毎日が予定外です 2

 私が召喚される前から卵を狙っている誰かがいて、それは貴族に違いない。

 ダレンさんとした話を、卵を抱きながら思い出す。


 とはいっても、一体なにが目的なのか。

 単純なところでは権力やお金だろうけれど、『魔王』の卵を利用して出来ることなんていくらでもありすぎて、絞り込めなかった。


 でも、さっきの古い魔法薬の本を読んで、新たに知ったことがある。

 あれにはたくさんの薬の作り方と材料が載っていたが、終章に書いてあった、希少素材トップスリーが問題だった。


 人魚の鱗、龍族の牙、そして竜――もしくは『魔王』の卵殻。


 魔王の卵は通常、孵ると同時に殻が消えるらしい。ゆえに、入手は困難を極めるのだと。


 この卵の殻が、薬の材料になるなんて聞いたことなかった。古い本だったし、もしかしたら今は誰も知らないのかもしれない。


 真偽はさておき、卵そのものを物理的に利用するという視点は完全に予想外。

 また選択肢が増えた、と頭を抱えたのもつかの間、卵の殻を使って出来るのが、《瀕死の者すら蘇生させる延命の秘薬》と知って、一人の人物がハッと浮かぶ。


 その人は貴族で、私の行動予定も外見も知っている。

 最愛の奥様は病弱で、何度か危篤状態に陥ったこともある。

 二百年前の王太子を例えに、恋をすると危ういのだと本人も言って……。


 ――ダレンさんが戻ってきたら、この本を見せて「もしかしたら」を相談しようと思っていたのに。


 不安を表に出さないように、眠る卵を撫でて気を落ち着かせる。

 そっと息を吐くと、意識して笑みを浮かべて顔を上げた。


「朝は元気に動いていました。普段より時間は長いですが、ぐっすり寝ているのだと思います」


 ……とりあえず、閣下とは距離を取ったほうがいい。というか、取らせてください。


 周りで隠れているという同行者は、護衛のためでもダレンさんの捕縛でもなく、私と卵を連れて行くための人達の可能性だってある。

 土地勘もない、足も速くない私が逃げても、すぐに捕まってしまうに違いない。荒事で卵に何かあったら、それこそ取り返しがつかない。


 どうしよう。どうしたらいい? 何がベスト?


「それを聞いて安心したよ。とても大事なものだからね」

「はい。いつ孵るのかは分かりませんが、それまではしっかり守りたいと思います」


 あまりに通常通りの穏やかな声と表情に、逆にそわりと寒くなる。

 長年、王族として過ごしてきた人だ。

 奥様のことで議会を敵に回してもなお、円満に処理できる能力があるくらいだもの、内心を悟らせずに行動するなど余裕なんだろう。

 ただの一般人だった私なんて太刀打ちできるわけがない。


 ――それでも、私はこの子の「お世話係」なんだ。


「そういえば、リィエ。卵が孵った後は、城から出るつもりだと聞いたけど?」

「あ、はい。乳母の必要はないと聞きました。そうすると、私に出来ることはありませんから」


『魔王』の身体は、生まれてからごく短期間で、ほぼ成体まで急成長するのだという。

 知能も同時に成人の域まで達するわけではないものの、人の赤ん坊のように生きるための手助けを長く必要とはしないのだそう。


「離れて暮らして、時々会えたらそれでいいです」

「リィエが希望すれば、いつだって会えるよ」

「だと嬉しいですね」


 ただの雑談くらいの自然さで、閣下は話しかけてくる。

 表面をなぞるだけの会話に合わせて、私もまたにこりと微笑む。なにも知らないふりで……この、なんともいえない緊張感がツラい。

 空気は読めても合わせるのはまた別技術だと、内心で盛大に引きつりながらしみじみ思う。


「それなら、私のところに来るかい?」

「え?」

「うん、そうだ、それがいい。私なら魔王との面会許可も取りやすいし、屋敷は王宮にも近い。それにリィエが話し相手になってくれたら、オルフェリアもきっと喜ぶ」

「え、えぇっ?」


 お城に住みこみ勤務終了後は、公爵家にお世話になるっていうこと?!

 突然の申し出に言葉を詰まらせる私に、閣下は晴れやかな笑顔を見せた。


「そうと決まれば話は早い。王宮ではなく公爵邸へ向かおう」


 ――え、返事してない! というか、このまま? それは実にまずい気がするっ!


「あ、あの、閣下っ」

「なにもジュリアンのように『結婚してくれ』と願っているわけではないよ」

「それは承知しております!」


 契約結婚を申し出た国王陛下を引き合いに出す閣下の冗談を、笑って流す余裕もない。隠すように卵を抱くので精一杯だ。


「客人として滞在してくれれば、それでいい。ああ、リィエは客人より付添人コンパニオンのほうがいいのかな」

「いえ、あの、そうではなくてですね、」

「それも嫌かい? 悪い条件じゃないはずだけど……断る理由は?」

「そ、それは」


 なにか良からぬことを企んでいるのでは、と疑っているんです――なんて言えないし!

 改めて一歩近づいて手を差し出す笑顔の下に、拒絶を許さない色を見てゴクリと唾を飲み込む。


「さあ、行こう」


 思わず視線をずらすと銃が目に入った。あうぅ、優雅な装飾付きのホルスターなのに、やたらと迫力あるな!? 


「ーっと、あの、そ、そう! か、カバンが!」

「鞄?」

「は、はいっ、そうです。カバンを取ってくるので、少々お待ちいただきたく……!」


 よし、ごく自然な時間稼ぎだ。思いついた自分えらい!  


「この服も借りものでして、なるべく急いで支度しますので」


 この際ついでに「トイレに行きたい」も追加しようか。マナーとか恥じらいとか相手は王族とかなんて言ってらんない。


「そのままでいいよ。必要なものは改めてこちらで用意しよう」

「いえ、そこまでしていただくわけには」

「はは、リィエは奥ゆかしいね」

「そ、そんなことは」


 必死で遠慮しているのに、閣下は全く意に介さない。介して!


 卵から手を離さずに、じり、と後ずさりした私を捕まえるように、閣下の手が伸ばされたその時。

 すごい速さで走ってきた黒い車が急ブレーキをかける音で、私と閣下の動きが止まる。


 家の前で車が停まるやいなや、後部座席の両扉が乱暴に開く。

 後ろを振り返った閣下の横顔の向こうに、焦った様子で降りてくるダレンさんとルドルフさんが見えた。


「リィエ!」


 二人のどちらに呼ばれたのか分からないまま、私は必死で家の中へと逃げ込んだ。






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