第3話 告げ口(後編)
「本当にいるのね」
思わず言ってしまう。
ハッシュタグ、#mikogosukurosiroをつけての発言に始まる都市伝説。
相談したいことがあって、試してみて、返事をもらった。
色々なことを話した。
でも、根本的にはイタズラなんじゃないかって、正直なところこの時まで思っていた。
「ツキコと媛さん、たくさんお話してたと思いますよ」
ツキコちゃんが苦笑した。
「ゴメンなさい」
「ううん。気にしない」
モモさんが首を横に振り、ツキコさんも頷いていた。
こんなことは二人にとっては日常茶飯事なのかもしれない。
「呼び出しもこんなところでゴメンなさい。こんな時間に女の子に来てもらうところじゃないわよね。喫茶店はもう開いてないから……ファミレスとか行く?」
「気にしなくていいよ」
「媛ちゃん。生活厳しいんですよね」
同年代の子に言われるとちょっと恥ずかしい。
確かにそのとおりだし、お金を使わなくてよくてほっとしてる。
「本題だけど」と、モモさんが切り出した。
「わたしたちへの相談って、その生活に関してだよね」
そこまで言いつつ、モモさんは口ごもる。
直接顔を合わせて聞きづらいことだなって、自分のことながらわかる。
「あまり気にしなくていいわ。全部LINEで話した時、ツキコさんに伝えたとおりだから」
「そうだね。ゴメンなさい」
モモさんは今度こそ続ける。
「媛さんが困っているのは、お母さんが新興宗教に大きな借金を抱えてるから」
「宗教じゃなくてカウンセリングセンターとか名乗ってるけどね。NEXT SIDEっていう」
「その借金を返すために、媛さんはNEXT SIDEから紹介された仕事をしてる」
「そうね。補足すると、借金は増える一方。母さんが追加で色々買うからね」
父さんの遺影の周りはどんどん賑やかになっていく。
「紹介されたお仕事って言っても、NEXT SIDEの上のほうの人にお願いされたことをしたらお金をもらえる……。それだけよ」
さすがに何をすればいいかを自分で口に出すのはちょっと恥ずかしかった。
「でも、悩んでるのはそのことですよね」
「うん。ツキコさんに送ったメッセージは取り乱してたわね」
「ツキコは、媛ちゃんが限界なんだと思っています」
「そうかもしれない」
そんな自覚はない。
でも……毎日死にたいって思ってるんだから、そのとおりだと思う。
「ねえ。媛さん」
モモさんの声と表情が固い。
「それはわたしたちなんかより、警察に相談したほうがいいよ」
「わかってる。でも……そういうふうにすると、NEXT SIDEがなくなってしまう。母さんにはNEXT SIDEが必要なの」
「教祖……じゃなくて、カウンセリングリーダーだっけ。その人には死んだ人を見せてあげる力がある。もう会えない人と会わせてくれる」
「もちろん、一定のお布施が必要なんですよね。色々なものを買うという形ですけど」
「そう。話したとおりよ」
だから、父さんの遺影の周りには高価だけど安っぽくて必要もないものが溜まっていく。
母さんはNEXT SIDEから帰ってくるといつも幸せな顔をしてる。
父さんがまだ生きていて、私たちが三人で暮らしていた頃の笑顔を浮かべてる。
父さんが死んで、NEXT SIDEと出会うまでの母さんを知ってるからそう思える。
「カウンセリングリーダーが神様にお願いして見せてくれるんだって」
「それがツキコたちに相談してきた理由なんですね。人の手ではできるはずもないこと」
「ええ。私は今、確かに辛いけど。神様が本当にいて、母さんが父さんと会うことができてるなら、それでいいと思ってるわ」
それなら何だって我慢できる。
この先のことだって考えずにいられる。
「じゃあ、わたしたちにできることって?」
モモさんはベンチに腰掛ける。
「ええ。その……ただ質問するだけで呼んだ。そんなことしていいのかわからないけど」
「質問に答えられると思ったから来たんですよ。興味がない話だったら最初から反応していません」
「それなら……。うん。お願い」
私がツイッターで最初に尋ねた質問。
「神様って本当にいるの?」
そういう質問を求めているわけじゃないのかなって思いながらも、書き込んだ。
私が聞いた話だと、あのハッシュタグで二人が応じてくれるのは人間がどうにもできないことだけ。
確かに、人間には答えられない質問だとは思うけど。
「いるよ」
モモさんが当たり前みたいに言った。
それから肩をすくめる。
「証拠とか何も出せないけどね」
「でも、それを聞きたかったんですよね」
「ええ。神様がいるなら、私がしてることに意味があるわけだから」
とは言っても、モモさんが言ったように、二人の言うことを信じる証拠は確かにない。
「もうひとつ聞いていい?」
「もちろん。人間じゃどうにもならないことを聞いてみて」
「人間じゃどうにもならないことを相談できる。二人は何者なの?」
「神様的な存在かな」
「じゃあ、ツキコはそのお手伝いをする存在ですね。SNSの確認とか」
巫女装束でスマホを弄ってる。私のものよりずっと新しいiPhone……。
「今の説得力あった?」
「ぜんぜん」
思わずちょっと噴き出してしまった。
「もうひとつだけ質問したいけど、いいかな」
「説得力ないのに?」
「うん。なくてもいいの」
それでも尋ねたいことがある。
「人が死んだ後、魂ってどうなるの? 神様的存在」
今度は即答されなかった。
二人は顔を合わせると、少し考える。
「わたしは……知らないほうがいいと思うかな」
「そうですね。色々なパターンはありますけど。知らなくていいと思います」
「そうなのね……」
言葉を濁されたけど、なんとなく本気で言ってくれてるのはわかる。
きっと重ねて聞いても教えてくれないだろう。
「これで十分。ありがとう。信じることができれば、まだまだがんばれる」
鞄をぎゅっと持つ。
「ほんとにこれだけでよかった? こんな説得力ない答えなのに」
「説得力がなくても、誰かに言ってもらえると違うわ。それに……やっぱり二人は普通の人とは違うって気がするし」
時計を見ると、予定していた時間を過ぎていた。
「私、そろそろ行かないと」
「NEXT SIDEに行くの?」
「会うのは関係者だけど、本部に行くわけじゃないわ」
呼び出されたのは神聖さとは関係ないホテル街。
「それじゃね。モモさん、ツキコさん」
「待って」
二人にぺこりと頭を下げて、行こうとしたところ呼び止められた。
「聞いちゃうけど。媛さんが今日会う人って、カウンセリング……なんだっけ? えっと、教祖的な人?」
「違うわ。カウンセリングリーダーには呼ばれたことないから」
「そう。ありがとう」
今度こそ私は公園を出る。「気をつけて帰って」と、二人に言い残した。
そして、夜の街をいつものように一人で歩いて行く。
意味があるなら、そう錯覚できるなら、がんばることはできる。
今日の足取りは昨日より軽いはず。
◆ ◆ ◆
モモは電気の消えた一室に立っていた。
彼女のまとうゴシックロリータの黒いドレスが闇に溶け込んでいる。
窓から差し込む月明かりに浮かぶのは、こじんまりとした部屋の風景だった。
必要最小限の家具しかない質素な部屋。
モモが見下ろすベッドの上では若い男が寝息を立てている。
取り立てて特徴のない顔だちをしていて、ユニクロのパジャマを着て眠っている男だが、彼がNEXT SIDEのカウンセリングリーダー、つまりはいわゆる教祖で代表であることを、モモは知っていた。
ツキコが調べたホームページや、それ以外の画像でも確認したので間違いはない。
モモは何の感慨もなく彼の顔を眺める。
それから手にしていた包丁を振り下ろした。
響いたのは硬質な激突音と、ブチブチという鈍い切断音。
モモの包丁を食い止めたものは、ベッドの下からあふれた触手だった。
一本一本が人間の腕ほどもある肉の塊が、無数に現れ、モモへ襲いかかる。
とっさにモモはもう一振りの包丁を手にして、二刀をもってそれらを凌いだ。
肉が千切れて、闇の中に血しぶきが散る。
「5」
部屋の隅に白くたたずむツキコが呟いた。
モモの包丁さばきは鋭く速い。
襲いかかる触手をことごとく切り落とす。
顔やドレスが血にまみれても止まらない。
しかし、現れる触手の勢いと数は止まらない。
部屋の壁も床も、いつの間にか脈打つ肉の塊と化していた。
包丁の一本がへし折れた。
すかさず新たな包丁を抜き、振るうが、モモの息は徐々に荒くなっている。
「4」
告げて、ツキコは眠るカウンセリングリーダーと、それを護る触手を流し見る。
「モモちゃん。やっぱり、その人は神様に護られています」
「詐欺師じゃなかったみたいね。わたしも人殺しにならなくてよかった」
モモが弾かれ、下がった。
スカートを翻し、編み上げブーツでたたらを踏む。
「3。身体がもたないですよ」
「もたなくても、この神様が気に食わないなら殺すよ。でも――」
モモは触手を切り払いながら前に出る。
「ねえ、人に聞いたんだけど。
ブツンブツンと触手が切断される。
「2」
「今、戸惑ったね」
モモの身体が揺れた。
血の気が引いた顔が薄闇に青白く浮かんでいる。
しかし、両足はしっかりを床を踏みしめる。
「いいことを教えてあげるね。そういうのしてる奴がいるよ。NEXT SIDEの上のほうに。あなたが護ってる……願いを聞いてあげてる人も知らないってことだよね」
叩きつけられた触手を渾身の力で引き裂く。
「神様なのに、そういうふうに利用されて、許すことできるの? その人が善意だけでやってるなら、そういうの許すことができるの?」
部屋を埋め尽くす触手が震えた。
「1。モモちゃん!」
「わかってる! ここで死にたくない」
触手が一斉に襲いかかる。
その勢いは一瞬前の比ではなかった。互いが互いを傷つけ合うことすら恐れず、モモめがけて一斉に突っ込む。
しかし、それらに捉えられる直前、モモは一直線に走り、窓を突き破っていた。
「これで十分」
モモは唇の端を上げた。
彼女は黒いドレスをはためかせて、ビルの五階から落下する。
◆ ◆ ◆
私は真っ暗な部屋、湿ったベッドの上で目を覚ます。
その人はいつも終わったら、電気を消してしまう。
ほとんど何も見えない部屋。
さっきまで押さえていた心が戻っている。
頬を伝う涙を感じた。
悲しいとか、辛いとかじゃなくて、虚しさが心を埋めていく。
最後に残っているのは、母さんが幸せでいること。
あの二人は母さんが見ているものがきっと事実なんだって思い込ませてくれた。
ひとしきり涙を流した後、もう一度眠る。
それがいつものことだった。
湿り気を帯びて気持ち悪いベッドに潜り込もうとして、ふと気づく。
真っ暗な部屋の中で、いつも聞こえる無神経な鼾が聞こえてこない。
その人がいるのに。
怒られてしまうと思いながら、枕元の電気を点ける。
「……っ!?」
声を上げそうになった。
口を押さえて我慢した。
その人は息をしていなかった。
私はこんなに恐ろしく表情を歪めた人間を見たことがなかった。
◆ ◆ ◆
モモは閉じていた目を開けた。
彼女は公園のベンチの上に寝転がっている。
頭はツキコの緋袴に包まれたツキコの太ももを枕にしている。
モモが全身に浴びていた返り血は全て消え失せていた。
「まぶしい……」
「おはようございます」
「うん。おはよ。ちょっと動けないから、もうしばらくこのままでいい?」
「気が済むまでどうぞ」
にこやかにのぞき込んでくるツキコに、モモは疲労を隠さない。
顔色は昨夜のまま青白く、呼吸は心なしか細い。
「ニュース見せて」
「はい。こちらです」
ツキコがスマホでネットニュースを見せる。
今朝のニュースで大々的に取り上げられているのは、NEXT SIDEの幹部がことごとく急死していたというものだった。
ツキコが操作すると、カウンセリングリーダーが涙ながらに会見している。
「心から悲しんでるっぽいね」
「いい人なんですね。いい人だから、下の人が何をしていたかも知らなかったのかも」
ニュースが終わるのを待って、モモはぎくしゃくと身体を起こす。
「神様、自分が利用されるのは許さないからしかたないね」
「ですねー。媛ちゃんが幸せになればいいんですけど」
「それは人間がどうにかできることだから、わたしたちは関係ないよ」
モモが目を閉じた。
ツキコは微笑を浮かべたままで、二人はしばらくそうしていた。
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