毎日が予定外です 4

「最近はね、発作の間隔が狭まっているんだよ」


 あんなに長い時間はない、と閣下が低く呟く。明けない夜、終わらない闇。途切れがちになる苦しそうな息。

 冷たくなっていく手を握り、祈るしかない自分。


「治療も魔法薬も、思いつく限り全て試した。何人の医者に診せても、言うことは同じ――残念ですが、とね。この年齢まで生きてこられたのが奇跡なほどだと」


 祈りも願いも恨みも、もう何をどう感じたらいいか分からない。

 憎いのは病魔でも役立たずな医師でもなく、愛した妻一人救えない自分の無力さだ。


 ――苦しげに吐かれる言葉は私の記憶を刺激して、火事の夜を思い出させる。


「閣下。私にも、どんな犠牲を払っても助けたかった人たちがいました」

「リィエ」


 ルドルフさんたちが来てから、初めて自分から話しかけた私に、閣下は拘束する腕の力を少しだけ抜いた。

 助けたかった。なにか出来たはずだった。今でもそう思う。

 ……けれど。


「でも、卵は渡せません」


 可能な限り首を捻って、公爵閣下と目を合わせる。綺麗な碧い瞳は暗く沈んでいた。


「卵が孵ると、殻は消えるんですよね」

「そうだ。だから、殻を手に入れるには、生まれる前に割る必要がある」


 それはつまり、中の魔王を殺すことと同義。

 大事な人達を亡くした私が、この子まで失うわけにはいかない。


「『魔王』は、正確にはとは言い切れないかもしれませんが、この子も生きているんです。もうすぐ生まれるはずの命を犠牲にして手に入れた薬を、奥方様は喜ぶでしょうか」

「それは……」


 初めて閣下が言いよどんだ。

 前に、当時のゴシップに詳しいシーラさんに聞いたことがある。

 オルフェリア様という人は、可憐な花のように純粋な女性なのだそうだ。体が弱いせいか他人の痛みや苦痛にも敏感で、争いを好まない。


 お忍びで街に下りた閣下と、たまたま体の調子がよくて久しぶりに外に出たオルフェリア様が出会ったのは、本当に偶然だったという。


「奥方様を直接は存じ上げませんけれど、弱った小鳥を手当てして大事に飼うような方だと前に仰っていましたね。そんな優しい方なら、薬の出所を知ったら悲しむと思います」

「……知らせなければ」

「卵が無事に孵らなければ、この国全体が制裁を受けるのですよね? 隠すなど無理です」


 今にも儚くなりそうな人を、遠くに移動させるなどということも現実的ではない。

 もし薬が効いたとして、多くの人が命を落とした事実を受け入れられるのか。さらに、破壊された国でどうやって生きていこうというのか。


 私程度でもすぐに上げられるそれらに、考えが及ばなかったわけがない……不都合には目を瞑るほど、追い詰められていたのだろう。

 私だって、もし同じ状況に自分がいたらと考えると、落ち着いた判断など全く自信ない。パニくるか、自暴自棄になるかの二択しか浮かばないのが残念だ。


「ですから、違う方法を探しませんか」

「……他人事だと思って簡単に言ってくれる」

「では閣下。卵を手に入れたとして、どうやって薬にします?」

「なに?」

「まさか砕いて飲ませるつもりだったなんて言いませんよね。ご覧になった古書に、ほかに必要な材料や作り方は書いてありませんでしたか?」


 読んだのは部分だと言っていた。ぐ、と言葉に詰まるところ、知らないのだろう。

 それまで黙っていてくれたルドルフさんが、ここで口を挟んだ。


「リィエ、何か知っているのか?」

「私、さっきまで掃除をしていたんです」

「掃除?」


 ぽかんとするルドルフさんに苦笑いをして、ねー、とダレンさんに声を掛けると、気まずそうに頷いた。


「ダレンさんが家を出てから、魔法薬の本を見つけました」


 魔法薬、の言葉に閣下がぴくりと反応する。

 三人の視線が自分に集まってしまって居心地が悪い中、もう一度閣下と真っ直ぐに目を合わせた。


「閣下がご覧になった本と同じかどうかは分かりませんが、かなり古いものです」

「魔法薬の本……?」

「はい。いろいろな薬の作り方が載っていて、そのなかに卵の殻を使った薬もありました。その本なら、なにかヒントが見つかるかもしれません」


 だから、調べてみませんか。

 顔を見合わせてそう提案して、数秒。

 公爵閣下がルドルフさんたちに向けていた銃口が下がると同時に、私に回していた腕が緩んだ。


 その隙を逃さず、私はダレンさんに捕獲……じゃなくて保護されて、閣下の銃はルドルフさんの手に。

 家の周りを「お掃除」し終わったフィルさんとジョディさんも、玄関へとやってきたのだった。



 §



 リビングへ行き、ジョディさん達にも経緯をざっと説明しながら、テーブルに置いていた本を閣下に渡す。


「これが……」

「《延命の秘薬》は、最後のほうに載っていました」


 私は一度読んでいるので、取り囲んで本を覗き込む皆の輪からは少し離れて座った。


 食い入るようにページをめくる閣下はともかく、フィルさんもめっちゃ食いついてるなあ……わかる、読み物としても面白かったもん。

 奇妙な毒薬とか実験とかも載っていたし、好きそうだよね。


「リィエはこの本を読んだの?」

「まだ全部じゃないですけど。あれ、ジョディさんは読まないんですか?」

「読まないんじゃなくて、私には読めないのよ」

「え?」

「この本は、トラウィスの言葉もあるけれど、ほとんどが外国語や古語なの」


 そうなの? 癖が酷い字があるとは思ったけれど、言葉が違うとは思わなかった。

 ……もしかして、あれか。転移チート・文字バージョン的な。


「私、言語はそこまで得意じゃないのよね。フィル、あとで訳しておいて」

「はーい、了解ですー」

「ねえリィエ、これは読める?」


 近くにあった別の本を拾い上げたジョディさんに次々と示されて、読み上げていく。

 やっぱりクセ字なだけで、どれも普通に読めてしまうなあ。


 と、いつのまにかこっちに来ていたルドルフさんが、腕を組んで眉間のシワを深くした。

 ええと……なにかやっちゃいましたか、私。








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