第2話 音姫(後編)
「お礼にきららの命をちょうだい」
声がした。
鏡の中のきららの、きららと同じ声。
きららと同じ姿の女の子が、きららと同じ幸せそうな顔をして、鏡の向こうから出てくる。
顔が首が胸が出てくる。
「え……?」
その手が首に触れた。
「……っ!?」
引っ張られた。腰が洗面台にぶつかって痛い。息が詰まる。
すごい力で首をつかまれていて、「ごひゅっ」と、変な息が漏れて。
ブシュッ。
飛び散った何かが顔を汚した。
熱くてすごく嫌な匂いがする。
鏡から出てきたきららの顔が真っ赤に染まってる。
「いやぁぁぁぁ!」
悲鳴を上げていた。きららの首をつかんでいた腕がボトッと落ちたから。
鏡の向こうのきららの腕は肘あたりから切り落とされてた。
それをしたのは、手斧を持ったゴスロリの女の子だった。
「危ないところだったね。間一髪」
血まみれの手斧を弄びながらニコニコしてる。
「わたしはモモ。よろしく」
「そして、ツキコです。LINEのほうではどうもです!」
ゴスロリの女の子――モモさんの後ろで、トイレにはまったく似合わない巫女装束を着たツキコさんがひらひらと手を振ってる。
「あ、ありがと……。ほんとにいたんだ」
「相談に乗ってたじゃないですか」
一ヶ月前の夜。
合わせ鏡のおまじないをして、鏡の向こうのきららに話しかけられてから、友達に聞いてみたり、ネットで調べてみたりした。
出てきたのは合わせ鏡をした人は本当に死ぬという話とか、実際に行方不明になった人の話とか。
信じてなかったけど、不安になっちゃった。
だって、先輩とはうまくいくはずないと思っていたのに、うまくいってしまったから。
だから、信じてなくても、巫女とゴスロリの都市伝説を試してみた。
ハッシュタグ、#mikogosukurosiroをつけて、ツイッターで呟くと、本当にやりとりができて、話を聞いてもらえた。
「でも、どうしてここがわかったの?」
デートでこのショッピングモールに行くとか教えてない。
「住んでる場所を聞いてましたし。あとは……デートに行くって言ってたから、このへんかなーって」
「ツキコ。そういうのよくわかるよね」
「勘ですよ。勘」
ふふーんとツキコさん。
「さーて」と、モモさんは血まみれの手斧を構える。
鏡の向こうからずるずるときららと同じ姿の女の子が這い出してきた。右手がなくなってるけど。
「こっちのきららちゃんを殺せばいいのかな」
「なんできららを殺すの?」
鏡のきららが首を傾げる。
「きららはきららと約束してたんだよ。きららはきららのお願いをかなえた」
「で、でも……! こんなことになるなんて」
「契約してるのかー。それは……確かによくないよねー」
モモさんが眉を下げる。
「初耳です。きららさん、黙ってました?」
ツキコさんはうーんと唸る。
「命をくれるって言ったから、きららはお願いを聞いたのに」
「だって、あんなの夢だって思ったもん。鏡の中のきららが話しかけてくるなんて」
「でも、約束しちゃったんだよね。命をあげるって」
モモさんがため息をつく。
「わたしはこいつら全部死ねばいいって思ってるけど。いつもみたいに理不尽に殺しに来る類の奴じゃないと、ちょっと気後れするんだよね」
「あのきらら、なんなんですか!?」
思わず聞いてしまう。
「神様みたいなもの。願いごとかなえてくれたでしょ」
モモさんの言ってることはよくわからない。
「とにかくね。約束しちゃったなら、きららちゃんにも責任あるよね」
責任なんてないし知らないって言いたかった。
でも、モモさんの目には言い訳を許さない厳しさを感じる。
表情は変わらないのに。
「でも、一方的過ぎるよね。法律とかに照らし合わせたら、違法だと思う」
「きららたちに人間の法律は関係ないよ」
「かもね。だから、わたしもそういうのどうでもいい。わたしが聞きたいのは……」
斧を構えて、鏡のきららとの間に立ってくれる。
「これはきららちゃんの問題だから、きららちゃんにも命をかけてほしいってこと」
「命?」
「そう。わたしもあいつと似たようなものだから、きららちゃんにお願いされたら聞いてあげたい。でも、今回は向こうに非がないから、わたしの身を削りたくもない」
「うんうん」と、ツキコさんが頷いてる。
「でも、わたしはきららちゃんの命を使って、きららちゃんが今殺されないようにはするよ」
「や、やだ……! きらら、そんなの……」
信じてないけど、でも。
「だったら、今死んじゃう」
嘘だと思いたかった。
でも、さっき、鏡の向こうのきららに触れられた時、もうダメだって思った。
力が強かったけど、そういうのじゃない。
絶対に助からないっていう何か。今も……それは消えてなくて。
「決めて。時間がないよ」
鏡のきららがこっちに向かって歩き出す。
なくなった腕から血は流れてない。
きららと同じ顔はさっきと同じで幸せいっぱい。
浜崎先輩の顔が頭に浮かんできた。はにかんだ先輩の表情に胸がぎゅっとなる。
「助けて! 死にたくない」
「はーい。お任せ!」
モモさんが手斧を振り上げて、鏡のきららに襲いかかった。
二人はもつれあって女子トイレを転がっていく。
「うーん。10ですね」
ツキコさんがポンと手を打つ。
「10って?」
「今はもう9になりました」
すごい音がした。
手斧を振り回すモモさんと鏡のきららが衝突する。
鏡のきららは手斧を素手で弾き返していた。
二人の激突で鏡とか壁がバンバン壊れていく。
「……うーん。正面からはやっぱり辛いよね。いつもみたいにこっちを嘗めてるうちにどうにかしたいのに」
「8」
モモさんが後ろに大きく弾き飛ばされた。
壁に激突する寸前でなんとか踏みとどまる。
「う、あっ……!」
急に息苦しくなる。
さっき先輩のことを思った時とは違う、見えない何かに身体の中を締め付けられてるような嫌な感覚。
めまいがして、うずくまってしまう。
目の前がぐらぐら揺れてる。
「7」
「きららちゃん!」
涙で滲んだ視界の向こうで、モモさんが叫んでた。
「これ以上、使わないから」
モモさんが床を蹴った。
大きく振りかぶった手斧を叩きつける。
叩きつける。叩きつける。
鏡のきららとモモさんは激しく打ち合いながら走り回って、そのまま個室の壁を壊してしまった。
便器が壊れたからか、水道管が割れたのか激しい水しぶきが上がった。
こんなにすごいことになってるけど、誰も来ない。
壊された個室からゴボゴボゴボと音がする。
隙間から、モモさんがきららと同じ顔を、水を噴き出す洋式トイレに突っ込んでるのが見えた。
「ちょっとエグ過ぎるね」
モモさんがボタンを押す。
水飛沫やゴボゴボいう音をかき消すように、水を流した時と同じ音が流れる。
そういう目的の装置、音姫。
「せめて音はこれで誤魔化しちゃおう」
モモさんは手斧を大きく振り上げてた。
洋式トイレに詰まったきららの後頭部に全力で叩きつける。
吹き出す水が赤く染まる。
音姫はまだ鳴り続けていた。
さっきまで暴れてた鏡のきららは手足を伸ばして動かない。
「おしまい」
振り返ったモモさんは全身ずぶ濡れだった。
白い髪がドレスにべったりと張りついてる。
ブラウスも、スカートも、ソックスも編み上げブーツもビショビショに濡れそぼってた。
滴る水を黒い手袋で拭う。
「あ、ありがとうございます……」
「うん。じゃあ、わたしとツキコは帰るね」
そのまま立ち去ろうとする。
「待って!」
「ん?」
呼び止めると、振り向いてくれた。
「きららの……きららの命って……。あと、どれだけあるの?」
「ああ。ちょっと使ったけど、かなり残ってるよ。もう苦しくないよね」
言われて胸を押さえると息苦しさは消えてた。
そして、顔を上げるとモモさんとツキコさんの姿はなかった。
壊れた個室とか鏡とか、水浸しだったトイレも全部入った時と同じ状態に戻ってる。
恐る恐る個室を覗いたけど、鏡のきららもいなかった。
他の人がトイレに入ってきたので出ていく。
外では先輩が待っていてくれた。
「きららちゃん。大丈夫」
「えっ?」
「顔色悪い気がする。休憩とかする?」
「う、ううん。ぜんぜん大丈夫です!」
首をブンブン振る。
先輩はまだ心配そうにしていてくれたけど、きららが大丈夫アピールすると信じてくれた。
これからスイーツを食べたり、買い物をしたりする。
そんな予定でショッピングモールを歩いて行く。
振り返っても、女子トイレに変なところはなかった。
「夏休みの間に……また遊びに行きたいな」
先輩はぽつりと言う。
「きららちゃん忙しいとは思うけど」
「来週! 来週行きたいです! できれば、その次の週も……!」
きょとんとした後、先輩は目を細めてくれた。
「できるだけ一緒にいたいね」
「はい。一緒にいたいです!」
それはきららのわがまま。
先輩こそ忙しいのはわかってるのに。
でも……。
胸を押さえる。
あの時に感じた苦しさは消えてるけど、でも……。
「7」って、ツキコさんが言ってたのが忘れられなくて。
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