グリナウィディの魔女 3
すぐに戻れるだろうと言われて、ほっとしたのと同時に……ちょっと胸が重くなった。
それに気付かれないように、静かに息をする。
「さっきも言ったように、城とは関わりたくないんでね。さっさとここから出て行ってほしいけれど、アンタ一人じゃ城に帰れないだろう? そもそものダレンが連れて行くわけはないし」
「あー……ダレンさん」
あの人の意図はどこにあるんだろう。
さっきから小さく動き続けている卵を抱える腕に、ちょっと力が入ってしまった。ふわっと伝わってくる温度に、少し心が落ち着く。
「追い出すのはわけないけれど、『聖女と魔王』がこの家に来た事実は変えられない。袖にして、不敬だなんだとお上に目をつけられるのはもっと御免だ。仕方がないから、迎えが来るまでここにいるといいよ」
「え」
ここにいる?
突然の提案に、ぱちくりと瞬きしかできない。
「行き違いになっても事だし、迎えが来るまでおとなしくしているんだね」
「えっと、あの……っ?」
「宿として貸すだけだよ。アタシから城に連絡はしない。それに、面倒が済むまでアタシは一切姿も現さないし、これっぽっちも関わらない」
そう言って、エドナさんは黒猫と一緒に椅子からぴょこんと飛び降りる。
と、足元のクッションも、間のティーテーブルもものともせずに、ただの一歩で私の目の前に立っていた。
――なに、どうやったの今の。これも魔法?
まるで瞬間移動みたいな現象に目を丸くした私を、エドナさんは至近距離からしげしげと覗き込んだ。
「……ふん。そんなに迷子のような顔をしなさんな」
言い方はぶっきらぼうなのに、くしゃ、と私の前髪を撫でる指輪だらけの節っぽい指があんまり優しくて……息が詰まった。
まっすぐ合わされたままの濃紫の瞳は、容赦なく私の奥を探るようで、それでいて不思議と温かい。
「ダレンがアンタ達をここに連れてきた理由は聞いたし、アンタを見てまあ、納得もした。けれどそれと、アンタ自身がどう思うかは別だ」
「エドナさん」
「話は本人から聞くんだね」
ぽんぽん、と頭のてっぺんを抑えた手のひらが遠ざかる。
離れていく温度を引きとめたくなる手で私は、よりしっかり卵を抱く。
「あの子はここに長いこと住んでいたから、家のこともこの辺りのこともよく分かっている。せいぜいこき使っておやり」
エドナさんが台所を横目に、いたずらっぽくニヤリと口の端を上げたところで、どこからか大きな声が部屋中に響いた。
『――ょっと、グリナウィディの! 日が暮れちまうよ、いつになったら来るんだい!?』
わ、びっくり!
キンキンと頭に刺さるような声に、卵と一緒にビックゥ! と身を竦める。いやちょっと、今日は驚かされすぎじゃない?
反射的に閉じた目を恐る恐る開けると、エドナさんは天井を見上げて大きくため息を吐いていた。
そして暖炉棚の置時計の隣にある、鈍い金色の花瓶に向かって負けじと声を張る。
「アーディティルトの! うるさいね、こっちだって忙しいんだ!」
『いた! なんでまだ家を出ていないんだよ!?』
よく見ると、その花瓶の口がぱくぱくと開閉して……え、あの中から声がしているの?
一般家庭には電話的なものがあるはずだけど、もしかして魔女さん宅の通信網はこういうの……って、ほほう、魔女っぽい。
それはそうと、先方の『アーディなんとか』は、エドナさんが何か頼まれてるって言ってた魔女さんだよね。
かなり取り乱していらっしゃいますが、事件ですか。
『なんでもいいから、早く来て助けなよ! ミリーが帰っちまったんだから!』
「そうかい、そりゃあ災難だこと。まったく、アンタも役立たずの魔女だねえ」
『知るかよ! 赤ん坊なんて触ったこともなかったんだよっ』
赤ん坊?
……うん。耳をすませば、金切り声の向こうにいい感じのギャン泣きが混じっている。
その間も先方さんの文句は止まないが、早口すぎて、もはや私には言葉として聞き取れない。
片耳を押さえたエドナさんも、お手上げというように顔をしかめた。
「あぁ、もう分かった、すぐ行くから! 腹を減らせているか、おむつが濡れてるんでなきゃ、とりあえず抱いて歌でも歌ってな!」
『歌ぁ?
「赤ん坊を殺す気かい、このバカ魔女!!」
『子守唄なんて知るわけないだろっ! いいから、は……』
録音の途中で切れた音声のように声がプツリと消えると、部屋の中はシンと静まり返った。
……嵐の後というか、台風一過というか。
はああ、と大きな溜息を吐くと、エドナさんは近くにあった大きなボストンバッグを手にした。
「まったく、あっちもこっちも面倒ったらないよ」
あ、もう行っちゃうんだ。
話は全然聞き足りないけれど、向こうのほうが確実に緊急事態なのは理解した。
「まじない歌」とか、よくわからないけど非常に心配だし、早く行ってあげてくださいませ!
「エドナさん」
「ああ、今のは昔馴染みの魔女さ。養い子が来たんだけど、産んだことも育てたこともないから、これがもう見てらんなくてね」
文句を言うエドナさんの口角は上がっている。
……なんだかんだ言って面倒見のいい人だよね。なんだか嬉しくなってしまった。
壁際の、大きな食器棚のようなものに立てかけてあった箒を手にしたエドナさんの肩に、黒猫がひょいっと上がる。
おお、箒! 猫! これぞ魔女!
「じゃ、行くよ。分からないことはダレンに聞きな。ああ、鍵のかかっているところ以外なら、家は好きに使っていい。なんならその辺を片付けてくれても構わないよ」
「はい……え?」
玄関から出ていくと思ったのに、エドナさんはトントンと階段を上がる。
二階? 忘れ物?
階段の手すりを握ったままエドナさんを追いかけるかどうか迷っていると、上からはバタンと扉の閉まる音がしてガタンと大きな振動が響いた。
「師匠っ?」
「あ、ダレンさん」
ちょうど台所から出てきたダレンさんが、焦ったようにティーセットをテーブルに置くと、慌ててリビングを突っ切って庭に面した腰高の窓を開ける。
え、今度はそっち?
二階と、ダレンさんがいる窓辺を見比べて、私は結局ダレンさんのほうに行く。
たどり着いて、ダレンさんと同じように上を見ると――
箒に乗ったエドナさんが高い空を、ひゅん、と飛んで行ったのだった。
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