第7話 墨守恒、退学勧告

 薬利くずり真緒まおは思う。


 放課後。生徒会室のソファに、「店のシフトがあるから手短に頼むよ」と言って座る男、すみ守恒もりつね


 彼は何者なのだろうか、と。


「墨さん。昨日の事件は、あなたを狙って行われました。どうお考えですか」


 真緒の質問を聞くと、守恒は少しだけ唸ってから、言った。


「薬利」

「墨さん、私は先輩ですよ」

「クズ先輩」

「薬利で結構」


 ちょっと涙目になりながら真緒が呼び捨てを認めると、守恒は言った。


「警察にも同じことを訊かれたけど、バカなモブ共だ、としか思わないな」

「モブ……? まぁいいですが、なにか、責任のようなものは感じないのですか」

「テレビやネットの言葉に扇動されたモブの行動に、なんで僕が責任を感じなきゃいけないの?」

「お門違い、と」

「門もなければ筋合いもないな」

「そうですね。理屈ではそうですが―――」


 もったいぶった仕草で頷く真緒。タブレットを操作する。


「墨さん、これを見てみてください」

「嫌だ」

「……見てください」

「何にも見えない」

「目を閉じてらっしゃるからでは」

「何か言った?」

「はい。耳を塞いでらっしゃるから、聞こえないと思いますが」

「……」

「……」


 ―――五分後。


「……嘘でしょ?」


 真緒は、じっと目を閉じ、耳を塞ぐ男子生徒との沈黙に耐えられなくなり、そう呟いた。


 ―――え? 見ざる聞かざる言わざるって、ガチでやる人初めて見たんだけど。これ、ずっとこのままなの? この『墨守恒に退学を求める署名』を、絶対に見ないつもり?


 沈黙は金雄弁は銀。


 生徒会室の応接ソファの上で、ついには禅を組み出した守恒。


 真緒は、完全に話の主導権を奪われていた。こうなったら、(ちょっと怖いけど)実力行使だ。と、腰を浮かそうとする。


「動くな薬利。動いたら

「なんて!?」


 読めない―――じゃなくて、よく聞こえなかったけど、すごく怖いことを言われた気がするっ!


 ようやく、守恒が目を開き、耳から手を離し、喋る。


「そろそろ帰っていい?」

「だめですっ! 生徒会長権限っ!」

「クズ会長」

「薬利で結構っ!」

「去年、先輩を孤立させた首謀者は、お前なんだろう」

「……っ!」


 単刀直入。

 乾坤一擲けんこんいってき

 止まらない動揺が、真緒の白い肌をさらに蒼白に染める。


「僕が知らないとでも思ってたの?」


 その口調は、単純に疑問に思ったことを言葉にしたようだったが、地声の低さと大きさが、後ろ暗い事情を指摘された生徒会長に圧を加える。


「ふむ」


 守恒が立ち上がる。うつむく真緒の目前まで歩み寄り、言う。


「安心しろ。僕はモブじゃない人間には寛容だから。明確な意思と信念を持って相手を陥れる人間を、僕は好きじゃないかわりに、嫌いにもならない。

 でも、敬意も払わない」

「……」


 事実、守恒の目に怒りは無かったが、真緒は分からなかった。冷や汗を浮かべた顔は、足元に注がれていた。


「先輩がどう思うかは別として、

「は……はい」


 モブだの敵だの、言葉の意味するところは理解できなかったが、率直に「助かった」と思った。


「顔色が優れないな」

「い、いえ、大丈夫です」

「そうか? 去年の先輩と同じ顔だぞ」

「同じ、ですか」

「不安と心細さに押しつぶされそうになってたときの」

「ひぃ!?」


 真緒は、か細い悲鳴を上げる。これは、やはり根に持たれているのでは?


「ちょっと待っててくれ。準備をするから」


 なんの!? 

 準備?

 怖い! なんて読むのか知らないけど!


 ―――そしてまた数分後。


「墨くん」

「守恒」

「墨」

「ツネ」

「守恒さん」


 守恒を心配してやってきた咲久さく一奈かずな絵斗那えとな一馬かずま涼風すずかが同音に言う。


「「「「「なんでお茶淹れてるの?」」」」」


「なんだ、みんな来たのか。丁度、ハーブティが入ったところだよ」


 『カフェ・シューメイカー』のマスター、ロバート直伝のお茶だった。


「墨くんのお茶、久しぶりかも」と、咲久が言う。


「去年は咲久の豆腐メンタルがグズグズになるたびに、出てきたからね」と、一奈が応じる。


「涼風、どうかな? ボブの味にはまだ及ばないだろうけど」

「ううん、美味しいよお兄ちゃん―――あ! じゃなくて守恒さん」

「ふぇっ!? 涼風ちゃんと墨くん、いつの間に……」

「涼風ちゃん、その言い間違いはお姉さん我慢できなくなっちゃうよ」

「やめんかこの変態妹かずな。まぁ、可愛いのは分かるけどよ」


 口が滑った涼風に驚嘆する咲久。興奮する一奈。それをたしなめる一馬。「違うんです!」と、赤面する涼風。


「どうやら、私は場違いなようなのでこの辺で失礼する」


 学校の美男美女が集まるリア充お茶会空間に耐えられなくなった絵斗那が、お暇しようとする。「もう少し待て」と留める守恒。


「坂ノ上先輩たちにも聞いて欲しい。今、薬利生徒会長から、僕の退学勧告を受けた」

「え?」

「ちょっと真緒。マジであんな裏グループの署名見せたんじゃないでしょうね」

いません」


 一奈の言葉に、少し怒ったように言う真緒。嘘は言ってない。


「無視してもいいけど、一対一サシで僕と対峙した生徒会長の顔を立てて、一学期中になにかやってみようと思うんだ」

「何かって?」

 一馬の問いに、守恒はこう答えた。


木瀬高きせこうに、僕が居続けることを納得してもらえるような、何か」


「まだ何も思いつかないけど」と、苦笑いでオチをつける守恒だったが、ややあって、「ん?」と、真緒に向け、訝しげな声を上げる。


「どうかしたか」

「いえ、少し、いやかなり意外でしたから」

「言っただろう。アンタは敵じゃない。モブじゃないからな」


 真緒は、この学校一の変人・墨守恒を、最後まではかり切れなかった。


 ただ、一つだけ分かったことがある。


 墨守恒は、、ではない。


 だ。


「……あ、美味しい」


 ハーブティはなかなかだったが。


 それと、真緒は一つ気付いたことがあった。


「……墨さんは、ご友人たちからの呼び名がバラバラなんですね」

「そういえば」


 守恒は、言われてから気付いたようだった。


「坂ノ上先輩からは「墨くん」で、姉の咲希さんからは「ツネ様」。一奈は「守恒」で、一馬は「ツネ」。エトは「墨」だし、居候先では「スミス」とか「スミス君」とか。で、涼風からは「お兄ちゃん」か」


「私をオチに使わないで! 守恒さんって呼んでるんだからね!」


 思わぬお茶会となった生徒会室で、花が咲くような笑いが起こる。


「そんなに色んな呼ばれ方をして、面倒くさくありませんか」

「モブっぽくなくていいと思う」

「そうですか」


 薬利真緒は思う。


 墨守恒は異常だ。


 倫理というか、価値判断というか、名状しがたい何かが壊れている。


 しかし。


 彼の言う通り、私の“敵”ではないのかもしれない。

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