勉強もしています 2

 実は、公爵閣下の伴侶であるオルフェリア様は長いこと床についている。

 幼い頃から病弱で、しかも貴族ではない彼女と恋に落ちた公爵に対し、周囲の反対は大きかった。


 ついには公爵が自分の王位継承権を放棄するとまで言ったのだけど、王族が少ないこの国でそれは通らなかった。

 結果、継承順位を大きく下げ、将来生まれる子どもは継承権は持たないとすることで落ち着いたのだそう。

 結婚式も、王族がするとは思えないような小さな聖堂で、ごく内輪だけで執り行われたとか。


 夫婦仲は大変よろしいとのこと。

 ただ、オルフェリア様が病弱なのは変わらずで、結婚後も何度か危ない時があったそう。

 夫である公爵自らが看病をして、公務は最低限で常に彼女の傍を離れず邸に籠っている。


 とはいえ、さすがに「魔王と聖女」と顔合わせくらいは――となって、お会いしたのは先月のこと。


 その時の様子を閣下が話すとオルフェリア様がとても楽しそうにされて、もっと異世界の話を聞きたいと珍しくおねだりをされたのだという。

 愛する妻が喜ぶなら、と講師役を引き受けられて(というより閣下自ら申し出て)現在に至る。


 自邸から滅多に出ない公爵が、私に教えるためだけに近年例を見ないほど頻繁に王城へと足を運んでいる、という現実……これもまた、例の子爵からの「調子に乗るなよ」案件になっている。


 まあ、ね。気持ちは分かる。

 だって庶民に王族がマンツーマンレッスンって。私だって非常に、ひっじょーに恐縮である。

 だが今日も粛々と授業は進む。


「――と、そんなわけで隣国のミルトラ国とは、国境付近の地下資源をめぐって小競り合いもあったが、ようやく協定が成ってね。ひとまず近々の紛争は避けられたかな」


 磨き上げられたマホガニーの小円卓の向こうから、最近の外交事情について教えてくれる心地の良い低い声が響く。


 陛下と同じ、滑らかなブロンドにコバルトブルーの瞳で、整った容姿はまるで俳優のよう。さすが美形揃いと評判のトラウィス国の王族だ。

 高級そうなジャケットや靴がわざとらしく見えない上品さもある。

 ルドルフさんよりもう少し年上だが、こんなイケオジにかかれば目尻に寄るシワもチャームポイントでしかない。


 閣下が若かりし頃は、お嬢さん方がみんな憧れたそうで……うん、そうだろうなあ。

 お茶を用意してくれるシーラさんも、なんとなく少女の顔に戻ってウキウキしているのが可愛い。


 さて、そんな麗しいお顔から目を離して、複雑な紋章の指輪が嵌った手で示される地図上の隣り合う二国を見る。


 私がいるこのトラウィスと国境を接する、ミルトラ国。

 国の成り立ちとしては同時期、規模も同じくらい。隣接地域では過去に何度も領土関係で紛争が起こったそう。

 島国日本育ちの自分にはあまりピンとこないのだけれど、国境が地続きというのはいろいろあるだろうというのは想像できる。


「話し合いで解決できるなら、それが一番ですよね」

「そうだね。軍需による国益は見込めるけれど、即位して二年の陛下にはまだ早いだろうし」

「え、えっと」


 為政の側に立つ人の全てが安穏とした平和主義者だとは思わないけれど、予想外に好戦的な言葉に瞬きを繰り返してしまった。

 ふ、と微笑んで、閣下は視線を私の抱っこ帯のなかに向ける。

 朝から元気に動いていた卵はお昼寝タイムらしく、授業が始まってからはずっと大人しい。


「もし、その卵を預けられたタイミングがずれていたら、ややこしいことになっていただろうね」

「あ……」


 近年、稀になった『魔王』の卵。

 それがライバル国に預けられたと知ったら。


 外交のことは全てがオープンなわけでもないだろうし、過去の事情に詳しくない自分が口を挟むのは控えるべきだと思う。

 とはいえ、卵に関することなら聞いておかなくては。


「ミルトラ国は歯噛みしているんじゃないかな。もう少し合意を先延ばしにしてその卵の情報を得ていれば、いくらでも揺さぶりをかけられたはずだから」


 聖女の不在は交渉を有利に進める強力な材料に。

 さらに、もし卵に何か不測の事態があれば、目障りな隣国トラウィスは勝手に自滅する。


「……そういえば一度、卵が狙われたとか」

「首謀者は不明と聞いているけれど、まあ、ね」


 含みを持たせて、公爵閣下はパチリとウインクまでする。

 でも、だ。

 閣下の匂わすところは分かるけれど、疑われると予想される相手がそのまま疑われるような行動にでるかな、とも思う。単純過ぎない?


 それに事件が起こったのはこの国の中で、しかも城内だ。手引きした人物が内部にいる可能性が……知らず、卵に両手を回してしまう。

 そんな私に閣下はくすりと目を細める。


「察しのいい子は好きだよ。外見で惑わされるけれど、本当にリィエは成人なんだねえ」

「三十歳も目前ですので」

「うん、立派な淑女レディだ。今は年齢不詳だけどね」


 茶化すような言葉とは裏腹な真顔で私を苦笑させて、安心させるように何度も頷く。

 うーむ、大人の余裕だなあ。


「大丈夫だよ。君と卵の安全は甥が保証する」

「あの、陛下や警備の体制を信用していないわけではなくて……すみません」


 十分に守られていると思う、それは本当。


「うん、ああ見えて優秀だから信用してやって。それに、国が騒がしくなればオルフェリアの体調にも障る。ミルトラ国には大人しくしていてもらわないと」


 閣下の声は、今までのどの言葉よりも真剣だ。

 どうしたってオルフェリア様が大事なんだとひしひしと伝わってくる。


「……ふふ、閣下の基準は全てが奥様ですね」

「こればっかりは仕方ないねえ」


 そう言ってくしゃっと笑う。

 生粋の王族だけあって威厳や貫禄があるのだけど、奥様のこととなると格段に雰囲気が変わるのを、この目で何度も見た。


 本当に、好きなんだなあ。


 行動の全てがオルフェリア様中心になっていて、悪く取ればすんごい執着、とも言えるのだけど本人の人柄でね、なんというか……しょうがないなあ、という感じなのだ。

 それに、こんなふうに人を好きになれるって、素直に凄いと思う。


「さあ、心配は甥に預けておこう。地下資源のうちの一つが魔石なんだけど、稼働中の採掘場所は――」


 頷いてまた地図に目を落とした時、部屋の扉が乱暴に開けられた。

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