“ヒロイン”と“主人公”

第8話 守恒、ダウン

 目を覚ますと、間接が痛かった。喉が痛い。熱がある。風邪だ。


 キャンピングカー内に引いてある内線で、今日の仕事ができない旨を告げる(有給休暇)。


 学校への連絡は涼風すずかにやってもらう。持つべきものは義妹いもうと―――あ、ダメだ。頭のおかしなことを考えてしまっている。


 常備薬を飲み、昏々と眠った。


 夢と分かる夢を見た。熱に浮かされているとき特有の重い明晰夢。


 襲撃事件の放課後、警察からの事情聴取を終えたあとのことだ。再び、あの細いダークスーツを着た男・氷月ひづきが現れた。


 ※※


 錐のように鋭く、霧のように飄々とした男は、開口一番こう言った。


墨守恒すみもりつねくん、映画は好きかい?」

「ゴジラが好きです」

「素晴らしい。では行こうか」


 案内されたのは、風前の灯という段階をとうに超え、文化遺産の威光さえ放つ小劇場。二人以外、観客のいないスクリーンに映し出されたのは、無論というか、ゴジラではなかった。


「『ユビサキ』。君が、東亜のスタジアムで熱唱した歌だね」


 70年代の日本で生まれた歌謡曲“ユビサキ”は、日本人の作詞家と、東亜人の作曲家が、イギリスで意気投合し作られた合作曲だ。内容は、離れ離れになった男女のラブソング。口ずさみやすいメロディとシンプルなアレンジが両国で人気を博した。


 そして今、二人が眺める映画『ユビサキ』は、その曲を元に00年代に日東合作で撮られたもので、日本アカデミー賞も受賞していた。


「何で、この歌を歌おうと思ったんだい?」

「東亜国際空港からスタジアムに行く途中、タクシーのカーラジオで流れてたんです」


 東亜は外国の文化流入に厳しい印象があったが、こちらの国でも人気があるなら大丈夫だと思った。


「めちゃくちゃな勇気だな。俺には真似できないよ」


 苦笑する氷月だが、暴漢六人をあっさり片付けた腕っぷしなら大丈夫なのでは、と守恒は思った。


「僕が日本人だと分かったあとも、東亜の人たちはフレンドリーでしたよ。テレビで言われてるほど締め付けが強いとも思わなかったな。バックスタンドは統率されてたけど、カメラにほとんど映らない側は割と自由でした」

「見えているところは厳しく、そうでない場所は緩く、か。あまり日本こっちと変わらないね」


 ほかに観客もいないが、なんとなくマナーを守って低い声で笑い合う。


「試合が終わった後も、握手を求められて。「よく来たな」とか「日本は強いな」とか、言ってくれました」

「ほう。そんな国際交流が、あんな風に大炎上するなんてな」

「……モブレイヴってなんですか」


 今日の本題。氷月は、ポップコーンを一つまみしてから言った。


扇動型せんどうがた群衆化ぐんしゅうか症候群。まぁ、集団パニックの一種だが、ストレスが原因ではない。一人の扇動者に感化された人間が、次々と暴徒化し、やがて収拾がつかなくなる」


「“扇動”と“感化”?」


「今回は官房長官の発言だろうね。先ほど、事態を重く見て、火消しのコメントを発表していたよ。早晩、辞任だろうがね。まだ市民には知られていないが、モブレイヴは、世界を揺るがす問題になりつつある」


「それを知って、僕はどうすればいいんですか」


「どうもしなくてもいいが、君には、知る権利があると思ったのさ。君の勇気で、暴徒化が六人で済んだ。放っておけば、“感化者”はさらに増えていた。町一つが文字通り炎上したなんて例もある」


「その“感化者”が、モブってことですか」


「そうだね」


「なら、僕も良かったです」


「その心は?」


「モブは、嫌いですから」


 ※※


 そこで、重く、浅い眠りから覚めた。大汗をかいているが、少し身体は軽い。頭が冷たい。氷枕が替えられていた。ロバートか静佳か、いずれにせよ内心で感謝を告げる。時計は午後六時を指している。


 霞む視界に人がいた。女性だ。こちらに近付いて額に手を当ててくる。冷たい手。心地いい。


「……お母さん?」


 我知らず漏れた呟きは、不正解だった。


「一奈か……」

「よっ!」


 体操着の半袖姿。女子サッカー部の緑ジャージを腰に巻いている。部活が終わってから来てくれたようだ。長い黒髪を一つ結びにした顔は普段の化粧けがまるでないが、十分に端正だった。


「おかゆチンしてあげよっか。冷蔵庫の中にプリンとかヨーグルトとかもあるけど」

「ありがとう。寝起きだから食べるのは後にするよ。プリンは、一奈が食べて」

「病人が見舞い客に優しくしてどうすんの。ダンディーなのは声だけにしときな」

「意味はよく分からんけど、来てくれてありがとう」

「ん。あ、さっきの「お母さん」発言は黙っといてあげるから安心していいよ」

「……ほんと、ありがたいことだよ」


 幼馴染の気安さは、時として諸刃の剣だと思いながら、守恒は礼を重ねた。


「キャンピングカー暮らしってどんなもんかと思ってたけど、案外快適っぽいね。暖房もついてるし」

「お店から電線伸ばして盗電してるからね」

「言い方。光熱費も居候代に含まれてるんでしょ」

「格安でね。言い忘れてたけど、チンするときは暖房消すんだよ。確実に飛ぶから」

「ギリギリで生きてんなお前。でも、Aアンペア以外はほんとにいい物件じゃん。お店の駐車場の隅っこだから、女連れ込んでもバレないっしょ」

「連れ込む予定も、人もいないけど」

「いや、でも車ン中だからなぁ。ド深夜にデカいキャンピングカーが上下にガッタンガッタン揺れてるのを、二階の窓から涼風ちゃんに見られる危険性があるか」

「今この空間で危険性マックスなのは一奈おまえだけどね」

「年頃の娘さんがいるのに、よく受け入れてくれたよね、シューメイカー夫妻」

「涼風に変態おまえとの接点を持たせてしまったのは痛恨だったけどね―――ふぅ」

「ごめん守恒、喋りすぎちゃった?」

「いや、逆だよ」


 ウィットにとんだ(?)ジョークを交わし合い、また少し身体が楽になった気がした。


「本当に、一奈が来てくれて助かった。ほかの人たちは?」

「大勢で押しかけちゃダメだと思って、じゃんけんした。そしたら、何故か私が勝っちゃって」

「あははっ。なにそれ、ほんとは来たくなかったの?」

「……咲久ともだちが血に染まった目でお見送りしてくれたからねぇ」

「はぁ?」


 守恒の疑問符を無視して、一奈が言った。


「お腹、空いてきたでしょ。ふふっ、お姉ちゃんが食べさせてあげよっか」

「ああ……」

「ん?それとも“お母さん”かなぁ?」


 小馬鹿にしたような口調に、守恒は大真面目な顔で、こう言った。


「そういえば、一奈って、僕より年上なんだっけ」

「ほー、熱で頭沸いたかテメェ」

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