第6話 桃(前編)
「どしたん、
こっちの様子をうかがうようにして、友達がやってきた。
放課後の教室には一部の生徒だけが残ってる。
「そんなってどんな?」
「ニヤニヤしながら、膨れてる? 情緒不安定か」
「そんな顔できないよ。うわっ! してる! 気持ち悪っ!」
スマホのインカメラ使って確認したら、本当にそんな感じだった。
両手で顔を覆って、整え直す。
さすがにこの顔は世間にお出しできない。
ついでにミディアムショートの髪も整えて、制服の乱れも正す。
「終わった?」
「終わったよ。ばっちり」
「それで、なんであんな変な顔になってたの?」
「怒られたんだよ。また」
「あー。親に、ね」
含み笑いしてるのが、イラッとくる。
「昨日さ。帰ってくるのが遅いって」
「早苗。塾行ってるじゃん。寄り道したの?」
「まっすぐ帰ったよ。そしたら、あんまり無理するな。身体に気をつけろって」
「怒られたっていうか、心配されてるだけじゃん。いつもどおり!」
「その後は、夜寝るのが遅いって言うんだよ」
「どうせそっちも、あんまり遅い時間までがんばり過ぎないようにって、心配されてるやつじゃん! マジメな上に優しくて仲のいい家族!」
「まあ……。へへ」
「結局、お見せできない顔になってるじゃん」
速やかにもう一度顔を整え直した。
「終わったら帰ろ。今日は早苗が大好きなお父さんにもお母さんにも怒られないように」
「どちらかというと、妹と弟のほうが好きかな」
「家族仲がよすぎる……!」
とにかく、わたしたちは一緒に学校を出た。
塾があった昨日と違って、今日はまだ日も高い。
さすが夏場。
「蒸し暑いねー」とか言いながら駅に向かって、快速電車で二駅。
友達が電車を降りて、さらに一駅先でわたしも降りる。
駅から家までは十五分ぐらい歩く。
「うーん。仲直りしよ」
友達には仲がよ過ぎるって言われるけど、わたしとしては口うるさく言われている気分だし、実際ちょっと言い合いになったし。
途中のコンビニに入って、コンビニスイーツを買う。
バイトもしてない高校生の身にはこのロールケーキ五つはかなりお高い。
でも、おいしくて好き。
みんな喜ぶだろうなーって思いながらお会計を済ませて、コンビニを出た。
「……?」
最初はなんだかよくわからない違和感だった。
ざわっとするような感じ。
何かの匂いとか物音を察しただけかもしれない。
続けてけたたましいサイレンが夏の夕暮れに響いた。
「なに?」
サイレンはひとつじゃない。
いくつもいくつも、見知った帰り道に鳴り響いて、目の前をパトカーが走り抜けていく。
家のほうに向かって。
自然と走り出していた。
叫び声や悲鳴、ものが壊れる音が聞こえてくる。
家のほうで、何かが起きているのは間違いなかった。
サイレンの音を聞きながらいくつか通りを過ぎたあたりで、向こうからやって来る人が増え始めた。
大人も子どもも、慌てた様子で走ってくる。
制服姿の学生がいれば、エプロンを巻いたままの女の人もいる。おじいちゃんとかおばあちゃんも息を切らせてやってくる。
怪我をして、血を流してる人がいた。
「キミ! こっちはダメだ!」
背広を着た男の人に呼び止められる。
「でも、家が……。何があったんですか?」
「俺にもわかってない。でもな――」
そこまで言って、彼は目を見開いた。
わたしも同じ表情だったと思う。
怪我をして走ってくる人が増えていて、その後ろ、角を曲がって男が駆けだしてきた。
腕がなくて、右目もなかった。残っている目は血走っていて、でも黒目は濁ってる。
そして全力で走ってくる。
逃げていた人が捕まって押し倒された。
腕のない人はそのまま倒した人に食らいつく。
アスファルトの上に血が飛び散った。
「え……」
立ち尽くす。
映画で見たことはある。
人が人に食べられてる。
その後ろから別の人たちが逃げてくる。
それを追いかける人たちも来る。
住宅街からぞろぞろと逃げる人と追う人があふれてくる。
人が倒れて、人が覆いかぶさって、血があふれて悲鳴が上がる。
気づいてしまった。
走る人たちの中にお父さんとお母さんがいた。
口の周りが赤黒く汚れていて、目は白目を剥いてる。
そっちに向かって歩み出す。
「バカ! 逃げろ!」
乱暴に腕をつかまれて引っ張られた。
「お父さん! お母さん!」
何人もの人に引きずられる。
抵抗するけど、抵抗できなかった。
頭では助けられてるってわかってた。
家族五人で食べたくて買ったコンビニスイーツが落ちて、他の人に踏まれてしまった。
◆ ◆ ◆
三日が過ぎた。
あれから色々あって、わたしは駅近くのショッピングモールにいる。
入り口にバーケードを作って、有志の人たちが交代で見回っているっていう……ゾンビ映画そのままみたいな光景が広がってた。
実際、そういうありさまだった。
ここに閉じこもってるから原因なんて誰も知らない。
宇宙からのウイルスとか、どこかの実験施設が事故を起こして……とか、そんなこと言ってる人がいるのも映画みたいだった。
とにかく、人が人を襲う。襲われて、身体が残ってる人は同じように人を襲うようになる。
そういうのが外をうろうろしてる。
照明を落とした二階の廊下にわたしはうずくまってた。
近くにはぼんやりした顔をした人たちが同じように座り込んでる。
きっとわたしも同じ表情をしてる。
見回りをしたり、食べ物や水の配布を管理してる人たちと違って、何かする技術もないし、何かできる気力もない。
ただ、スマホをポチポチしてSNSを眺めてる。
三日で、書き込みが激減したSNSに流れてくる情報は非公式で、悲観的なものばっかり。グロい画像を削除してくれる人もいなくなったのか、見てるとしんどくなる。
でも、見てしまうし、マメに更新してしまう。
電気がまだ止まってなくて、充電を制限されないのは本当によかった。
LINEを確認する。一時間に十回以上確認してると思う。
あの日、分かれた友達とは連絡がとれないままで、LINEに既読もつかない。
わたしの家があるあたりは焼き払われたらしい。本当なのかどうかわからないけど、屋上から見た時には、すごい量の黒い煙が上がってた。
あの日見た気がした家族とも連絡がつかないまま。
「封鎖してるから大丈夫だって」
誰かが言ってる。
映画だったら絶対大丈夫じゃないやつ。
映画じゃなくて、現実でももうもめ事は増えてる。わたしも身の危険を感じることが何度かあった。
それに食料には限りがある。
そもそも、SNSを見てても、ネットを見ても、国や警察や自衛隊からの発表がぜんぜんない状態じゃ何も期待できない。
ここはアメリカじゃないから、見回りがいても、銃も斧も持ってなくてすごく不安だしね。
ガタン! と、ショッピングモールの入り口のほうで音がした。
ガタン、ガタン!
いくつもの音が続いて、悲鳴が上がった。
「あ……」
いつの間にか立ち上がっていて、その光景を目にした。
ゾンビみたいな人たちが入ってくる。
何かきっかけがあったのか、ゾンビが押しかけてきたから自然に崩れてしまったのか。
とにかくもうここは安全じゃない。むしろ、他の入り口が塞がれてるから袋のネズミ。
なだれ込むゾンビを止めようとした人が、その数で潰された。
それを見た見回りの人たちは一目散に逃げていく。
「……ダメかー」
スマホを見る。
LINEには最近知り合った人との会話が表示されている。
tuki7467『今日のお昼頃、行きますね。近くまで行ったら、連絡します』
それはこんなことになる前に聞いていた都市伝説。
人間がどうにもできないことが起きたら、SNSを通して助けてくれる人たちがいる。
最初はツイッターでハッシュタグ#mikogosukurosiroをつけて、助けを求める。
向こうが気づけば、フォローしてくれてDMが届く。
それを通じてLINEのアドレスとかを交換して具体的な話をする。
あの日の後、試してみた。
驚くほどあっさりと連絡がとれて、LINEで色々話した。
そこまでは進んでたのに。
今日はもう夕方が近いけど、実際には誰も来なかった。
「……そもそも、信じられる話でもなかったよね」
こんなことになった世界で、かなりマメに返事をしてくれるから、もしかしてって思ったのに。
希望なんて持たなければよかった。
その時、いきなりゾンビが吹き飛んだ。
手足とかも飛んでた。
封鎖が破れた入り口から乱入してきた何かが走る。
低い唸りが響く。
それは黒いドレスを着た女の子だった。
多分、ゴシックロリータファッション。
あまりにもこの場に似合わない――ある意味似合ってる気もする――服装の女の子は、長い銀色の髪をなびかせて、手にした武器を振るっていた。
唸りを上げているのはチェーンソー。
ゾンビがバラバラになっていく。
多分、あれって振り回すようなものじゃないし、武器でもないと思うけど、女の子は軽々と振り回してる。
これも今のシチュエーションに合ってるけど。
その後ろから巫女装束を着た女の子が恐る恐るって感じでついてきてた。
ゾンビは片っ端から倒されてるからそっちは襲われない。
周りのゾンビを薙ぎ払ったところで、ゴスロリの子は足を止めた。
巫女装束の子と一緒にきょろきょろと周りを見る。
二階にいるわたしと目が合ったら、思い切り指差された。
「あの子です。先に写真もらってました」
「あんたか! 連絡くれたのって」
「え……。あ! ゴスロリと巫女装束! そっか! あなたたちが」
「そう。あたしは……」
ゴスロリの子が続けるよりも早く、ガラスが割れる音がした。
二階の窓がどんどん割れて、ゾンビがなだれ込んでくる。
「うそ……! どうやって二階に」
「じっとしてろ! 今行く!」
ゴスロリさんが叫ぶ。
さっきあの二人が入ってきた入り口からも、またゾンビが入り込んでくる。
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