2-5.遺志

 そして、予想していた最悪なことが起きた。

 リビングの真ん中で、正座させられる私。

 目の前には、ソファに座って腕を組み、眉間にしわを寄せるお母様。隣にはピシッと座り緊張を顔に浮かべているお父様。

 そして、三人に挟まっているのは、あの日くれたネックレスに、他にもあーちゃんがくれた大きめの指輪、ヒョウ柄のカチューシャなどのプレゼント、そしてあーちゃんのデビューCD。

 いつもあーちゃんから貰ってたアクセをしまった鍵付きの引き出しの中を、お母様が私に断りなく開けたのだ。

 鍵はいつも自分の財布の中に入れてたのに。と思ったら、ヘアピンを使ってピッキングし、開けたのだそう。

 人の秘密を勝手にのぞくことに憤りを思えたが、実際後ろめたい行いをしているのは事実。当然の報いを受けるのだと、涙をこらえた。

「やはり、公立の小学校に行かせたのがダメだったみたいね。遠方でも我慢して行かせればよかった」

「まあまあ、私立に行かせたからってこうならないわけじゃ」

「アンタはお黙りッ! 今は茉莉子と話をしてるの!」

「ひいぃっ」

 お父様は小心者なので、お母様には逆らえない。そのまま従って、口をつむいだ。

「こんな品のない装飾品、誰からもらったの? 自分で買ったの?」

 あーちゃんからもらったなんて、言えない。こんなことに、彼女を巻き込みたくないからだ。

「……自分で、買いました」

「こんなの好むような子じゃなかったでしょ? やはりセンスが低俗になったのね。こんなもの、持ってるだけであなたの品格が下がるものなのよ」

 そんなの、お母様の勝手な想像だ。普段は経営に忙しくて、私のお世話なんて家庭教師たちに任せっきりなのに。

 このネックレスだって、女の子が華やかになるように真剣に考えて作られたものなのに。

 CDだって、ジャケットのあーちゃんはまぶしい笑顔でカラースプレーを吹かしてて、とてもキマってる。デザイナーさんと相談してカッコよく仕上げた、と本人の口から聞いた。

 本当の私は、お母様の選ぶ服が嫌いで、あーちゃん達ギャルがうらやましくて、本当は、休日は渋谷や原宿を歩き回って、ウィンドウショッピングしたい、『普通の女の子』なのにっ……!

 どうして私の意志なんて聞かないで、勝手に私の好みまで口出しするの!?

 『いい子』にならなきゃいけないけど、『都合のいい子』になんて、なりたくないっ!


『変わるのはいつも自分からでしょ?』


 あーちゃんが教えてくれた、新しい私を見つけるヒント。

 ……いつまでも息苦しい場所にい続けても、いずれ窒息するだけだ。

 変わらなければ、その先にあるのは自滅。実際、あーちゃんも活動場所を変えて生きてる。

 変えなければ、『私』という心が、死んでいく……!


「私はあなたじゃない! あなたがよくなくても、私には最高のアクセサリーなの!!

 友人のくれたものを悪く言わないで!!」


 目の前に広げられたアクセサリーとCDをかき集める。きっと返答次第で、これら全てを捨てるつもりなんだ。

 私の好きなものを否定されたくない。全て、あーちゃんが教えてくれたから。

 私とお母様が同時に立ち上がる。手を伸ばされたら終わりだ。

 恐ろしくなって、振り返ることなく靴をはかず玄関のドアを開けた。

 ごめんなさい、お母様、お父様。

 でもこればかりは……『悪い子』にならなければ。


 走る途中、家庭教師の先生とすれ違った。いけない。今日はいらっしゃる日だった。けれどあの状況の中にいさせるのは申し訳ない。

 会ったことをお母様に伝えないでほしい、とお願いをするのも、なかなか『悪い子』だ。けれど先生はなにか事情を察したのか、特に深く聞くことなくうなずいた。お勉強をサボってしまうことになることも謝ったら、

「そこまでして逃げるのに、確かな理由があるんですよね? 茉莉子さんのことだから不真面目な理由だとは思えないわ」

 とほほ笑んで返してくれた。

 ……ああ、私はなんと恵まれているのでしょう。

 お母様に背いて、また自分の意志で家出をした。まるでそのお恵みを捨てるようだけれど……きっと彼女も、こんな時があった。

 行く当てなんて……やはりあの公園しかない。

 けれど来たところで……今日は平日。次に会う約束は次の土曜日。あーちゃんが来てるはずがない。

 また、あのドーム型の遊具に隠れた。これこそ本当のかくれんぼだわ。今度こそ見つかったらどうなることやら。

 でも、自分自身が暖炉に投げ込まれるより、この宝物が灰になるほうが、もとイヤ。そんなの、私の心が灰色になるもの。

「はくしゅんっ」

 ……春になったとはいえ、外はまだ冷える。こんなに寒かったんだ。

 どうしよう。カーディガンを着てくればよかった。足だって靴下のままだ。

 このまま凍死するなんてことは……なんて大げさか。けれど風邪は引いてしまいそうだ。

 一度風邪を引いたことがあるけれど、両親は仕事で忙しく、看病をしてくださったのは近所に務めるお医者様だった。もちろんお薬を処方すれば、うつらないようにすぐに帰った。

 あの時も、独りぼっちだった。なんだか心細くて、いつもより泣き虫だった。

 それを思い出したら、さっきまでこらえてた涙が一粒、頬に一本の線を引いてぬらした。

 陽はすでに沈んでいて、公園を照らすわずかな街灯だけがドームの入り口を照らした。でも仲間では届かない。真っ暗闇の中、一人膝を宝物ごと抱えた。

 あーちゃん。会いたいよ……やっぱり一人は、イヤ……


「……あれ? まりっち?」

「えっ?」

 ドームの入り口に顔をのぞかせたのは……

 オーバーサイズのTシャツにライダースジャケットを羽織り、ダメージデニムをはいた金髪メッシュのギャル。

 一番会いたいと願った、大切な友人だった。


「ウッソマジ!? マジでまりっちいた!! つか靴は!? やばっどしたの!?」

「うそ、どうして」

「あーしもまりっちに会いたいて思って! あははっ、ウチらマジ以心伝心だわ!」

 おかしく笑いながら姿勢を低くしてドームに入る。やっぱり、その声も口調もあだ名も、あーちゃんだ。

 私の隣に座って、目元を人差し指でぬぐった。相変わらずその爪は欠けてる。

 私が泣いてるの、暗いのに見えたの……?

「陽が沈むまでが門限じゃなかったっけ? めずらしーね」

「……母と、もめまして」

「うっわ、ついにか。どんなことで?」

 それから、あーちゃんに事情を細かく伝えた。もう、何もかもあけすけに、つらつらと。

 話していくうちに、なんだか心がスッと軽くなった。前は泣きじゃくってたのに。あの時は感情的になってて、あふれてしまったのだろう。

 寒くて己の体を抱きしめると、あーちゃんは自分の羽織ってたジャケットを私にかぶせてくれた。あーちゃんのぬくもりだ。

「……そっか。あーしを優先したんだ」

「友達だから当然です。

 私をおもんばかってくれる人を、大切にしたいですから」

「あははっ、なんか照れるわ。

 まりっちにもあるじゃん、ギャルの才能」

「才能? ギャルとは属性で、能力を求められるようなものではなくて?」

「そーかもだけどさ。トモダチ第一で常に楽しいことを求めるのがギャルってモンっしょ? まりっちだってそーっしょ?」

 私にも、ギャルになれる可能性があるというの……?

 でも、私はまだあーちゃんみたいに、自由な人になれる自信なんて……

 今通っている女学院は校則が厳しく、メイクをすれば即刻落とすか、反抗するようならば謹慎処分……お稽古もあるから、おしゃれをしている時間がないように思える。

 私はまだ、籠の中の鳥だ。

「……じゃぁさ。

 これ、あげるよ」

 ポケットから出して渡したのは、一つの黒く丸いコンパクト。私の手のひらにおさまるほどに小さくて、フタにはキラキラと宝石のような装飾が施されており、まるで月のクレーターのようだ。

「キレイ……」

「あけてみ」

 側面のくぼみを押してコンパクトを開けてみる。フタ側に鏡がついてて、反対側にはまたフタがついている。それを上げると半円型の黄緑がはめこまれていた。

 ふわ、とわずかに甘い香りがした。

「これは?」

「練り香水。手首とかにつけるの。なんだったっけかな、花系の香りだったような気がする。

 あーちゃんなら大切に使ってくれるって、信じてるよ」

 真っ暗闇で顔が見えないけれど、きっとあーちゃんなら笑って言ってくれるんだと思えた。

 どうしよう。あーちゃんにはもらってばっかりだ。

「こんなにたくさん……返しても返しきれないです」

「いいって、子どものうちは恩恵を受けるものなんだよ。

 だからさ、大人になったら後輩に返したげてね」

「あーちゃん……」

 たとえ世の中があーちゃんを忘れても……私の心には一生、彼女のしてくれたこと、くださったものを忘れないでいたい。

「私、ちゃんとお母様とお話してきます。私の友人がどれほど素晴らしいかをお話すれば、きっとお母様もわかってくれるはずです!」

「……ん、そだね。

 親のこと信じられてエライよ、まりっち」

「ジャケットありがとうございました。

 今度また、原宿を楽しみましょう!」

 羽織ったジャケットを返してからドームに出て、あーちゃんに手を振って振り返る。

 急いで戻らなきゃ。きっと三人が心配してる。

 そうだ。アクセサリー全部つけたらどうだろう。少なくともお父様は「かわいい」と褒めてくれるだろう。お父様はカメラが好きで、よく学校行事で母の代わりも兼ねて来場して、一眼レフで撮ってくれたものだ。


 ……その時、私は忘れてしまっていた。

 あーちゃんがこの公園に来る理由は、耐えられない現実から逃げるためであるということを。

 彼女も悩み苦しみ、嘆き、私に癒しを求めていることを。



 ドアを開ければ、お父様が玄関で、心配そうな顔を浮かべながら待っていた。

 ……やはり、お父様を心配させてしまったのは申し訳ない。

「ただい、ま……」

「おかえりなさい、茉莉子! ああよかった、無事で……!」

 無事を確かめるようにかたく抱きしめるお父様に、私も涙がうつりそうになった。

「ごめんなさい、お父様……!」

「いいんだ、お母さんも言いすぎちゃったよね。

 タオル持ってくるね、少し待ってて」

 靴を履かずに飛び出したものだから、靴下が汚れてしまったことに気付いたのだろう。足の裏も汚れるに決まってる。

 ……痛い。足の裏に痛みを感じたので見てみれば、靴をはかずにコンクリートを走ったせいでできたマメがつぶれて、白い靴下に血がにじんでいた。

 そのことをタオルを持ってきたお父様にも知られ、大事件のように騒ぎ、慌てて救急箱を取りに急いだ。一度、ドタッと転ぶような音が聞こえた。いくらなんでも慌てすぎだ。

 ちなみにお父様は元『シシオスタイル』の仕立て職人で、現在は職人の中で一番偉い役職についている、プロの中のトップ。一応役員という立場だ。

 スーツづくりに欠かせない繊細な気質が今こうして、裏目に出てしまっているように見える。


 家に上がれば、そのままリビングにはいかせず私の部屋へと案内した。どうやら家庭教師の方が私と会ったことで、家族に問題があると思い相談をしているという。

 私の部屋に入れたところで、装着したアクセサリーを褒めてくれた。お父様は高級スーツに囲まれてお仕事をしているけれど、どのファッションもそれぞれの魅力があるということを理解していた。お母様には逆らえないので、小学校時代の私に毎日入学式のようなお洋服を着せることに口出しはできなかったけど。

「でも茉莉子が派手な柄なんて意外だなぁ。

 選んでくれたお友達はきっと、素敵な人なんだね」

「ええ、彼女とは『永遠に親友BFF』なのよ!」


 ……それから、母から謝罪のメールをもらった。

 家庭教師さんのお言葉のおかげで頭が冷え、間違えていたのは自分だとようやく気付くことができた、と書かれていた。

 あの人に会ってなかったら、お母様はまだあのままだったのだろうか。家庭教師さんにも感謝しなければ。

 次の日のお母様も、いつもの笑顔で食卓を囲んだ。友人のことを尋ねられ、そのまま伝えるとビックリしながらも喜んでくれた。

 そうだ。私の笑顔のきっかけは、あーちゃんだから。やっとそのことを伝えられた。

 そのタイミングで、キッズケータイからスマホに機種変更した。お母様も勝手に人の引き出しを開けたことを反省し、アクセス履歴などはのぞかないようにする、と念を押すように言ったのだ。

 もちろん私も、校則は遵守し、成績が落ちないように精いっぱい努力する、と改めて伝えた。当たり前のことだけれど、決して落ちこぼれたからギャルになりたい、ということではないことの意志表明をしたかったのだ。

 自由の象徴だから、ギャルになりたい。私の知らなかった世界を教えてくれた彼女のように、新しい自分を見つけていきたいのだ。


 しかし、新しく手に入れたスマホのニュースで一番に目に入ったのは……

『モデル・アーティスト 桔梗暁貴、失踪』

 という見出しだった。

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