゃうしな。今日は週末で実家に帰る日だろう」

「だから気ぃ遣うなっての。バカ」


 一奈の実家はのすぐ隣だ。ここから、バスに乗らないといけない。


「別に、私は運営の手伝いだから実家に戻る必要ないんだけどね。一馬と違って」

「僕も明日は行けそうにない」

「つーかアンタ、出禁でしょうが」

「そうだった」

「いくら熱あるっていっても、私にあんなことしたの忘れるなよ」

「言い方が悪いよ」


 倉本兄妹は、中学まで、世にも珍しい男女の双子アイドルユニットとして活動していた。高校からはそれぞれがソロ活動をしていたが、一奈は高二で引退。一馬は未だに週末男子高生アイドルとして活動を続けている。


 実は一奈の引退に関して、守恒は一枚も二枚も噛んでおり、そのおかげで一馬のライブにまで出禁を食らったのだ。


「あれはヤバかったなぁ」


 振り返るのか。守恒は少しげんなりとしながら、昨年の事件を思い返す。


※※


 倉本兄妹は、珍しい双子アイドルである以前に、非常に稀なでもあった。


 恐ろしい話だが、二人の父・倉本健吾氏の本妻と、浮気相手だった彼の従姉妹から同じ日に同じ病院で、ほぼ同じ時刻に生まれたのが、一馬と一奈だったのだ。


 偶然とはいえ出来過ぎ。否、守恒は疑っている。実は二人の母が結託して同時に産んだのではないか、と。


 その証拠に、倉本兄妹が「まーママ」「なーママ」と呼ぶ二人の母は、倉本家で仲良く同居している。一方、父・健吾氏は、遠くの外国でせっせと働き、の生活費と養育費、そして一日も住めていない持ち家のローンを支払い続けている。身から出た錆とはいえ、悪夢だ。


 そんな闇深な家庭のご近所さんだった墨守恒は、一つ年上の双子と、幼いころからよく遊んでいた。割とドン引きな事情だが、小さかったので、母親二人と双子の四人家族にも疑問は抱かなかった。


 一馬も一奈もきれいな顔をした子供だった。小六でオーディションを受けると、あっさりと芸能事務所に入り、中学からアイドルとしてデビューした。


 倉本兄妹のライブは盛況だった。歌や踊りもさることながら、MCが特に評判で、「今日は朝から快便だった」と言い放つ一奈を、一馬が慌てて諌めるやり取りがウケにウケた。事務所の大人たちが頭を抱えたのは言うまでもない。


 とはいえ、身体能力抜群のダンスと、日々精悍になるルックスが男女問わず愛された一馬と、可愛い顔で歌も上手いのに、口を開けば下ネタ大魔神な一奈のユニットは、中三の時点で、メジャーデビュー目前というところまで来ていた。


 そこで、一つのスキャンダルがすっぱ抜かれる。倉本家の闇が暴かれたのだ。


 地方の小さな事務所は、知名度が全国区に近くなった倉本兄妹のゴシップに苦慮した。二人の高校受験にかこつけて活動休止を決めたまではいいが、匿名のメディアで膨張した意見をコントロールできなかった。


 最も突飛で延焼したのが、「腹違いの双子が付き合っている」という話題。ただの恋愛スキャンダルですら危ういものに、兄妹だの腹違いだのと煽情的な要素が乗っかり、完全なカオスと化した。炎上は止まず、デマは好き放題、燃やしたい放題だった。


 事務所はユニットの解散を決定。一馬と一奈は、ソロとして活動することが発表された。そのとき二人は、木瀬川高校の生徒になっていた。


 目前だったメジャーデビューも立ち消え。また一からの出発となった兄妹はしかし、異口同音に「忙しすぎたので丁度いい」と、ファンが減ったことも意に介さず、アイドル活動を楽しんでいた。


 再出発から一年が経った日。一奈がソロで出演したライブハウスで、事件は起こる。


 守恒は思う。あれも“モブレイヴ”だったのだろうか、と。


 一人の観客が「今日は彼氏もライブだろ!」と野次った。彼氏とは、一馬のこと。つまり、双子恋人説のデマを拡散したがる愉快犯。もしくは、可愛さ余って憎さ百倍となった元ファン。ストーカー。


 彼の声に“扇動”された“感化者”たちが、ライブの進行を妨げるほどに騒ぎ始めた。先述したように、その日は他所で一馬のライブもあり、ただでさえ小さな事務所が人員を割けなかった。


 収拾がつかない。興行主がライブの中止を決めようとした瞬間、一人の観客が、ついにステージに上った。


 守恒だった。理由はもちろん、彼の筋金入りな“モブ嫌い”が怒髪冠を衝いたからだ。


「このモブ共がァ!!!!」


 性能の良いマイクがハウリングを起こし、スピーカーが飛ぶのではないかとPAを心配させた大絶叫が、ライブハウスに響いた。誰もが呆気にとられ、騒ぎは自然と鎮まった。


 たった一人、一奈だけが大笑いしていた。


「守恒のせいで、アイドル辞めることになっちゃったじゃない」

「異議あり。僕がライブ出禁になっただけで、一奈がアイドルを辞める筋合いはない。だから僕のせいじゃあない」


 守恒にとって恥ずかしい回想が終わったところで、キャンピングカー内で議論が始まった。


「ううん、アンタのせい。だって、守恒が来てくれないんじゃ、アイドルやってても楽しくないんだもん」

「嬉しいことを言って反論を封じるのはやめろ」


 そして、一瞬で決着がついた。


「私が泣いてたの、アンタ知らないでしょ」

「知ってるよ。僕のこと笑いながら、泣いてただろ」

「違う。泣いたのが先。さすがにもうこれ以上は無理って思ったときに、アンタが来てくれて。で、出禁覚悟の大絶叫」


 一奈はくすりと笑う。その目が心なしか潤んでいる。


「嬉しかった、よ!」


 少し溜めた語尾と共に、ぽん、と守恒の肩を小突く。


「ほんとに、あん時はありがとね、守恒」

「一奈……」

「今ならこいつに処女あげてもいいわって思ったね」

「台無しだよ」


 空気がどっらけた。


「あ、ちなみに今も処女だかんね」

「その辺にしておけよ一奈」


 下ネタ暴走機関車に釘を刺し、「添い寝したげよっか」と食い下がる幼馴染を帰らせ、一息つく。体調は、もうよく分からなくなっていた。寝よう。寝れない。


 キャンピングカー内のベッドで、思考だけが止まらない。


 アイドルを辞めた一奈は、それから間をおかず、女子サッカー部に入り、坂ノ上姉妹と共に暮らし始めた。


「暇になったから」などと言っていたが、本当の理由は違うところにあったのだろうか。

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