3-4.サンクチュアリ
放課後。どこの部活にも委員会にも所属してない僕には日課がある。
家の近所にある、少し広い神社。
ご神木である、樹齢百年を超える
鳥居の上部分の真ん中に、『
数日に一度、お腹に命が宿っている女性とその旦那さんがいらっしゃると神主さんがご祈祷をするんだ。
僕はそのお手伝いをしたりしてる。それにはちょっとした事情があるんだ。
小学校のとき、クラスの男子に女子と一緒に遊んだことをからかわれ、暴力をふるわれた。
先生とその時のお話をしてたらすっかり日が沈みかけ、辺りが暗くなってた。夜道を一人で帰るなんて心細くてできない。
このことはママにも連絡する、と先生が僕の前で電話をしようとしたけど、『おかけしましたが現在おつなぎできません』と無機質な声で返され、結局このまま帰ることになったけど……それはつまり、ママは今日も夜遅くまで仕事、ということだ。
どうして一緒にお絵かきしちゃダメなのかな。きっとママに言っても、先生と同じことを言うかもしれない。ママは僕が女の子のようなことをするたびに声を荒げたり、物を投げたりするから。
だからクラスの男子に殴られたからって泣いても、『男が泣くな』って怒るかもしれない。男の子は泣くものじゃないって『決まり』だから。
……本当は、殴られたあととか、あと、胸のあたりとかも、ぎゅっと締まるくらいに痛くて、声を上げたいくらいなんだ。
我慢なんてできないよ、だって私、女の子だもん……
「ぐすっ……うぅっ、わあぁんっ……」
ママ……もうイヤだよ、たすけてよ……
「どうしました!? あれ、あなたは……」
その時に声をかけられたのがきっかけだ。
境内にある家のインターホンを押してから引き戸を開ける。年季の入った家なので少々建付けが悪く、たまに突っかかって開かないときがある。
半分空いたところで、控えめな声で家の主にあいさつをする。
「こんにちは~……」
「いらっしゃい、蘭太くん。今日も来てくれてありがとうございます」
この人が寿泉神社の神主さん。苗字は
背が高くて、でも穏やかで物腰が柔らかく、僕の悩みを真摯に受け止めてくれる、数少ない理解者だ。僕の心の性別のことも分かってて、調べたりもしてくれた。僕の一番大きな心の支えと言ってもいい。
心細くて泣きじゃくった僕を何も言わずに家に上げ、あたたかいご飯を振るまってくれた……この人に出会わなかったらどうなっていたか。
「今日はグラタンなの、祈祷が終わったらご飯にしましょ」
そしてもう一人、神主の鳥山さんの奥さんの
2人とも僕を小さいころから知ってて、親のように面倒を見てくれている。母さんも僕が神社でお手伝いしていることを知っているので、材料費としてほとんど毎日千円札を机に置いてるんだ。
今日は数組の夫婦がご祈祷にうかがう予約が入ってる。もうすぐ子どもが生まれるので無事に生まれますように、と神様の恩恵をいただけるように願う儀式が安産祈願。妊娠五か月目の『戌の日』にお参りに行くといいので、その日に予約が集中してるんだ。
本当は雅楽器の演奏に合わせて踊るんだけど、この神社は神主さんを含め雅楽器を演奏できる人がいないのであらかじめ他の神社で録音した演奏のCDを流しながら踊る。じゃあ、踊る人はだれかって?
ここからが僕の本番。本当は女の人が踊る舞なんだけど……神主さんからお許しをいただいて、こうして僕に神様を楽しませる大役を任された。
僕の神楽が終わったところで、参拝者の夫婦は近くでいただいた榊の枝に紙垂をつけた『玉ぐし』を神様におさめる。ご祈祷の終わりを告げる報鼓を鳴らし、
お神酒は飲むのが基本的なルールだけど、妊娠中にお酒は飲んじゃいけないから奥さんは盃に口を付けるだけでいいんだって。
気を付けてお帰りください、と一緒にお辞儀をしてお見送りし、片付けを終えたころには、すでに辺りは暗くなっていた。
神主さんのお家に上がると、ホワイトクリームのいい香りがする。知子さんの言ったとおりだ!
外の空気がキンと冷えていたので、あたたかい食べ物が恋しかった。
水道水も氷のように冷たい。我慢しながらその水で手を洗い、制服に着替えてからご飯を運ぶのを手伝った。
神主さん、奥さん、僕の三人で食卓を囲む。グツグツとチーズのかかった表面に穴が空く。焼きたての証拠だ。自然とほっぺがゆるんじゃう。
声、そして手を合わせて。
「いただきます!」
付け合わせのサラダに、ぬか漬けも美味しい。ぬか漬けは知子さん特製で、最近凝ってるらしい。
グラタンのホワイトソースも市販のものじゃなくて、牛乳、バター、そして小麦粉から作った本格派。焦がさないように作るのが大変だって聞いたことがあるのに、食べても焦げたような味がしない。
「知子さん、今日のご飯も美味しいです!」
「うふふ、そう言ってくれて嬉しいわ。そんなに喜んでくれるんだから、うちに養子入りしてほしいくらいよ」
「それはいいですね知子さん、毎日が楽しくなりそうですよ」
神主さんは嬉しそうに言ってくれるけど、もちろんこれは冗談の一つ。何回か言ってくれるけど、それが叶わないのが現実だ。
この神社は神主さんのご先祖様の代から続くもので、収入は主に祈祷や御守りなどの利益でまかなってる。それでも二人が暮らすのに精一杯で、僕を育てられるほど余裕がない。
僕の親はあくまでも母さん。それはずっと変わらない事実だ。
……神主さんのところなら、全然さびしさなんて感じないんだけれど。それに色んなことが学べて、心が満たされて……自分のやりたい事が、たくさん増えていくんだ。
知子さんは料理が上手くて、本当に憧れる。私もそんなステキなお嫁さんになれたらな……って、夢を見たくなる。
もしも本当に女の子だったらお嫁さんにもなりたいし、かわいいアクセサリーをたくさん売る雑貨屋さんの店員にもなりたい。流行ってる食べ物を売るお店で働いても楽しいかも。かわいい衣装をたくさん着れるアイドルにもなれたらステキだなぁ……!
「蘭太さんは夢がたくさんありますね。それでは一旦、人生計画を立ててみるのはいかがですか?」
「計画、ですか……」
夢は見るけど、具体的にどんな人生を過ごしたいかと言われると、あんまり浮かんでこない。
それに、できないことのほうをよく考えちゃうから……筆が進まない、っていうか、考えようと思えないのかも。
だとしても、妥協案ばかりの人生計画っていうのも、なあ……
ごちそうさまでした。
食器をシンクに運び、食後のひとときを過ごす。神主さんがテレビをつけたので、僕も神主さんの肩をたたきながら一緒に見た。
人気歌手たちが出演している歌番組。歌謡曲が好きな神主さんはベテラン歌手の出番を楽しみにしているようだった。
僕もよくアイドルの曲を聴いてるので、出演するユニットのパフォーマンスを見て、楽しくなった。『εWing』の二人はいつでもパワフルでかわいくて、『Citrush』の三人は黄色い声が上がるくらいにかっこいい。
特に『Citrush』の
会話したことはないけど、13歳で人気アイドルということもあって、彼が登校すれば女子のファンがサインやファンサービスを求めにつめかけてる。
彼がどれほど人気なのかが遠くからでも見える。
彼にはアイドルが持つようなオーラがあるように見える。一見他の人と流れる時間のペースが遅いように見える、まるで神様がいるようなけがれのない聖域に一人たたずんでいる、幻想的な雰囲気。
アイドルを日本語で言うと『偶像』というらしい。人間とはまた違う存在、という意味を含んでいるから、ある意味神様に近い存在なのかな。
信仰したくなるような力を持つ者。アイドルもそうだと言えるし、叶くんにも、言葉にするには難しいけれど、人を引き寄せる力を感じる。同じ中学だからってひいき目もあるけど、僕は叶くんを推してる。
だからって、いや、だからこそ、仲良くなりたいなんて思うのはいくら年下でもおこがましく思える。
はにかめば周りの空気が澄み、歌えば人の心が清められ、踊れば世界が輝く。彼の力は並みじゃない。
「この三人グループって人気なんですか? たくさん黄色い声が上がりますね」
「はい、この一番小さい子が僕と同じ中学なんですけど、いつもファンに囲まれてるんです」
「へえ! 同じ中学! 人気アイドルと同じ学び舎にいるなんてうらやましいですねえ」
「う~ん……あんまり一緒にいる機会がないので、実感わきませんけど……」
神主さんはおかしそうに笑った。
僕は変わってるけど、だからこそ普通でいたいというか。彼にも、あまり僕のことを知られたくないなんて思っちゃう。
そもそも友達を作るほうが、僕にはハードルが高い。そこそこ仲のいい子はいるけど、休日に遊びに出かけたり、夜遅くまで電話やメールで連絡したりするほどじゃない。そこまですると、いつか『ぼろ』が出ちゃいそうな気がして。
『Citrush』の出番が終わった。壁掛け時計を見てみると、結構時間が経っていた。もうそろそろおいとましなきゃ。
家に帰っても一人。いくら待っても、ママは帰ってこない。
ママは……僕のことを、どう思ってるんだろう。神主さんは僕が赤ちゃんだったころ、パパとママが二人そろって安産祈願のご祈祷に来てたとは言ったから、望まれて生まれた、とは思いたいけど……
ある年、パパと離婚して二人で暮らすようになってからだ。
母の日が近くなったので、もらったお小遣いで花束を作ってもらった。
ママ、喜んでくれるよね! だってお花が大好きだもん。
カーネーションをかわいく束ねたそれをママに差し出した。
その瞬間……明らかに、態度が変わった。
……ううん。ママは前から、気付いてたと思う。
スカートをはきたいと言った時。
シンデレラ役をやりたかったと泣いた時。
ピンクのランドセルがほしいと言った時。
自分のことを『私』と言った時。
クラスの女子とお絵かきした、と言った時。
怒鳴って怒ってた。
怒られると、もっと泣きたくなった。でも、男の子が泣くのはみっともないって、もっと怒られた。
僕はいつの間にか、ママに怒られないような『普通の男の子』のなり方を模索して、おとなしいフリをした。
しょうがないよ。ただでさえママは離婚して、一人で自分と僕の分まで稼がなきゃいけなくなったから。おまけに自分の子どもは普通じゃない、なんて知られたら、もっとつらい思いをしちゃう。
『普通の男の子』のフリをしなきゃ。現実の世界だけでいいから。
次に見る夢は、自分の人生計画を立てて、どんな大人になりたいか考えたいな。
部屋の暖房を消し、掛け布団を抱きしめて眠りにつく。
昔はお花屋さんになりたいって思ったな。色とりどりの花に囲まれて、幸せな気持ちになれるから。ママがスーパーに連れて行ったついでにお花屋さんで花束を買ってた。その時の笑顔につられて、私も嬉しくなった。あの時のママはどうして花束を買ってたんだろう。たしかその次の日は私に留守番を任せて出かけてたな。たくさん、おめかししてたな。
だからね、今でもお花が好きなんだ。もうママと一緒に行くことはなくなったけど、通学路の途中にある大きなお花屋さんで季節の花、そして花言葉を知るのが楽しいんだ。
お花畑にいると、幸せな気持ちになれるんだ……
『グンナイ蘭ちゃん☆』
『グンナイ、『誰か』さん』
『えーっもうアタシの名前忘れたの!?
蘭ちゃんだよ、あなたもアタシも蘭ちゃん!』
『そう、だったね……ごめんね』
『……どうしたの? いつも以上に浮かない顔してるけど』
目の前には、いつもの星空ではなく花畑が広がってる。お花畑にいたいと思ったからかな。
『みてみて、チューリップ! まだ冬なのに咲いてるよ!
こっちはヒマワリ! あははっ、チューリップと一緒に咲いてるなんておかしーい!』
足元に伸びている、チューリップ、ヒマワリ、そしてコスモス。
みんな咲く季節はそれぞれ違うのに、同じ畑に咲いている。夢の世界って本当に不思議だ。ありえないことがこうして起きるんだから。
ヒマワリは太陽に顔を向けるというのに、その太陽は天を見上げても、どこにも見つからない。空は変わらず、スプレーで吹かしたようなパステルの紫に、ラメの天の川が描かれていた。
きっと私は、どこか遠くの星で蘭ちゃんと遊んでるのかな。いつも宇宙のような空間にいるのは覚えてるんだ。
『あのね、蘭ちゃん』
『どーしたの、蘭ちゃんっ?
わぁっ、これトマトの苗だ!』
『……私ね、やりたいことがあるの』
『なになにっ、ピクニック、お絵かき!? お花畑にいるからやりたいよねっ!』
『そうじゃなくて……
大人になったらどうするかを、考えたくて』
『……大人に?』
きょとん、と蘭ちゃんが首をかしげる。
私と同じくらいの年齢には見えるけれど、彼女には将来の夢とかあるのかな。
……私の中だけの存在なら、そんなことを考える必要もないのかな。
『やりたいお仕事はたくさんあるんだけど……』
『うんうんっ! お仕事ってたーくさんあるもんね!』
『……でも、『僕』じゃできないものが多くて……』
『もしかして、『男の子』だから?』
アイドルにもなりたいけど、女の子と男の子じゃなれるものが違いすぎる。
かわいいお洋服も着れない、かわいい歌も歌えない。現実の『僕』にそれらは似合わないもの。
『これからも、『私』を隠しながら生きていかなきゃ、と思うと……』
胸が、ジクジクと痛む。泣き虫になる。
居場所があったとしても、いつか押しつぶされるような気がして、心が重たくなる。
どうして、こんな体に生まれたんだろう。
どうして、こんな心に生まれたんだろう。
……どうして……
『蘭ちゃん! お花が……!』
僕たちを囲む花々が水分を奪われてじょじょに色を失い、枯れていく。
視界も、枯れた花のように色がくすんでいく。
心がざわざわと、イヤな重みをはらみだした。
……なにか、声が聞こえる……
蘭ちゃんじゃない女の人の声、男の人の声……サイレン……パトカーの、サイレン……
「深夜1時32分、確保しました!」
「奥に子どもがいます!」
「容疑者の子どもかもしれん、保護しろ!」
……え、なにこれ、何が起きてるの?
真っ暗な僕の部屋に、暗い色の服の人たちと……
「母さん!!」
母さんが誰かに腕を強く組まれて連れられていく。嫌がるように抵抗しても離れられない。両手はなぜか、布のようなものでかぶせられて見えない。
飛び起きて母さんを取り戻そうとしても、もう一人の男の人が僕を捕まえて必死に押さえる。
「どうして、母さんが何したんですか!?」
「落ち着いて、暴れないで!」
いやだ、ママが連れてかれるなんて!
ただでさえ会話する時間が短いのに、もっと会えなくなるなんて!
なんで、なんでママが……!
「こんな子どもをほったらかして詐欺を横行してたなんて、それでも母親か!」
どこかからそんな声が聞こえた。
……詐欺? ママが?
「うそ……でしょ……」
しかしママは何も言わないまま、マンションのエレベーターに乗り込まれる。
やめて、連れていかないで。
犯罪なんて、してないよね?
普段はお仕事で、忙しいんだよね?
「母さん!」
普段はママに聞かせないような高い声でそう呼んだ。
エレベーターの扉が閉まっていく。
やだ、やだ、どこに行くの、ママ。
ママが私をちらりと見やる。ママ、私と離れるなんてイヤだよね……!?
……チッ。
ママの口から、舌打ちが聞こえた。
……ママ……?
「君? 君、大丈夫か!?」
「救急車も呼んで! 子どもの意識がなくなった!」
……その日。
私とママをつないでた何かが切れた。
海に突き落とされる。飲み込まれる。
手を伸ばす力が奪われている。
このままだとおぼれるのに……どうなってもいい、とさえ思えた。
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