第3話 告げ口(前編)

 三年前。

 私は幸せだった。

 陸上の区大会で一位をとって、県大会への出場が決まった。

 それを父さんも母さんもすごく喜んでくれた。

 仲がよくて、幸せな家だったと思う。


   ◆ ◆ ◆


 見慣れた夜道を歩く。切れかけた街灯が瞬いていた。

 時間は夜の十時。

 高校の授業が終わってすぐにバイトに向かって、ずっと働いてた。その疲れが重くのしかかってくる。

 陸上部をやってた頃には、いくら練習で疲れてもそういうのはあまり感じなかったのに。

 ため息が出る。休みたいけど、早く帰らないとかえって辛いのもわかってる。

 こういう時、陸上部で鍛えた体力が役に立ってくれて、ありがたかった。

「ただいまー」

「おかえりなさい。ひめちゃん」

 アパートのドアを開けると、母さんの明るい声が飛んでくる。

 小さなリビングで母さんが待っていた。

 私より身長が低くて、時々、私より幼く見られてしまう母さん。

 服装もかわいらしいし、髪型とかもこだわりがなくて、後ろでふたつにまとめてるだけとか、そういうのが幼く見られる原因だと思う。

 むしろ、私は父さんの遺伝が強いのか、クラスでは一番背が高い。

 顔は大人っぽいらしくて、いつも本当の年齢より大きく見られる。幼く見てほしいわけじゃないけど複雑。

 手足も長くて、そっちはちょっと気にしてる。

 友達はうらやましいって言ってくれるけど、それはそれで悩んでしまうこともある。

 陸上時代、いつも日焼けしてた肌はずいぶん白くなった。

 身体がかなりなまってしまったので、時々がむしゃらに鍛えたくなってしまう。

「媛ちゃん。疲れた顔してるの大丈夫?」

 母さんが背伸びして顔をのぞき込む。

 こういうところはいつも鋭い。

「うん。ちょっと疲れてるわ」

 だから正直に言う。

「そうだと思って。母さん、今日は元気の出る料理にしておいたから」

 テーブルの上に並んでいるのは、いつものサラダやお味噌汁に加えて、ブタニラ炒めと、とろろとオクラと納豆。ネバトロ丼にするらしい。

 確かに疲労回復に効くメニューばかり。

「ありがとう母さん。そうだわ。忘れないうちに、これ」

 鞄を開けて、下ろしてきたお金を渡す。

 先月のバイト代が入金されていた。

 いつも明るい母さんが表情を曇らせる。

「媛ちゃん……。ゴメンね。母さん、できるだけ節約するから」

「わかってる。いつも助かってるわ」

 おかずの数は多いけど、母さんが食材を買う時に安い日を選んでまとめて買ってくれてることも、冷凍したりしてうまくやりくりしていることも知ってる。

 多分、健康的に生きる上での限界近くまで切り詰めてる。

「あ……」

 母さんが呟く。

 お金を見てた。

 それから、なんでもないって顔をする。

 でも、私も母さんの子どもだから、そういう時の表情に対して鋭い。

「ちょっと足りない?」

「……うん。今月は出費が多くて」

 母さんは首を横に振る。

「だけど、母さんがんばる。シフトも増やしてもらったし」

 両手をぎゅっと握り締める。

 そんな仕草も私より年下みたいで、微笑ましく感じてしまう。

 前よりも小さく思えるのは、きっと母さんが三年前より痩せてしまったから。

「私も、がんばるよ」

 笑えたかな。

「でも、媛ちゃんは……。部活も辞めたし。これ以上無理なんてさせられない」

「私は体力あるから大丈夫よ。気にしないで」

 背を向ける。

「手、洗ったりしてくるね」

 寝室にしてる和室を通る。

 きれいものがたくさん飾ってあった。

 小さな仏壇があって、そこには父さんの写真がある。

 写真の中の父さんは懐かしい笑顔を見せている。

 一年前に死んでしまった父さん。

 その周りに色とりどりの花が並んでいて、宝石なのかガラス玉なのかわからない飾りもたくさんある。

 極彩色の魔方陣みたいなものとか、垂れ幕みたいなものとか。

 仏壇の周りには明らかに仏教とは違う……インドっぽい? 祭壇がいくつも並んでいた。

 立ちこめている甘くて煙たい匂いは祭壇に上がったお香のもの。

 朝昼晩三回焚いているので、和室だけじゃなくて私の部屋にも、リビングにも染みついてる。もちろん私の制服にも。

 これにいくらかかってるのか。

 父さんが死後、あっちの世界で幸せでいてくれるための備え。

 私たちが死んだ後、必ず父さんのもとに導いてくれるための道具。

 日に日に増えていく色々なものに、渡したお金をいくら使ってるのか。

「お待たせ。母さん」

 物置に鞄とかを置いてきた。私の部屋は今はもうない。

「ううん。ゆっくり食べましょう」

「明日も早いからゆっくりは食べられないわ」

 テーブルに着いて、こんな時間まで私を待ってくれていた母さんと一緒に手を合わせる。父さんのいる仏壇のほうに向かうのもいつもの流れ。

 今日のことを話しながら、私と母さんはご飯を食べる。

 ちょっと冷めてるけどとってもおいしい。

 でも……少しだけ。

 限界が近いなって、感じていた。

 スマホがLINEの通知を伝えてくれる。


tuk46764『どこでお会いしますか? 指定してもらえればどこでもかまいませんよ』


   ◆ ◆ ◆


 家の近くにある小さな公園にたどり着くと、その二人が姿を現した。

 遊具の陰から音もなく現れたのは、黒いドレスを着た女の子。多分、私と同い年ぐらい。

 かわいいリボンやフリルで彩られているドレスだけど、夜に溶けるような色をしていて、その意匠はまるで喪服みたい。

「こんばんは。わたしはモモ」

 その子は言った。

「ツキコです。よろしくね」

 もう一人、モモさんと対照的な白い巫女装束を着た女の子――ツキコさんはブランコに座ってた。

 二人がいるのに気づかなかった。

 こんな小さな公園で見落とすとは思えないけど。

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