第3話 男装の愛国少女

 二年生の貝塚かいづか絵斗那えとなからもたらされた大事件の報に、いち早く反応したのは咲久だった。


「可愛い~~~!!」

「うわっ!?」


 ただし、話の内容ではない。小柄で、広い額をオールバックで晒した、男子の制服を着た女子生徒に、猛然と抱き着いたのだ。


「な、なにこの人!? おいすみ! 何ボーっと見ているッ! 倉本先輩も!」

「あー、ごめんねエトちゃん。あたしじゃその状態になった咲久は無理だわ」

「右に同じ」

「なん、だと」


 絶望の通告。


 ―――数分後。


「ごめんねぇ。噂には聞いてたけど、ほんとに男装してるんだね、とっても可愛いよぉ」

「墨、よくも汚される私を黙って見ていたな」

「許せ。エトの将来に禍根を残したら僕が貰ってやる」

「待って墨くん、今誰を貰うって―――」

「咲久、ステイ、話前に進まないから」


 徹底的に愛でられた絵斗那の精神と、咲久の正気の回復を待って再開された会話で、事件の概要が明らかになった。


「相変わらず携帯もPCも持ってない墨のことだから、何も知らないのだろうが」


 鼻を鳴らしながら、絵斗那が自分のタブレットでとある匿名まとめブログのコメントを見せてくる。


「東亜での行為うたと君の名が晒されて、喧々諤々の大論争と言ったところだ。そして『墨守恒の学校を特定した。覚悟しとけ』と。これは明確な犯行予告だろう」

「「「へぇ~」」」

「なんだその間抜けたリアクションは」


 守恒、咲久、一奈は、困惑や恐怖というより、感心していた。


「未だにこんなサイト、あるんだね」

「昔は流行ってたみたいですよ。まぁ、所詮モブ共のやることですから、大したことありません」

「お、守恒、久しぶりに“モブ嫌い”で一席ぶつか?」

「ご所望とあれば」

「今日はいいや。あんたもスイッチ入ると長いし」

「真面目に聞かんかァ!」


 絵斗那が小動物の鳴き声のような声で怒った。


「でもな、エト。そんなネットのドブをさらって見せられても」

「墨よ! 学校が襲撃されるかもしれんのだぞっ!」


 そう、威圧するように啖呵を切っても、ダボダボな学ラン姿では可愛さが先に立ってしまう。


「そういう妄想、小学生の時にやったなぁ」

「妄想ではないッ!」

「あははっ」

「笑うなぁ!」

「ごめんエト。心配してくれたんだよね」


 謝罪しながら、オールバックのおでこに頭をぽん、と置く守恒。


「むむむ。手をどけろ。これから対策を講じるぞ」

「授業に遅れる」

「貴様、自分の命と勉学、どちらが大切なんだッ!」

「両方だよ。教室にテロリストが襲ってきたら真っ先に逃げるから―――」

「いいから来い!」


 絵斗那が守恒の手を引っ張る。


「おっと、じゃあ先輩、一奈、部活で会いましょう」

「「いってらっしゃ~い」」


 強く抵抗もせず連行されていく守恒。手を振って見送る咲久と一奈。


「あらら、咲久、エトに守恒取られちゃったね」

「うん……だけど、でも」


 小首を傾げ、少し眉に皺を寄せたあと、それでも笑って、咲久は言った。


絵斗那あのこも、墨くんが頼りなんだろうし」

「ふ~ん、大人じゃん?」

「三年生だもんっ」


 胸を逸らす咲久。その語尾が少し震えている。


「そうかい」


 一奈はそれだけ言って、親友と共に午後の授業に向かった。


※※


 PC室。な絵斗那の縄張り。


「我らが同胞を守るアイデアを募集する、と」


『同胞の殺害予告』と題したブログを書き終え、ターンッ! とエンターキーを叩き、満足気に鼻を鳴らす絵斗那。


「ネットの同胞にも協力を募ったぞ」

「わー頼もしいなー」


 気の抜けた拍手と共に、低音の棒読みが木霊こだまする。守恒の頭の中は、例の殺害予告(?)について一割、すっぽかした授業の穴埋めをどうするかについて九割といったところだ。


「今更だけど、僕が何をやったっていうんだ?」

「どうやら、官房長官が言った『東亜への渡航自粛』に反したことがお気に召さないらしい」

「なんだそれ」

「彼らにとって、政権幹部の意向に反することはすべてアウトだ。墨はすっかり『渡航禁止の国にわざわざ行って政情を揺るがした売国奴』になっている」

「すごいな。僕が東亜に行くだけで、この国は傾くのか」

「まったくだ。真の愛国者とは墨のような人物だというのに」

「いや、そんなものになった覚えもないけど」


 微妙に噛み合わない会話は、いつものことだった。


 貝塚絵斗那。木瀬川高校に入学したはいいが、女子の制服を着るのが嫌で不登校になり、その間に何故か愛国心に目覚めた。守恒の働きかけもあって男装での登校が許された今も、あまり教室には来ず、このPC室で個別に勉強していることが多い。そして、余った時間は、こうした匿名掲示板やまとめブログでの不毛なレスバトルに費やされている。


「墨は、なんで―――」

「ん?」

「どうして坂ノ上先輩の、出場するかも分からない試合を、わざわざ観に行ったのだ?」


 少し声を落とした絵斗那の質問に、守恒はこう答えた。


「エトが男子の制服を着るのと一緒だよ。そうしたかったんだ」

「なんともズルい言い方だな。反論ができん」

「あははっ。まぁ、事実だからね」

「……」


 そのとき守恒は普段見ないネットを珍しげに眺めていたので、絵斗那の目に浮かんだ寂しげな色に気付かなかった。


「でも流石にギリギリだったな。少しは力になれたみたいでよかった」

「少し? 中継を見ていたが、ポストプレーもドリブルもシュートも見たことないキレだったぞ。アウェーの笛でオフサイドにならなかったらハットトリックだったろう」


 いくら好きな人が観てるからって、ステータスが上昇し過ぎだろう。


「好きな人、か」


 絵斗那は内心に浮かんだ言葉を、口に出す。


「好きな人って、なんだ、エト」

「こういうのは聞き流すのが礼儀だぞ、同胞ともよ」

「そうか、聞かせたくなったら、いつでも言えよ」

「うむ。だが今は、墨の身の安全の確保だ」

「大丈夫だよ。ネットのドブで顔も名前も出さずにトグロを巻いてるモブ共には、何にもできないさ」


 ブログ『集え!真の愛国者』の“同胞”、実際のところ、可愛らしい男装の女の子がやっている物珍しいブログのファンでしかないだろうが、彼らから届いたコメントは以下の通りだ。


『通報、一択』

『キチガイの相手するな。バカは死ななきゃ治らない』

『っていうかエトナちゃんもあんなゴミサイト見ちゃダメ』

『エトナちゃん学ラン可愛すぎかよ。お友達は警察にGO』


「こんな尖った内容のブログなのに、コメントが常識的過ぎて逆に恐ろしいな」

「むむむ、彼らも危機感が欠如しているぞ」


 ブログ主はご不満らしいが、守恒は満足気だ。


「じゃ、僕は教室に戻るから」

「待って」


 制服の裾を掴まれた。


「一緒に来るか?」

「そうじゃなくて、気になるコメントが入った」


『最近、こういうのに扇動される人も多いから、気を付けた方がいい。海外では問題になってる。モブレイヴって』


「モブ?」と、絵斗那が言い、

「レイヴ?」と、守恒が継いだ。


 次の瞬間、避難訓練でしか聞いたことのない火災報知機の音が学校に鳴り響いた。


『校内に不審な人物が多数侵入しました。先生方は至急、生徒たちを避難させてください』


「襲撃だ」

「マジか」


 本当に大事件だった。

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