第4話 モブレイヴ

 その“炎上”の出火元は、女子サッカー日本代表を応援に東亜へと出向いた、“たった一人のサポーター”について、意見を求められた官房長官と、彼の派閥議員数名が、その男子高校生に“苦言”を呈したことだった。


「その日のうちに無事、帰国したということだが、やはり非常に危険な渡航だったと言わざるを得ない」


 官房長官は、「行くなよ、絶対行くなよ」といった発言が、まるでバラエティの“振り”のようだったとさんざんに揶揄され、いわば、一人のに顔を潰された格好で、その苛立ちがつい出てしまったのだろう。


 そして、“苦言”が一部の現政権の支持層に伝わると、『墨守恒バッシング』が始まった。


 その中心は、先ほど絵斗那えとなの見せた、匿名まとめブログ。2030年の今となってはネット過疎地的な場末サイトではあったが、そのアングラさ故に一度勢いのついた言論に歯止めが効かず、また、ブログ主もアクセスアップを狙って煽情的な意見ばかり集めるため、ますますデマと中傷と憎悪が増幅するネガティブスパイラルに嵌ってしまった。


 とはいえ、一人の高校生を狙って、六人もの人間が一気呵成いっきかせいに襲撃するのは、いくらなんでも尋常ならざる事態だ。


 侵入者たちが一様に「墨守恒はどこだ!!」と叫んでいるので、体育館に避難していた他の生徒たちにも事情は伝わっていた。先ほどから、守恒に対しては、鋭い棘のような視線が注がれている。


「それにしても」


 が、本人はまったく意に介さず、平静と変わらぬ声で言う。


「ちょっとしたゼロ泊二日の弾丸ツアーにここまで怒るなんて、モブのやることは分からん」


 見ると、遠くで咲久さくの長身がひょっこり出ていた。一安心。


「墨、落ち着いているな」


 守恒の傍らには、おとなしい猫のように絵斗那がちょこんと正座していた。その身体は、小刻みに震えている。


「エト」

「大丈夫。でも、ちょっと、人が多くて」


 そわそわと周囲の様子を伺う目は、不安と恐怖でいっぱいだった。ただでさえ人の集まる場所が苦手な上に、この騒ぎ。無理もなかった。


 守恒は無言で、腕を絵斗那の小さな肩にそっと回す。


「ちょ……、墨!?」

「ちょっとは落ち着く?」

「う、うん」


 嘘である。


 抱き寄せられ、吐息まで聞こえる距離で持ち前のバリトンが囁いている。不安は消し飛んだかもしれないが、代わりに頭はすっかり逆上のぼせてしまった。


 そんな、学ラン姿で身を寄せ合う男女に、人影が二つ、近付いた。


「かず……まか」


 体操着姿の咲久を伴ってやってきたのは、一奈かずなではなく、その双子の兄・倉本一馬くらもとかずまだった。咲久と肩を並べる八頭身の長身。その小さく整った顔が、焦燥に歪んでいた。


守恒ツネ、一奈がいない」

「え?」


 避難した生徒の中で、一奈の姿が見えないという。


「分かった。行こう」

「おい墨!」


 即断即決。立ち上がる守恒。狼狽する絵斗那。


坂ノ上さかのうえ先輩、エトを頼みます」

「墨、ま、待って」


 泣き出しそうな表情で伸ばす絵斗那の手を、咲久がそっと握り、やんわりと言う。


「墨くんがついてかないと、一馬くんが一人で行っちゃうから―――でしょ?」

「まぁ、そんな感じです」


 一瞬で意思と意図を察した咲久の言葉に、苦笑しつつ頷く守恒。絵斗那も、おとなしく引き下がる。


「悪いな、ツネ」

「いいから行こう。先生に見つかる前に」


 トイレに行くふりをして、体育館を出た。同時に、一馬の端末にメッセージが入る。


「妹は、美術室にいるらしい」

「南の四階か。よし、なら、僕が北の四階に行ってモブ共を引きつけよう」

「……お前」

「僕が狙いなら、行ってやるさ。それに―――」


 守恒は、少し震える足を拳で叩くと、こう続けた。


「僕も、腹が立ってる」


※※


 北校舎四階。放送室。そこから守恒は、襲撃者たちへの声を全校に拡散した。


『モブ共。僕はここだぞ。墨守恒は北校舎の四階だ』


 すると、ものの十秒程度で、慌ただしい足音が守恒の耳に届く。


 一奈がいる南校舎から遠ざけた後は、逃げてしまっても良かった。が、守恒は、そこに留まった。


「お前が墨か!」

「渡航禁止が出てる国にわざわざ行くなんて何考えてやがる!」

「お前の軽率な行動で、どれだけの人間に迷惑がかかったと思ってる!」

「戦争になってたかもしれねぇんだぞ!」

「お前は東亜のスパイなんだろ!? とっとと国に帰れ!」

「ニュースに出て、偉くなったつもりか! 恥を知れ!」


 年齢も性別もバラバラだ。金属バットやその他武器を持っている者も、徒手の者もいる。その顔には一様に憤激が浮かび、むしろそれ以外の特徴が伺えない。


 異様な憎悪の視線が向けられる中、守恒の目は、不思議なほど醒めていた。


「僕は、お前らのようなモブが嫌いだ」


 大きくはないが、よく通る声。放送室に入り込んできた六人が立ち止まる。


「もう一度言おうか。僕は、!!」


 たとえば、サッカーの試合中、失点に繋がるミスで、頭に血が上った仲間に届くのは、大きな怒鳴り声しかない。いわゆるGKゴールキーパーが守備陣に指示を出す“コーチング”には、怒鳴る技術も求められることがある。


 守恒のその“声”は普段より一段低く、強く、かつ心底から怒気を込めて放たれた。逆上した人間を怯ませるには十分な声量と声質。平凡な少年の、唯一の才能。


「やるならやれ。僕は逃げない。どっちにしろ、じきに警察が来てお前らは全員逮捕される。不法侵入にどんな罪を重ねるかは、自分たちで決めるんだ。


 窮鼠猫を噛む。この場合、出口のない壁際にいたのは守恒だが、追い詰められたのは襲撃者の側だった。


 若さゆえの過ち。守恒は、少々言い過ぎた。彼の言う“モブ”共に、勇気とは程遠い自棄やけを起こさせてしまった。


「うるせええええええええええ!!!!」


 一人がバットを振り被り、向かってくる。守恒の運動神経は悪くないが、良くもない。最初の一撃を避けられても、六対一で敵うはずがない。


 が。


「モブレイヴ」


 狭い放送室に、いるはずのない八人目の声。


「この国では、昨年のハロウィン以来だね」


 その男は、当たり前のようにそこにいて、大柄な男が振りかぶったバットを片手で易々と受け止めた。


「大規模な暴動に発展しかけたが、君のおかげで助かったよ。お礼はまた今度」


 長身だ。咲久や一馬よりさらに大きい。きりのように研ぎ澄まされ、霧のように飄々とした、細いダークスーツを着た年齢不詳の男。


 時間にして十秒。たったそれだけの間に、六人の暴漢を、全員叩きのめしてしまった。


「……いったい」


 絶句する守恒に、男は、こう名乗った。


「俺は、氷月ひづき。以後お見知りおきを、墨守恒しゅじんこうくん」

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