完全なる自殺スイッチ 続編
長月瓦礫
完全なる自殺スイッチ 続編
「なるほどね」
立華と名乗った男からの電話が終了した1時間後に、その荷物は届いた。
手のひらサイズの小さな小箱の中に、例のそれは入っていた。
説明書を片手にふむふむと頷きつつ、佐々木は静かに声を漏らした。
要するに安楽死ができるということらしい。
それも死後の手続きなどが一切不要だ。
近い将来、政府が安楽死制度なるものを導入することを発表し、ニュースを騒がせていた。 今回の実験はその先駆けということらしい。
そもそも、安楽死は手の施しようのない患者に対してするものだとばかり思っていた。患者をどうしようもない苦痛から、解放することが目的なのだと思っていた。
その実験に応募した俺も、ある意味では末期患者の一人なのかもしれない。
分厚いガラスケースの中に、赤い円錐型の突起物が収められている。
危険を知らせるような言葉は何一つない。
本当にただのシンプルなスイッチだ。
「しかし、こんなスイッチ一つで死ぬことができるなんてな」
どのように死ぬのかは分からない。
苦痛を伴うことなく死ぬなんて、スイッチから毒ガスでも出るのだろうか。
「まあ、別にどうでもいいか」
俺が別に死んだところで、悲しむ人間などいない。
両親はすでに他界し、親しい友人もいない。
天涯孤独の身って奴だ。
やるべきことは仕事以外に特にない。
だからといって、仕事が生きがいというわけでもない。
「何で俺、生きてるんだろ?」
ふと、日常生活の中で感じた疑問だった。
何で生きているんだろう。
むしろ、何で死ななかったんだろう。
これ以上、生きていたところで無駄なんじゃないか?
明るい未来が想像できないことに気づいてしまった。
ただ何もせずに、年老いていくのだろうか。
そうなるくらいだったら、今死んだ方がいいんじゃないか?
そう思って、政府の実験に応募したのだ。
今の俺に一番必要な道具だった。
「死んだらどうなるんだろう」
全てを無かったことにできるとはいえ、気になる点ではある。
俺の死体はどうなってしまうのだろうか。
誰かが引き取って処分するのだろうか。
死んだあとは天国か地獄に行くと言うが、俺はどちらに行くのだろうか。
そもそも、そんなものは存在するのだろうか。
まあ、死んだら分かることだろう。
「ポチッとな」
軽いかけ声ともに、スイッチを押したのだった。
俺は椅子に座っていた。
背もたれのない、丸椅子のようだ。
足元には透き通るような青空が広がっている。
「どこだ、ここ……」
スイッチを押した後の記憶がない。
気がついたら、ここにいた。
ここが天国なのだろうか。
じゃあ、目の前にいるのは天使か何かか?
俺と同じように、丸椅子に座っている男がいた。
黒いスーツ、腰まで伸ばした金髪、優雅に片足を組んでいる。
目鼻立ちのくっきりした顔は、女子に受けそうだ。
そして何よりも、金色の目だ。
鷹を思わせるような鋭い目つきだ。
スーツの代わりに白衣を着ていたら、医者と間違えていたかもしれない。
「こんにちは。今日はどうしたの?」
本物の医者のようなことを聞いてきた。
今日は診察を受けに来たわけじゃないんだけどな。
ていうか病院ですらないだろ、ここ。
「えっと……ここは一体?」
「天国と地獄の境目って言えばいいのかな。
君はこれから天国に行くか地獄に行くか、審判を受けるわけなんだけど」
俺、本当に死んだんだ。
あっさりしすぎていて、いまひとつ実感がわかない。
耐え難ような激痛とか息苦しさがあるわけではなかった。
「なぜ、ここにいるんだ?」
彼は爽やかな笑みを向けた。
女子だったら、一発で惚れてるんだろうな。
そう思うと同時に、彼の言葉に耳を疑った。
「なぜ、こんなところにいるんだ?
君はこんなところにいるべきじゃないと思うけど」
金髪は俺を眺めながら、不思議そうに首をかしげる。
「人間界でね、人が簡単に死ねる装置が開発されたって聞いたもんでさ。
それも全てをなかったことにした上で、死ねる装置。
聞いたことない?」
政府から送られてきた自殺スイッチのことだろうか。
答えに困っていると、金髪は続ける。
「やっぱりね……最近、そんな連中ばっかりで対応に困っているんだ」
「俺以外にも来てたんですか?」
軽く笑っただけで、答えてはくれなかった。
「本来であれば、私はこんなところにいていい存在じゃないんだよ。
けど、さすがに黙って見ているわけにもいかなくなってね」
椅子からおもむろに立ち上がり、俺の前に立ちふさがった。
「悪いけど、これ以上は限界だ」
獲物を見つけた鷹のような鋭い目つきで、俺をにらんだ。
すらりとした長身、二メートル近くはありそうだ。
「もうちょっと老けてから出直してきな」
老けてから出直して来い、だって?
何を言っているんだ、この人。
あのスイッチを押せば、死ねるんじゃなかったのか?
「……え、ちょっと待ってください! そんなの聞いてないですよ!」
俺も椅子をけって、立ち上がった。
しかし悲しいかな、俺が立っても何も効果はないようだ。
「そりゃそうだ。誰も言ってないしね」
けろりとした表情で言い切りやがった。
「死は約束されるもんじゃない。
生物は死ぬべき時に死ぬべきであり、生きるべき時に生きるべきなんだよ」
本当に何を言っているんだ、この人は。
そんなことを言っている場合じゃないだろう。
「俺は死ねないんですか?」
俺は死ぬために、ここへ来たんじゃないのか?
何のために、あの実験に参加したんだ?
金髪の視線と俺の視線がぶつかり合い、沈黙が降りた。
ため息をついたのは彼の方だった。
「本気で死にたいんだったら、君はとっくに死んでると思うよ。
私はそういう奴を何人も見てきたからね。
そして、そういう奴に限って悔しそうに死んでいく」
悔しそうに死んでいく? どういう意味だろうか。
金髪は自分の丸椅子に戻り、足を組んで座る。
「嬉しそうに死んでいった奴なんていないよ。
嬉しそうにしているのは、いつも生き残った奴ばかりだ」
言っていることがよく分からない。
悲しそうにしているのなら、まだ分かる。
嬉しそうにしているのは、どういうことだろうか。
「それじゃ、改めて聞くけどさ。君は何で死ななかったの?
君は死にたかったんでしょ? 自殺の方法なんざ、調べなくても分かるだろ?
毎回、飽きもせずにメディアは取り上げてるんだしさ」
彼の言うとおり、自殺という単語を聞かない日はない。
学校でいじめられていた学生やブラック企業に勤めていた会社員など、ケースは違っていても必ず報道している。
その際に、彼らが自殺した背景や動機、使用した道具まで、知りたくもないことを取り上げている。
わざわざ自殺の方法なんて、調べなくてもいいのかもしれない。
望まなくても情報が勝手に伝えられるのだから。
「君はどうして死ななかった? いや、死ねなかったと言った方が正しいのかな?」
なぜ、今まで死ななかったのだろうか。
自分でも分からない。
金髪は再び、ため息をついた。
「この先、どれだけ科学や技術が発展しようが、決してたどり着けない答えがある。それは何だと思う?」
「人はなぜ生きてるか、ですか?」
「死んだらどうなるか、だよ」
人が死んだらどうなるか。
どうなるんだろう。
体は燃やされて灰となって、消える。
魂はどこに行くんだろう。死後の世界はあるのだろうか。
この人の後ろにある空間を歩き回ったら、たどりつくのだろうか。
「死んだらどうなるかなんて、誰にも分かりゃしないんだ。
分かっていたら、あんなスイッチは押す気にもならないだろ?」
それもそうだ。
死んだあとのことが分かったら、そもそも、あんな装置は作る必要すらない。
死んだらどうなるか、誰にも分からないんだ。
そうか。だから、怖かったかんだ。俺は死ねなかったんだ。
自殺することを考える度、死に対する恐怖が頭をよぎっていたんだ。
今まで溜まっていた何かが、すとんと落ちた。
「いい人が天国に行き、悪い人が地獄に落ちる。
誰かがそうなるって、証明したわけじゃないんだもんな」
俺はそう呟いた。金髪はゆるりとうなずいた。
「だから、『神は死んだ』なんてことを言い出すんだよ。
死んだらどうなるか、誰にも分からないからね」
もしかしたら、死んでも何もならないのかもしれない。
このまま生きていたところで無駄だとか思っていたのに。
どうしてだろう、心の中で何かが湧いてきている。
「確立された死後の世界なんてどこにもないことが分かったところで、私からひとつ助言しておこう」
すっと人差し指を立てた。
「死ぬ前にやりたかったこと、一つくらいはあるでしょ?
もう一度ここに来る前に、ちゃんと考えてみな。
見つかったら、それに全身全霊をかけてみろ。いいな?」
俺がやりたかったことか。
今まで何度も問われきた質問だが、時間や環境を理由にしてやってこなかった。
これを機に探してみるのも、アリかもしれない。
「元の世界に戻りたいんですけど、どうすればいいですか?」
「生きる希望が湧いたようでよかったよ。
正直なところ、本物の天使がいたら連れてきてもらいたいくらいなんだよね。
今まで会ったことがないからさ」
この人のことを勝手に天使か何かだと思っていたけど、そんなことは一言も言ってなかった。
結局、何者なんだろう。この人。
「こちらでは華と名乗っている、とだけ言っておこうかな」
俺の求めていた答えとは少しだけ違っていた。
「それじゃ、せいぜい生きのびろ」
金髪に背中を軽くたたかれた途端、足元にヒビが入った。
ぐるりと景色が反転し、俺は無数の光に包まれたのだった。
―
次に目覚めたのは、自分の部屋だった。
全身に汗をかいており、心臓がばくばくとうるさく鳴っている。
体は金属のように重く、しばらくの間、天井をじっと見つめていた。
ナースコールの代わりに、自殺スイッチが右手に握られていた。
戻って来たんだ、俺。
ゆっくりと起き上がり、自分の両手を見つめる。
外は明るく、太陽が昇っている。
つけっぱなしのテレビは午後の情報番組を流している。
スイッチを押してから数時間以上は経っているようだった。
「今から会社に行っても仕方がないか」
出勤するには遅すぎるし、一日を終えるにはあまりにも早すぎた。
「死ぬ前にやりたかったこと、一つくらいはあるでしょ?
もう一度ここに来る前に、ちゃんと考えてみな。
見つかったら、それに全身全霊をかけてみろ。いいな?」
あの金髪の言葉を思い出す。
天使がいたら連れてきてほしいとか言ってたけど、悪い人には見えなかった。
ある意味では、命の恩人なのかもしれない。
「助けてもらったんだんだから、頑張って生きないとな」
俺はひとり呟いた。
とにかく、今は行動したくてしょうがない。
もしかしたら、何か見つかるかもしれない。
「行ってきます」
久々にスニーカーを履いて、外に出たのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます