収穫祭の長い一日 2
「い、いや、それはその……」
「まあまあ、二人とも」
この場での偽証は許されない。しどろもどろになる子爵にさらに詰め寄ろうとするジョディを止めたのは、それまで黙っていた公爵閣下だった。
穏やかに宥める声に、言い合う二人も我に返る。
「心配なのは分かる。だが、もし二人に……特に、卵に何か危害が加えられているのなら、すぐさま青竜が反応するだろう。それがないのだから、少なくとも今は無事なのだと私は思うよ」
閣下の言はその通りだ。
さらに、新しい魔術付与もしてあるアラクネの布は、よほどの衝撃にも耐えうる素材でもある。あの布の中にいる限り卵は無事だろう。
……不測の事態があるとしたら、リィエのほうだ。
聖女召喚時のデータも使い、研究室で極秘裏にリィエや卵と似た魔力を広く探させている。しかし、現時点で探査網に反応はない。
あのアラクネの糸の魔力が障壁になって、探査が妨害されているためだと思われる。
魔力的に最高の素材だが、こういう場合には非常に厄介なのだと、物事の両面性を見せつけられてしまった。
「閣下……はい。失礼いたしました」
「お、お見苦しいところを……申し訳……」
「うん。まずは座ろうか」
ジョディに続いて子爵もおろおろと詫び、そうして全員が一旦腰を下ろしたちょうどその時、宰相が気まずそうに入室してきた。
陛下があからさまに眉をしかめる。
「なんだ、後にしろ」
「陛下、ですがあの、その」
「失礼する」
宰相の言葉を遮るようにして、扉前に立つ護衛騎士も力づくでの制止は不可能な相手――隣国の王太子が、供もつけずに現れた。
「フ、フレデリック・セヴィル・ヴァーユベレスライド・ミルトラ王太子殿下、の御成りです」
仕方なしに宰相が作法に従い入室者の名を述べ、皆の視線が一つところに集まる。
王太子の身長は陛下と同じくらいだが、ダークブロンドの髪は長く、首の後ろで一つに結っている。
おやと思ったのは、顔色が悪く、幾分痩せて――というより、やつれている。光量が控えめな聖堂内では気がつかなかった点だ。
王太子はミルトラ王家特有の薄緑色の瞳をまっすぐに陛下へ向けたまま、大股で卓に近寄った。
ただならぬ勢いに、陛下も立ち上がって迎える。
「邪魔をして悪いが、こちらも急ぎだ。ジュリアン、聖女と魔王に会わせてくれ」
「なに?」
「決して危害は加えないと約束する、短時間で構わない。どこにいる? 呼ぶのが難しいなら私から行くし、面会に際してお前の立会いも了承する」
「お、おい、ちょっと待て。ということは、フレッド、お前は違うんだな?」
「何が違うんだ。いいから会わせてくれ、今すぐに!」
常に冷静沈着と評判の王太子が、他国の人間の前で、疑いようもないほどに焦っている。
必死ともいえるその様子はとても演技には見えず、皆で視線を交わす。
前回の卵襲撃はともかく、今回の誘拐にミルトラ国は――少なくとも、王太子本人は関わっていないと考えてよさそうだ、と。
「まあ、少し落ち着け。会ってどうする、理由と用件を話せ」
「それは……」
「フレッド。お前がそんなに取り乱すなんて、一体何があった? 聖女達とは面識もないだろうに」
王太子はグッと息を呑む。
宰相が慌てて用意した椅子にドサリと倒れ込むように掛けると、大きな溜息を吐いて端正な顔を手で覆った。
「……息子が……消えた」
「は? お前の息子? おい、聞いていないぞ、いつ生まれたんだ!?」
消え入りそうな弱々しい声に、自分も腰を下ろしかけた陛下は弾かれたように椅子の音を鳴らして再度立ち上がる。
なんで知らせなかった、と気色ばむが、問題は多分そこではない。
「生まれたのは……三ヶ月前だ」
「おいぃっ?! そんなに前か!」
「内緒にしていて、一番に知らせて驚かせようと思ったんだ。でもその頃お前はやたら忙しそうで、言いそびれて……」
「なにバカなことを気にしてるんだっ、産着が贈れなかっただろうが!」
三カ月前といえば召喚準備と卵への対応でゴタゴタしていた時期だ。
しかし陛下、問題は産着ではないだろう。
「へ、陛下、ミルトラ国の慣例では、正式な誕生お披露目は生後半年ですので」
「知るか!」
だから宰相も、そういう問題ではないというのに。
……埒があかない。
公爵閣下と部下達の物言いたげな視線に、仕方なく不毛な討論に口を挟んだ。
「失礼、魔力研究室のザヴィナクルーエルと申します。すると、王太子殿下は、ご子息が消えた事件にトラウィスの聖女と魔王が関わっていると仰るので?」
「ザヴィナクルーエル……ああ、やはり君がそうか。話はかねがね、
「それは恐縮です」
……どんな「話」だか。
ちら、と陛下を見るとあからさまに目を逸らされた。
だがようやく、本題に戻る。
「消えた事件、というのは正しくないな。正確には、私の息子は『妖精の取り替え子』にされたのだ」
「はぁ?」
「本当だ、ジュリアン」
妖精の取り替え子とはその名の通り、人外の存在が気に入った人間の赤子を連れ去り、かわりに自分達の子どもやほかの何かを置いていく事象のことだ。
妖精などに対しては、鍵も護衛も意味がない。
連れ去りを防ぐことは実質不可能だが、滅多にその話を聞かなくなって久しい。『魔王』の存在と同じ、過去のことになりつつあった。
「乳母が眠った息子を揺りかごに寝かせ、毛布を取りに背を向けた。数十秒にも満たないその隙に連れ去られたんだ」
「そんなことがあるのか……」
「部屋は二階で、他に数人の侍女もいた。もちろん警備も廊下にいたさ」
そんな中、まだ首も座らぬ王子は誰の目に止まることもなく煙のように消えた。
かわりに残されたのは妖精やトロールの子ではなく、人型の石だったという。
「……裏に竜が彫ってあった」
「竜?」
「この国で『魔王』の卵が
一国の王太子の実子だ。しかも、個人的に友好関係にあるとはいえ、国レベルでは悶着もある相手へ、うかつに弱みを晒し助力を請うわけにもいかない。
歯噛みする思いで今日を待った、と打ち明ける王太子の顔は苦しげに歪んでいた。
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