第1話 ポールアックス(後編)
靴をはくのもそこそこに玄関から飛び出す。
何も考えてなかった。
でも、家の中にいるのが怖かった。
人の多いところまで走る。それから母さんに電話する。
気のせいならそれでいい。
今も背中に感じてる視線が気のせいなら。
しばらく走って、息が切れて立ち止まる。
国道に出た。
片側四車線の大きな道路で近くにはコンビニが見えてる。
「なんで……?」
今になっておかしなことに気づく。
午後七時の国道に車が一台も走ってない。人の姿も見えない。
コンビニにも店員すらいない。
コツッと後ろから聞こえた足音。
振り返ってから後悔する。
何もいない。
でも、視線を感じる。
どこからかわからない。
曲がり角の向こうから。
近くの家の塀の向こうから。
また足音。
「や……」
声がうわずる。
周りを見回しながら、震える手でスマホを取り出す。
母さんに電話をかける。
繋がるけど出ない。
「出てよ……」
友達に電話する。
繋がるけど出ない。
「出てよぉ!」
また足音。多分、きっと……近づいてる。
110番にも繋がるけど誰も出ない。
がくがく震えてる脚がカクンと折れてしまった。
うずくまる。動けない。
何が起きてるかわからない。
怖い。
誰かが見てる。
泣いていることに今さら気づく。
スマホを取り落としそうになった。
辛うじてつかんで。
それで、通知に気づいた。
LINEに連絡が来てる。
「これって……。うそ」
母さんからでも友達からでもない。
tuki28467っていう見覚えないアカウント。
でも、それが誰か知ってる。
さっきベッドでゴロゴロしてた時に何の気なしに試していた。
学校で聞いた『巫女とゴスロリ』がやってくるって都市伝説。
ツイッターにハッシュタグ #mikogosusirokuroつけて呟いて。
本当にDMが送られてきたから、LINEのアドレスを交換した。うさんくさすぎるけど、いざとなればブロックすればいいって思ったから。
そして、LINEのほうにメッセージが届いてた。
tuki28467「大丈夫ですか?」
tuki28467「無事ですか?」
tuki28467「確かにわたし、すごく怪しいんですけど、変なことがあったら何でもいいから教えてください。怪しいですけど、損とかさせませんから。何かあってからじゃ遅いんです。お願いします」
tuki28467「大丈夫ですか? ほんと大丈夫ですか? どこにいます? すぐ行きますから」
たくさん届いてた。
確かに怪しい。
でも、反射的に返事してた。
国道の場所、街の名前。慌てて入力する。
足音が響いた。
今度はすごく近い。
でも――。
これまで聞こえていたものと違った。
振り返れば、そこに人影があった。
無人の国道の中央分離帯にさっきまでいなかったはずの女の子が二人いる。
一人は街中にはそぐわない巫女装束の女の子。
巫女装束の上に正式な神事の時なんかにまとう千早を身につけている。黒髪もきれいに後ろでまとめていた。
そんなしっかりとした巫女姿とは裏腹にちょっと子どもっぽく感じるのは、あたしより身長が低いこととか、黒い瞳がくりくりしているせいかも。
「こんにちはー。あれ。そろそろこんばんはでしょうか?」
それに表情がコロコロ変わるかわいさなんかもあるかも。
その巫女さんはパタパタと元気に手を振っている。
「こんにちは、でいいんじゃないかな。まだお日様は出てるし」
もう一人は中央分離帯の柵に腰掛けていた。
巫女装束と同じように住宅街にはそぐわない黒いドレスを着てる。
お姫様みたいにボリュームあるスカートや、フリルやリボンで彩られたかわいらしい意匠と、そういうのとは裏腹な昏い印象のデザインと黒一色の色彩。
ゴシックロリータとかいわれるファッションだと思う。
「だから、こんにちはだね」
にこやかに笑いかけてくれた。
色が全部抜け落ちてしまったみたいな白色の髪がふわりと揺れる。
前髪をきれいに揃えた髪型はやっぱりお姫様みたいで、大人っぽい顔に浮かべた柔らかい微笑のギャップにドキっとする。
「それで、どうすればいい?」
尋ねられたけど、驚き過ぎて答えることができなかった。
口をパクパクするだけ。
「よいしょっ」
ゴシックロリータ――ゴスロリの女の子は柵から腰を上げて、ひょいっと道路に降り立った。
お尻をパンパンと叩く。
「聞くまでもなかったね」
そう言った時、彼女の視線はあたしの後ろを見ていた。
忘れかけていた足音がすごく近い。
振り向こうとする。
それよりも早く、
「じゃ、お任せコースでいってくる!」
にっこり笑って、白い髪をなびかせて、ヘッドドレスの黒薔薇を揺らして。
彼女は駆けだしていた。
編み上げブーツが硬い足音を立てる。
その手には最初から持っていたのか、長い柄を持った大きな斧が握り締められていた。
ゲームなんかで見るポールアックスってやつに見える。
「がんばってくださいねー! モモちゃん!」
「はいはーい。ツキコ。いってくる」
巫女さん――ツキコさんが手を振って、ゴスロリ――モモさんが走り抜ける。
「カウントしますね。5」
ツキコさんが手を叩いた。
同時に、国道沿いの民家の物陰から黒い塊が飛び出した。
見てる。あたしを見てる。
それは黒い獣だった。どんな動物なのかはわからないけど、四本脚の何かで、虎みたいに大きいってことだけはわかる。
全身に目がある。
顔に、首に、背中に、脇腹に、四肢に、大きく開いた口の中にも。
それがあたしを見てた。
ずっと見ていたのはこいつだってわかる。
「出てきたー!」
モモさんが弾む声を上げて、ポールアックスを叩きつけた。
獣が身悶えて、赤い血が道路や塀に飛び散る。
「4」
獣が吼える。
目玉のある口が牙を剥いて。巨体がモモさんに襲いかかる。
「何言ってるかわかんないよ」
白い歯を見せながら身を翻す。
スカートがふわりと踊って、ポールアックスが大きく孤を描いた。
目玉の獣とモモさんがすれ違う。
一瞬の間を置いて獣の首が落ちた。
大量の血が道路にこぼれる。
獣はそのまま五歩ぐらい進んで、倒れた。
モモさんは振り返って、獣の首と身体を確かめて頷いた。
「うん。おしまい」
ポールアックスを軽々と担ぐと、こっちに戻ってくる。
白い頬に返り血がついてるけど、気にしてない。
「もう大丈夫だよ」
動かなくなった獣を指す。
「あれは……なんなの?」
「んー。聞かないほうがいいと思うけど」
「モモちゃん。ちょっとじっとしておいてください」
いつの間にかこっちに来ていたツキコさんが取り出したハンカチで、モモさんの顔についた血を拭う。
「乾いたら取れにくくなるんですから」
「ありがと。気づかなかった」
ツキコさんの手つきはすごく丁寧で、血はほとんど残らない。
「それじゃね。わたしたち帰るから」
「え、でも……」
「もう何も心配しなくていいよ。信じて」
「ツキコのことも信じてください」
二人して自信満々なので、なんとなくそうなんだと思った。
「でも、母さんが。それに、街も変で」
誰もいない街を見回す。
母さんはいなくなったまま。
「それも運がよければ大丈夫」
「うん。多分、このケースならもとに戻ると思います」
「運とか多分って。これどうなってるか……」
教えてほしいって続けようとした。
でも、その時、モモさんとツキコさんはいなくなっていた。
あたしが目を離したのは、街を見回した一瞬だけのはずなのに。
「あ……」
街に音が戻っていた。
夕方の国道を車が行き交っている。
「うわっ!?」
慌てて歩道に戻ると、人にぶつかりそうになった。
全部もとどおりになってる。
巫女装束の女の子とゴスロリの女の子、死んだ獣だけがいなくなってた。
「夢?」
だとしたら、あたしは寝ぼけて街中まで歩いてきたか、街中で寝ぼけてたことになってしまう。
それに、スマホを見ると、tuki28467さんと交わした会話は残ってた。
ただ、そのアカウントはもうないことになっていたし、ツイッターのアカウントにももう繋がらなかったけど。
◆ ◆ ◆
「おかえり。一度帰ってからまた出かけてたの? そろそろご飯よ」
キッチンには我が家の生姜焼きのタマネギが混じったいい香りがしてる。
そして、母さんはちゃんとそこにいた。
「透夏? どうしたの?」
いつもどおりの母さん。
「ううん。なんでもない」
いつもどおりの夕方。
もう視線は感じない。
「あのね……。何かお手伝いすることある?」
普段は聞かないことを聞いていた。
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