それでは若様。披露致しましょう

「いらっしゃいませ」


 夜、鉄が軋む音が聞こえた。


「この様なお時間に、どの様な御用件でしょう?」


 フードを目深に被った人物からの、言葉は無かった。だが、返答はあった。

 投げナイフだった。


「御客様、当館敷地内では、この様な危険物の持ち込みは、御断りしております」


 顔目掛けて投擲されたそれを、鋼の手指で摘まみ、警告する。しかし、返事は無い。

 さて、どうしたものか。時刻は深夜、草木も眠る時 間であり、彼女としてもこれ以上時間を掛けたくない。

 明日は大事な〝御渡り〟がある。万全を期す為に、体調を整えておきたい。

 投げナイフを握り潰しながら考え、二投目も同じく潰す。二回連続でナイフ投擲、銃器の類いは持っていないのだろうか。

 彼女はやりづらさを得ながら、続く三投目を潰した。


「御客様、当館に何か御用でしょうか? もし火急の用であれば、私が取り次ぎますが」

「…………」


 無言。というより、先程から言葉による返事すら無い。夜の濃さと、目深に被ったフードで顔は見えず、体格も外套で判断がつかない。

 間合いが読めない。下手に踏み込んで、何かあれば事だ。

 なので、一撃で仕留める事にした。

 狙いは心臓、鋼の手指を固め、貫手の形を作る。無駄な出血や損壊を避ける為、肋骨の間を皮膚を突き破らず押し込み、直に心臓を押さえて止める。

 不審者、狼藉者の無力化は迅速が基本。彼女は外套を翻し、義腕を突き出した。


「……っ?!」


 だが、その一撃は防がれ、不審者はその勢いのままに、彼女の間合いから離れる。

 驚愕に目を見開きながら、彼女はそれでもフードの不審者を視界に捉える。相変わらず顔は見えない。だが、己の一撃を防いだ事は確か。

 彼女は静かに相手に向かい、己を解放する準備をする。

 外套の下で、鋼の軋みが聞こえる。腰を落とし、一足飛びに仕留めようとした時、不審者が退いた。

 今までで一番の出来、そう評価出来るナイフ投擲。放つ動きも、放たれたナイフの軌道すら、彼女の認識から外れ、気付いた時には刃先が鼻先に触れるか否か、その瞬間だった。


「……不手際っ……!」


 鼻先に迫る切っ先を、彼女は即座に手刀で弾いた。

 見れば、不審者の姿は無い。投擲されたナイフに気付けなかった油断、そのナイフに気を取られ、その不審者を逃がしてしまった不手際。二重の不手際、彼女の義腕が一際大きく軋んだ。






 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃






 晴天の下、町は賑わいを見せていた。

 年に一度、娯楽の多くない町で、年に一度だけは町に娯楽が満ちる。子供達は貰った小遣いを手に、町を走り回り、大人達もこの日ばかりは、日々の忙しい仕事から解放される。

 そんな活気に満ちた町の外れ、町の観光名所でもある池に、数多くの人が集まっていた。


「いや、やっぱり凄い人だね」

「はい」


 少年は辺りを見渡しながら、町の状況に頷く。

 産業に乏しい町だが、住人には活気があり、自然も豊かだ。

 この池を含めた周囲の景観も、季節によって顔を変え、観光資源として売りに出せる。

 そうすれば、住人の暮らしもまた豊かになる。


「来年は忙しくなるかもね」

「それは良き忙しさかと」


 彼女の同意に、少年はもう一度頷く。自分だけの日々だったら、間違いなく町に、ここまでの関心は、抱かなかっただろう。


「若様、如何なさいました?」

「なんでもないよ」


 これらは全て、彼女が居たからだ。

 彼女が居てくれたから、少年は町に目を向ける余裕が出来た。それは何故なのか、少年には解らない。

 だが、これはきっと悪いものではない。そう断言出来る。


「では、若様。行って参ります」

「うん、気を付けてね」


 頭を下げ、静かな足取りで池の畔へと向かう背中。小さく細い、何時も纏っている外套があってのそれ。


「頑張って」


 それでも、自分よりも背筋の通った強い背中に、少年は言葉を送った。

 〝御渡り〟が始まる。見れば、既に池には小舟が浮いて、一人二人と引き揚げていた。

 気の早い話だ。少年が苦笑すれば、周りでは囃し立てる声が響く。


「お、また落ちたぞ」

「今度は誰だった?」

「ほら、パン屋のマルコの倅だよ」

「ああ、あの」


 そろそろだ。多分、そろそろ彼女の出番だろう。周囲がざわつき始めた。


「おい、見ろよ」

「あれって、お屋敷の?」

「マジか」


 池の畔に目を伏せた彼女が立っていた。姿勢は何時もと同じ直立、どよめく周囲を他所に彼女は、惚れ惚れする様な綺麗なお辞儀をすると、その一歩目から最速の加速を叩き込んだ。

 足場は無いと考え、この加速で渡りきる。大体の人々が考える手がこれだろう。だが彼女は違った。

 足つく事叶わぬ水面にも、確かに足場は存在するのだ。


 加速が緩み、爪先が沈み始めた。だが、彼女は沈まない。湖面に浮かぶ落葉、流木を足場に彼女は湖面を駆ける。

 驚愕の喚声が耳に届くが、彼女にしてみれば、少年に仕える侍女として当然の事であり、特に驚愕される様な事はしていない。

 侍女たるもの、常に主の元に控え、例え離れても即座に馳せ参じる。それが絶対であり、侍女の常識だ。

 そして彼女は、今回の事をこう解釈している。己が侍女である自分の性能を見せ付ける事で、まだ年若い主を見くびっている連中を牽制し、町の治世をやり易くする。

 だからこそ主の為なら、彼女は湖面だろうと駆け抜けてみせる。


 人はおろか、小石の一つすら支えられない、落葉や流木を足場に、湖面を駆け抜けてみせる彼女に、驚愕と囃し立てる喚声が降り注ぐ。

 得体の知れない、町外れの貴族の子供に仕える侍女。両腕義腕の表情変わらぬ人形女、そんな評価が覆っていく。

 少年の思惑通りに、彼女のレッテルが剥がれていく。大きくない町、これからそう経たない内に、彼女の噂も減っていくだろう。

 そう思った瞬間、彼女の体勢が突然崩れた。


「ああ……!」


 声が聞こえた。何かがおかしい。

 彼女が一歩進むごとに、まるで何かに邪魔をされる様に、体勢を崩しては立て直している。あのままでは、彼女も沈む。

 そう思った時だった。彼女が回った。まるで踊るかの様に、彼女は湖面で回る。


「綺麗……」


 誰かが呟いた。湖面で回り跳ねる。通常不可能な動きだが、彼女なら出来る。何故なら彼女は人には無い鋼の義腕があり、人並外れた身体能力がある。

 水飛沫を蹴り、体を回転させ、義腕を振り子に、踊る様に湖面を跳ねる事など造作もない。そして、無粋な愚か者にやり返す事も。


 己の動きに合わせて放たれる礫をキャッチ、それと同時に狙いを定め、周囲に気取られぬよう、回転に合わせて指弾を放つ。

 池の畔の茂みに手応えを感じ、彼女はそのまま終点となる主の元に馳せ参じる。


「……御待たせしてしまい、申し訳ありません」

「おかえり、気にしてないよ」


 スカートを摘まみ、主に礼をする。

 周囲が喚声に包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る