グリナウィディの魔女 2

「ダレン、アンタはお茶を淹れておいで」

「師匠」

「ダーレーン?」


 私が階段を下りきる前に、魔女さん(仮)の「お願い」に負けてダレンさんはリビングから出て行った。

 しぶしぶといった様子で彼が向かった台所からは、ため息のような、うめき声のようなものが漏れてくる。ガラガッシャンという、積んだ鍋が崩れただろう音も。


「ちょっと、壊さないでおくれよ!」


 返事の代わりに、食器を片付ける音や水音が聞こえてくる。私の脳内イメージと現場の惨状は、そう違わないだろうな。

 ……ダレンさん、ガンバだ。


 さて、こちらはこちらでやっぱり足の踏み場がない。いや、獣道はあるけれど。


 物が多すぎて目立たないものの、よく見ると家具が猫足だったり取っ手が貝のツマミだったりしている。

 ガラスやレースの小物とかも多くて、案外かわいいものが好きなのかもしれない。

 そうえば、お借りしていた二階のベッドも、枕カバーに凝った刺繍が刺してあったし、窓のカーテンはフリルのギンガムチェックだった。


 ――などと、階段の下で立ち止まったまま思い出しているうちに、魔女さんはソファーの上に乗ったいろいろをバサバサと床に落として、座る場所を作ってくれていた。


「ほら、この辺に適当に座りな」

「あ……っと、では失礼して。あの、はじめまして。リィエです」


 卵を抱きかかえて、なぜか部屋の真ん中にある、大きな壷のようなかめのようなものを避けてソファーまで行き、ぺこりと会釈をして腰を下ろす。

 私が座ると、魔女さんも対面の一人掛けの椅子によっこいしょ、と掛けた。


 ちょっと座面が高いみたいで、魔女さんの足は子どものように床から浮いている。

 ぷらぷらする足には先の尖った靴。とはいえ、花飾りが付いていてかわいいし、追いかけて膝に上がった黒猫もかわいい。


「リィエ、だね。ようこそとは言えないけど、アタシはエドナ。もっとも、グリナウィディの魔女と呼ばれるほうが多いけどね」


 ふぁっ? ほんとうに魔女だった!

 ポーカーフェイスなんてできなくて行儀悪く目を丸くした私に、エドナさんは面白そうに濃紫の瞳をきらめかせる。


「ははっ、驚いたかい? 王都に魔女はいないだろうからね」

「し、失礼しました。はい、お会いするのは初めてです」


 いる、とは聞いていた。

 でも私ときたら、竜がいて魔獣がいるんだから、魔女もいて当然だろうなあ、程度に聞き流していた。


 それに「魔女達は、自分から積極的に人と関わらない」とも教えられていた。

 なので、世捨て人のような暮らしをしているか、少なくとも魔女という身分を隠しているとすっかり思い込んでいた。

 だから、本当に魔女がいた、ということと同時に、名乗られたことにも正直驚いている。先入観ってよくないね。


 私のそんな困惑などお見通しのように、エドナさんはまた笑いだす。


「ははっ、アンタの考えていることはだいたい合っているよ。アタシは魔女の中でもちょっと変わり者でね」

「は、はあ。あの、ええと、ぐ、グイナゥ……」

「グリナウィディ」


 この前、公爵閣下の授業で習った場所だ。

 聞き覚えのある地名でさえ舌を噛みそうになっていると、魔女さんは「エドナでいい」と、カカカッと豪快に笑ってみせる。


 もう、自分の舌が情けなさ過ぎる。リスニングは問題ないのに、どうして発音だけたどたどしいかなあ。

 言葉が通じるのは助かっているけれど、召喚特典でもう少しどうにかならなかったんだろうか。

 あ、いや、これでも十分オーバースペックなのかもしれないけど。


「で、そっちが『魔王』かい」

「はい。エドナさんには見えるんですね」


 かけられているという、幻覚の魔術はもしかして魔女には効かないの? 

 そんな疑問を口にすると、エドナさんは人差し指をちっちと振る。


「見えて当然さ。アラクネから糸を捕ってきたのはヴォルセリウスだけど、その糸を巻いて持たせたのは、このアタシなんだから。魔術はね、それに関わった者には効かないんだよ」

「なるほど」


 そしてなんと、ヴォルちゃんと面識があるとな!?

 意外な繋がりにまた驚く。


 と、ガシャン、と台所のほうからまた大きな音がして、エドナさんは眉をきゅうっと上げた。


「なんだい、騒がしいねえ」


 ぱっぱと払うように、指輪がたくさんはまった手を台所に向けて数度振ると、やれやれとこちらに向き直る。

 

「さて、詳しい話はあの元凶からお聞き。簡単に現状だけ伝えておくよ」

「あ、はい、お願いします」

「まずここは、グリナウィディっていう町だ。知ってるかい?」

「地図で見ただけですけれど……魔石が採れて、湖があるって聞いています」

「そう、その『魔石の町』グリナウィディ。ここでアタシは薬屋をやっている。まあ、店も構えていないしお上に届けもしていない。いわゆるモグリってやつだね」


 けれど、自分の作る薬は認可薬師なんかよりよっぽど効く、と自信ありげに言うエドナさん。

 多分それは本当なんだろうな、と理由もなく感じる説得力がこの人にはあった。部屋はとっ散らかっているけど。


「そんなわけで、城の偉いさんとは関わりたくないんでね。アンタもアタシが魔女だってことは、戻っても口外はしておくれでないよ」

「はいっ」


 肩に登る黒猫の背を撫でながら、軽い口調で、目だけは隙のないエドナさんの迫力ある「お願い」に、一も二もなく頷いた。


「それと、アンタがここにいるのはダレンが勝手した結果で、アタシは招いていない。それもハッキリさせておこう」

「あ、はい。それはもう」


 私も何がなんだか分からないけれど、エドナさんも同じだろう。


「もう一つ。アタシは今から出かけなきゃならない。アーディティルトの魔女から厄介ごとを頼まれているんでね」


 ハイ、言いにくい名前が出たー! そして魔女さん二人目!?

 ……もしや、魔女ってわりとその辺にいたりするのかな?

 また顔に出ていたと思うけれど、そこはスルーされて、エドナさんは話を続ける。


「城の奴らもバカじゃない。遅かれ早かれ、アンタの居場所は向こうの知るところになる。もしかしたら今頃はもう、把握されているかもしれないね」

「そう、ですか」

「そんなわけだから、じきに迎えがくるだろうよ」


 エドナさんの断言に、肩の力が抜けたのだった。


 

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