それでは若様。ご覧にいれましょう
町は何時になく騒がしかった。秋と冬の境目、これから暫くすれば厳しい冬がやって来る。冬の寒さが顔を覗かせ始めた町では、冬季の祭りの準備が進められていた。
「毎年、この時期は賑わうね」
「はい、左様で御座いますね」
言えば、僅かな軋みを立てて、何時もよりほんの少しだけ厚手の外套の彼女が応じる。
その年の最後の月、その中頃から年明けの七日間に掛けて祝われる冬季聖誕祭。少年達が住む地方では、一年で最も町が賑わう時期となる。
「これから、更に賑わいは増す事かと」
「いい事だよ」
「左様で」
少年より二歩程の間を空け、彼女は彼に付き従う。
冬の冷たさを含んだ風が吹くと、少年はふと思い出した様に口を開いた。
「あ、そうだ。今年も〝御渡り〟があるけど、君は出るの?」
〝御渡り〟と呼ばれる行事がある。それは聖誕祭にて祝われる聖者の一人が起こしたという奇跡に準えて行われる。
嘗て、荒れ狂う水面をその身のみで渡り、愛する者同士を再会させたという逸話に習って、池等の広い水源を有する町や村では、水面をその身のみで渡り、成功すれば来年の幸福と願い事が一つ叶うとされている。
しかし、生身で船等を用いず、足の届かぬ水面を渡りきる事など出来る訳がない。
少年が知る限り、この〝御渡り〟を成功させた者は居ない。
だが少年は、彼女に問うた。少年が知る限り、彼女が何かに失敗した事は、ピアノの演奏以外に無い。だから、もしかすると彼女ならば、〝御渡り〟を成功させるのではないか。
それ以外にも思惑はあるが、少年は少し心配な事があった。
「若様がお望みならば」
そして彼女は答えた。
彼女は何時もそうだ。自分が望むならと、如何なる頼み事も難なくこなしてみせる。
否、それはいい。問題は彼女自身にあった。
「いや、そうじゃなくてね……」
「違うのですか?」
彼女は少年の命令で動く。
彼女は少年の望みに応える。
しかし、それだけ。それだけで、何か交友も、趣味すら持ち合わせていないように見える。
否、趣味はあるのだろう。最近は、ピアノ以外の楽器にも興味がある様な素振りがある。だがそれでも、彼女はそれだけなのだ。
少年の命令で動き、少年の望みに応える。あまり変わらない表情も相まって、町では彼女が人ではなく、実は人形だという噂が流れている。
「ふむり、どうしたもんかな」
「若様、何か御座いましたか?」
「ああ、うん。そうじゃなくてね」
どうにもはっきりしない少年の態度に、彼女は僅かに首を傾げる。
ああ、これはいけない。彼女は表情が変わらないのではなく、あまり変わらない様に見えているだけで、その実は確かに変わっている。
口を真横に引き結び、視線が僅かに泳いでいる。これは、今日を含めて直近の三日間で、何か粗相をしていないか思案している顔。
彼女が粗相する事は無い。だがそれは少年基準であり、彼女基準では違う。
「若様、誠に申し訳御座いません」
「えっと?」
「何時もお茶に使われている砂糖の製造者が、変わっていた事をお伝えする事を失念しておりました。この罰は如何様にも」
彼女基準では、この砂糖の製造者が変わっていた事を伝える事を抜かっていただけでも、罰の対象になるらしい。
少年としては、そこまでする必要は感じないし、砂糖にそこまでの拘りは無いし、罰する必要も感じない。
だから、罰は如何様にと言われても困ってしまう。
「うん、そうだね」
耳に彼女の義腕の軋みを聞きながら、少年は考える。少年は彼女に罰を与える事が苦手だ。
この前、三日間ピアノの練習を禁止にしたら、目に見えて食らっていたのを、少年だけは解っている。
さて、どうしたものか。
「……じゃあ、来月の〝御渡り〟を成功させる、というのはどうかな?」
「畏まりました。若様のご期待、見事応えてみせましょう」
「あれ?」
下世話な話、〝御渡り〟は失敗すれば水浸しになる。露出や変化を嫌う彼女は嫌がると思い、この話で罰の話をうやむやにしよう。
そう考えたのだが、その少年の予想を裏切り、彼女はその提案を了承した。
「どうかなされましたか?」
「いや、なんでもないよ?」
「左様で御座いますか」
彼女はそう言い頷き、少年の後を着いてくる。
「若様、あれは?」
「ん、ああ、あれはラジオ局。ほら、都で流行ってる」
「そうなのですか?」
「うん、遠く離れた場所でも、声や音楽を届けられるっていう機械。開設にはまだ時間がかかるみたいだね」
「その様なものが……」
僅かに目を見開き、彼女は作業員を見つめる。
「あと、ラジオ局は電話局も兼ねてるから、仕事がスムーズになるかもね」
「電話……、電信通信ですか」
「いや、無線だよ。電信は回線が繋がってないといけないから。この田舎町には中々ね」
この町一帯を治める少年の仕事は多岐にわたる。今までは、手紙や離れた町の電信を利用していたが、これからはその手間や時間差に悩まされずに、仕事を進める事が出来る様になる。
そうなれば、今より自由な時間が取れる様になる筈だ。
「時間が出来る様になったら、ピアノの他にも楽器を弾いてみようか」
「……宜しいのですか?」
「いいよ、興味があるんでしょ?」
「……はい」
彼女が軋む音が聞こえた。やけに大きく近くに聞こえた音に、少年が彼女に振り向けば、彼女は普段と変わらぬ表情で首を傾げた。
「如何なさいましたか?」
「うーん? 気のせいだったみたい」
「左様で」
言うと、何か小さな何かを弾く鋭い音が聞こえた気がした。
多分、ラジオ局の工事の音だろう。少年はそう判断し、祭りの準備に騒がしい町を、二人で歩んでいく。
「あれ? 何かあったのかな」
「どうやら、人が倒れられた様です。……ああ、大事無い様ですね」
何かの破片だろうか。額から血を流し倒れた男が、応急処置を受けながら、何かあったのかと受け答えをしていた。
少年は見ていなかったが、男を見る彼女の目は鋼の如く冷えきったものだった。
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