それでは若様。成就を願います

 それは、音であり思いであり願いであり、感情であり叫びでもあった。音の奔流、閉じ込められた音が、留める事の出来ない一つの世界となって、狭く苦しい会場に溢れ返る。

 そう、世界だ。今、ここで奏でられているのは、新たに産声を上げる世界だった。


「凄いでしょ?」

「はい……」


 思わず、役目も何もかもを忘れて、目の前に広がり、奏でられる世界に、彼女は見入り聞き入った。

 ゆっくりと童話を諳じる様に語られる世界

 激しく泣き叫び、怒り狂い、狂喜する、激情が姿を得た世界。

 感情無く、ただ機械的に、しかし美しく儚い世界。


 ありとあらゆる世界が、彼女の前で奏でられ広がっていく。知らない世界が彼女を包み込み、彼女を魅了していく。


 そう、世界とはそこにあり、世界とは何処にでもある。そこでふと、彼女は手指を軋ませ、器の様に掌を上に、何かを掬う様にした手指の中を覗く。

 何も無い。空虚な鈍色の鋼の掌だけが、作り物の手相を見せている。命も温もりも感情も、彩りすら無い。

 そこに、世界は無かった。


「大丈夫だよ」

「……何がで御座いましょう」

「君の世界は、これから。今から作っていくんだ」


 少年が言って、彼女の冷たい血の通わぬ手を、両手で挟み込む様にして包み込む。

 暖かい。有り得ない、そんな感覚が、鋼の義腕を伝ってくる。


「世界はその手の中にって、この前読んだ三文小説の中の一説」

「若様……!」

「ははは、ごめん。でも、僕はそう思うよ」


 彼女の鋼の指に、少年は己の指を絡める。

 冷たく硬いその手を繋ぎ、そっと何かを包み込む形にする。


「君の世界はこれからだ。今は何も無いけど、いつかきっと、君の世界はそこにある」

「私の世界……」

「願わくば、僕もそこに居る事を願うよ。じゃあ、僕はそろそろ出番だから行くよ」


 少年が席を立ち、舞台へと向かう。彼女は観覧席にて立ち尽くしたまま、その背を見送る。普段の彼女であるなら、それは有り得ない。例え、主が見ていなくとも、彼女は侍女としての在り方を貫き通す。

 だが、今の彼女はそうではなかった。ただ立ち尽くし、何故か熱を孕んだ頬を、冷たい手で冷やしていた。


「??」


 彼女は混乱する。理解するしない以前の問題、この熱の原因は何なのか。彼女には、この熱が何を燃料に発されているのか、理解以前の問題だった。

 だが、悪い気はしない。この熱はきっと悪いものではない。

 そう結論を出し、彼女は観覧席にて少年の出番を待ち続け、突如と立ち上がる。

 周囲の観覧席では、同じ様にして次の演奏を楽しむ者達が居る。彼女は一度目を伏せ、舞台を見る。


「それでは、若様。成就を願います」


 そう言い残し、彼女は観覧席から廊下へ、廊下から会場のエントランスへ、そして屋外。誰も立ち寄らない会場の裏手へと駆け抜け、放たれた銃弾を義腕で弾く。背後には天窓、その先には音を奏でる舞台がある。


「皆様、大変申し訳ありませんが、その御予定はキャンセルと願います。これよりは、我が主の晴れ舞台」


 至近で銃弾が放たれ、義腕でそれを掴み取る。

 銃弾が許されるのは、己の視界内のみ。背後の天窓には、塵一つ落としてはならない。


「……それを邪魔なされるというのであれば、私は侍女として、皆様に退席を推称致します」


 野暮ったい外套を翻し、彼女は先頭でライフルを構える男の懐に滑り込み、手刀の形にした義腕でライフルを断ち斬る。銃床の木材と銃身の鋼鉄を断ち、そのまま貫手で男の手足の関節を穿つ。肉を裂き、骨を砕く音が耳にへばりつく。


 ああ、嫌だ。彼女は義腕を軋ませ、敵意と害意の象徴を断ち続ける。やはり、己の手には世界は無いのだ。

 夜闇に紅く浮かぶ鋼の手は、他の世界を傷付け、奪うしか出来ない。


「……っ!」


 至近、銃身を切り詰めた散弾銃を隠し持っていた者に、義腕を撃ち砕かれる。高く重い音を連ねて、散弾と義腕の破片が屋上に砕け散っていく。

 片腕の肘から先を失った彼女は、残った片腕で銃弾の雨を弾き続ける。

 雨は散発的で、狙いも悪い。装備に対し、訓練というものを積んでいない。だが、数が多い。

 このままでは、手が足りなくなり、間に合わなくなる。


「これで……!」


 目を血走らせた男が、散弾銃を向ける。水平二連装のそれには、散弾が二発込められ、隻腕では防ぎきれない。背後から聞こえる旋律が止み、称賛の拍手が聞こえる。手段を選んでいられる場合ではなくなった。


「は?」


 破壊された義腕が出ていた外套のスリットから、義腕に繋がれ鎌刃が、散弾銃を刈り取る。呆けた顔と声が並び、外套から滑る様にして出てきた鎌は、蟷螂の様に次々と獲物を刈っていく。

 それも一振りだけではない。破壊された義腕の一本、残った義腕の一本、そしてもう一本、鋼の義腕に繋がれた鎌、刃計三本の暴力が、不届き者達を無力化していった。


「悪魔……」


 誰かがそう呟いた。一本の腕と二本の異形の腕、月明かりに浮かぶ彼女は、そう呼ばれてもおかしくはなかった。

 物々しい軋み、刃が空気を裂く音、命を奪う音を頭上に振り上げ、彼女が震える命を刈り取ろうとした時、全てが止まった。


「若様……!」


 彼女は知っている。その音を、その音律を、その旋律を、そしてその世界を、彼女は知っている。

 逃げようとする者を、鎌刃の峰で意識を刈り取り、彼女は急ぎ観覧席へと駆け戻る。


 あの日、己は世界を知った。

 あの日、己は世界に出会った。

 そう、己が出会い知った世界は、本当に美しく彩られ、命に満ち溢れていた。


 己が得られない世界、そこに彼は居て、そして彼はそこに己を招き入れた。


 己に世界は得られないかもしれない。だけど、もしかしたらと願ってしまう。


「若様、私は……」


 貴方様の世界に居たい。

 彼女は観覧席で、少年の奏でる世界に浸りながら、祈る様に、そう願った。

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