3-3.どっちでもあって、どっちでもない
「すみません、先生……気分がよくないので保健室に行っていいですか」
「そうか、一人で歩けるか?」
「ちょっと、無理っぽいです……」
「なんだと? それはまずいな……大丈夫か?」
一時間目が始まる前。
気分が悪そうにお腹をおさえ、もう片方の手を教卓に置いている、クラスメートの
……もしかしたら上野さん、『来てる』のかな。
ちょうど教卓の目の前の席にいるので会話が耳に入った。他のクラスメートはそれぞれ授業の準備をしたり、おしゃべりに時間をつぶしたりと上野さんが目に入っていないようだ。先生と同じように様子をうかがう僕と、先生の目が合った。
「川中、上野を保健室に連れてやってくれないか?」
ちょうど誰かとおしゃべりしてたわけでもないし、むしろ助けを求められてちょっと嬉しかった。
上野さん、顔色も悪くてぐったりしてる。僕も血の気が引いた気がした。
「はい、任せてくださいっ。
上野さん、大丈夫? 僕の肩使って」
貧血でふらつく足元を安定させるように彼女の腕を僕の肩に回して、ゆっくりと小さな歩幅で教室を出る。彼女の「ありがとう」と言う声に力がない。普段の上野さん、控えめで大人しい性格だけど、ここまで声が小さいなんてことはない。
……大変だよね。これが毎月訪れるんだから。
僕たちのいる教室から少し離れた先にある保健室までゆっくり担いだ。途中で一時間目が始まる予鈴が鳴り、上野さんは「ごめんなさい、授業始まっちゃったね」と申し訳なく謝った。
「いいよ、気にしないで。大変だよね、毎月来るんだから」
「川中くんは分かってくれるんだ……」
「もちろん、だって」
……自分も、一応女の子……のはずだし。
とは言えず。
「人として覚えるのは当然かな、って」
「……なにそれ。川中くん、変わってる」
「あはは、そう、だよね……」
「ふつう保健体育ってさ、男女に分かれて授業やるじゃん。それぞれの性別のことだけ覚えてろって」
自分は女子のところに行くべきだと思ってたけど、そうするわけにはいかなくて『体』の性別に従って男子たちと一緒に授業を受けたのを覚えてる。
あの時ほど、居心地が悪かったのも。
自分の体には起きてほしくない男の体の性徴を、教育用の動画で映されたのを見て、変に汗が噴き出た。
違う。でも、身に覚えがある。ありすぎる。
成長痛も、変声期も、みんな経験した。したくないのに。変わってほしくなかったのに。
「でも川中くんは女子のぶんまで勉強したんだ。『人』として、なんて。なかなかそんなことしないよ、ふつうは。尊敬しちゃう」
「尊敬? 僕に?」
「女子ってさ、生理もあるし、妊娠したらつわりとか陣痛とか、大変なことがたっくさんあるんだよ? なのに男ってば知らんぷりしてさ、汚い話するなとか、生理くらいで甘えるなとかってさ……軽率に言っていいことじゃないよ」
「ひどい……」
……むしろ僕は、生理が来る上野さんたちが、うらやましいよ。
ふつうの女の子には訪れて、こうして授業を受けられないくらいにつらくなるなんて大変だけど……お母さんになる準備として、必要なことなんだよね。
僕はお母さんにはなれない。生まれた体が男のものだから、お父さんにしかなれない。だから生理の大変さを実際に感じることはできない。
その代わりにできることがあるとしたら、女の子を優しくいたわることだけなんだよ。横にさせたり、お腹を温めたり……あと、鉄分を摂るといいよ。何リットルもの血が体外に排出されて貧血になるから、血を作るのに必要な成分を摂れば、貧血による立ちくらみやだるさがなくなるって。
本当は女の子と恋バナしたり、お買い物したりしたいけど。かなわないのなら、せめて女の子に優しくすることくらい、許してほしい。
なんて、そんなのはエゴかもしれない。自分が女の子に起きるべき現象が起きないからって。
「川中くん、いい彼氏になれるよ。女の子に優しい方が女の子は惚れるからね」
……彼氏、か。
出た笑い声が渇いている。
上手く笑えた気がしなかった。
保健室に入り、彼女をベッドに寝かせ、彼女の代わりに保健室利用者名簿を書いて用事を済ませた。治るまでゆっくり休んでね。
……あまり驚かせたくないから、学校の人には自分の心と体の性別の違和感を言ったことがない。小学校の時にいじめられたし。
それに僕が欲しいのは『彼女』じゃなくて、『彼氏』なんだっていったら、さすがに上野さんもどう反応していいか困っちゃうよね。女の子が男の子に恋をするのは普通だから。
僕がこの中高一貫校にいる間は、誰にも伝えないつもりだ。
僕の『性別』がどっちでもあって、どっちでもない、ってことは。
***
上野さんは一時間目が終わったころに戻ってきた。
まだ顔色が優れないままだったけど、「もう大丈夫」と強がってそのまま席に戻った。足取りはさっきよりはよくなったとしても、少々心配だ。彼女の友達も集まって、それぞれ気遣う言葉をかけている。
授業に出ないことがよっぽどイヤなのだろう。体調が回復しないままなのに。
「え~っ!? 川中くんが!?」
ビックリ。どうやら僕の名前が上野さんたちの間で挙がったらしい。
あんまり話題になるのにいい思い出がないからネガティブになりがちだけれど、教科書を読んでるフリをしながら耳をそばだてて、喧噪をかき分けながら彼女たちの話を聞いてみた。
うーん、盗み聞きみたいだけど、気になっちゃう……!
「生理の大変さ分かってくれるんだ!?」
「ちょっと、声おさえないと! でもそーゆう男子ってなかなかいないよね~!」
「それに川中くんって左利きじゃん? 実はけっこー頭よかったり!」
「よくよく見るとカッコいいと思わなくはないよね……」
……もしかして、褒められてる……?
女子にモテるっていうのはちょっと複雑だけど、そんな風に思われるのは、悪くない……かも。
でもどうせだったらあの会話の中に入りたいっ! 女の子だもん! 会話の話題、僕だけど……!
うーん、複雑っ!
「ハァ? それってヘンタイじゃねーの?」
「うっさいキラキラネーム野郎!」
「首突っ込まないでよキラキラネーム!」
「
がーんっ!!
へ、ヘンタイ……
ショックで泣いちゃいそう。男子って女の子の体のこと考えてばかりな印象あるのに、生理のことを知ってたらヘンタイ呼ばわりだなんて……
クラスの
アスクレピオスってギリシャ神話の医療の神様の名前らしいよ。まさか日本人の名前に使われるとは思わなかったなあ……
「そんなんだからモテないんだよキラキラネーム!」
「川中くんのほうがウチらを大事にしてくれるわよ、キラキラネームと違って!」
「医療の神の名前のクセに知らないほうが恥ずかしいわ!」
「しつけーな! クソッ!」
大塚くんをまともに呼ぶ人は少なく、むしろそのせいでグレちゃったのかな、と心配しつつも影が薄いまま教科書を読んでるフリをした。
……きっと、親御さんは『素晴らしい医者になるように』って願いを込めて名付けたのかもしれない。名前って一番最初に親が子どもに与えるプレゼントって聞いたことあるんだ。
僕はなんで『蘭太』と名付けられたのか……ママに聞いても、一度も答えてくれなかった。なんでだろう。
蘭の花言葉は『優雅』。あまり僕に求められてないようだし、関係ないのかも……
大塚くんが去ってからも授業が始まるまで、上野さんたちはクラスの男子の話を続けていた。
……いいなあ。『私』も、混ざりたいな……
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