グリナウィディの魔女 1


 ゆらゆらと揺れて、ふわふわとあたたかい。

 雲の揺りかごか、綿に包まれたハンモック的なもので眠る夢を見た気がして目が覚めた。


「ふとん……?」


 私は、ベッドに寝かされていた。


 最初に目に入ったのは、年代物らしい木枠の窓から斜めに差し込む日差し。夕焼け少し前くらいの柔らかい光に、空中に浮かんだ細かいホコリがキラキラと輝いている。


 窓辺に吊るされたドライフラワーやハーブの束を眺めながら、ぼんやりとした頭を枕の上でそっと動かす。

 ロッジみたいなカントリー調の部屋は、服や布小物、紙に本、それに木桶の類なんかの雑多な物であふれかえっていた。


 適度な狭さといい、この散らかり具合といい、お城の豪華部屋とは違って実に庶民的な雰囲気だが、当然、見覚えはない。


 ――ここはどこ。


 知らないところで目が覚める、か……似たようなシチュエーションが前にもあったなあ。

 あの時はもっと病室っぽくて、ものすごく体調が悪かったけど。


 なんてことを思い出したら、急に頭がはっきりした。


 ハッと我に返って、お腹に手を当てる。

 服こそ出かけた時のままだが、卵も抱っこ帯もなかった。


「ちょ、ど、どうなったの? なにここ、一体なにがっていうか、卵ーっ?!」

 

 心臓がうるさく鳴って、おろおろした自分の声がやけに弱く聞こえる。掛けられていたブランケットを跳ね上げ、飛び起きて――あった。

 アラクネの抱っこ帯に包まれて、卵は壁側の枕元に置かれていた。


「っ、はあぁ、よかった……!!」


 体中の力が抜けて大きく息を吐く。

 ベッドの上にへなへなと座り直すと、大げさじゃなく震える手をなんとか動かして、卵をそっと抱き上げた。

 ほわん、と伝わるほのかな温度にまたホッとして……迂闊にも涙が浮かんでしまう。


 また、一人ぼっちかと思った。


 卵も寝ていたのか、抱き上げたことで起きたらしくピクピク震えて知らせてくれる。

 ごめんね、もう、絶対離さない。


『……。……』

『……!』


 ぐずぐずと鼻をすすりながら卵をぎゅっとしていたら、扉の向こうで何やら声がしていることに気が付いた。

 相手は分からないけれど、片方は多分、ダレンさんの声。


 ――現状確認は、必須だよね。


 結果的に卵も私も無事のようだけれど、ものすっごく驚いたし、怖かったんだから。事情なり理由なり、じっくりがっちり納得いくまで説明してもらわないと!


 抱っこ帯を手に取ると、その陰には持っていたカバンと、冷めてしまった焼き栗が袋のまま置いてあった。


「あ、これ……」


 これを渡してきた時のダレンさんを思い出す。

 自分で買うと言った私に確か……そう、『今度にしろ』って言った。


 それって、がある、ということだよね。

 要は最初から、危害を加えるつもりはなかった?


 ……分かんない。

 ほんと、あの人わっかんない。

 空気は読めるつもりでいたけれど、自信なくなってきた。


 熱いうちに食べてみたかった栗はひとまずそのままにして、ムズムズしている卵を帯の中に入れる。

 この子ってば、わくわくしている。キミのそういうところ実に頼もしいよ!


「よし、早速――っと、おお、これは……」


 足をベッドから下ろそうとして、ちょっとためらってしまった。

 床も見事に散らかっていて、扉までは獣道ができている。この部屋の主は片付けが苦手らしい。


 とはいえ布団や枕カバーは清潔だし、散らかっている大部分は本や雑貨で、食べ残しや使用済みの食器なんかは見当たらない。

 ……うん、清掃と整理整頓は別物だからね。ほら、洗濯は好きだけど、たたむのは苦手っていう人いるし。きっとそういうタイプだ。


 勝手に納得しながら扉を静かに開けると、ダレンさんともう一人、知らない女性の声がはっきり聞こえるようになった。


 扉の前は左右に伸びる廊下で、右側には下に降りる階段がある。ここは二階で、正面にある手摺の向こう側が吹き抜けになっていた。

 声はそこから聞こえる。



「……だからって、そんなことをするように育てた記憶はないけどね」

「ですが、師匠」


 師匠? 


 手摺まで行って下をそっと覗く。うう、二階程度の高さでも高所恐怖症にはツラい。

 とはいえ、我慢したおかげで二人の頭のてっぺんと、これまたごちゃっと散らかったリビングが見下ろせた。おぉ……一階もなかなかだ。


「それともなにかい、城でないがしろにされているとでも? 丁重に扱われてるって話は嘘なのかい?」

「それは……いいえ」

「だろう? それにアンタはこっちの都合だって考えていないじゃないか。アタシは出かけるところだったんだよ、まったく」


 叱られて項垂れ声のダレンさんには、お馴染みの不愛想さがない。

 ……困った。せっかくキリキリ問い詰めようとしていたのに、なんだか気勢が削がれてしまうじゃないか。


「なんにせよ、アンタは言葉が足りないね」


 ああ、それはそう! ほんとにそう!

 ダレンさんよりずっと背の低い、黒いフードを頭から被った女性の言葉に心から同意する。


 その女性が、はあーっと大きなため息を吐いて、室内にはちょっと気詰まりな沈黙が続いた。

 さて……どうしよう。

 事情を知りたいとは思ったけれど、盗み聞きをするつもりはなかった。

 なんだか出ていきにくい雰囲気だし、もしかして一回さっきの部屋に戻ったほうがいい?


 撤退を考えていると、ダレンさんがボソッと呟く声が響く。


「……すみませんでした」

「謝罪は直接するんだね。ああ、目が覚めたかい?」

「あっ、は、はいぃっ!」


 バ レ た!

 そうっと回れ右をしようとした私に、唐突に下から声が掛けられる。

 慌てて振り返ってまた下を見ると、件の女性が面白そうにふふんと笑って私を見上げていた。


 何歳くらいだろう。おばあちゃんなのは確かだけど、不思議と若くも見える。

 赤ずきんタイプの黒いローブ、長い三つ編みのグレイヘア、黒いロングスカート。そのスカートの陰にはカギしっぽの黒い猫。

「魔女」のテンプレみたい。箒はどこだ。


「そんなところにいないで、動けるようなら降りといで。なに、とって食いやしないよ」

「は、はいっ」


 うわあ、さっきから聞いていたのすっかりバレてるね、コレ……!


 ムズムズと動く卵を抱いて階段を降りていく私は、困ったように前髪をくしゃりとかき上げたダレンさんといい勝負の、気まずい表情をしていたと思う。



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