勉強もしています 1

 午前中はだいたい散歩に費やされるが、午後は塔の部屋に戻り勉強をする。

 ここで言う勉強とは、国語や算数などの学校の教科ではなくて、こちらの世界の常識とか地理とか社会情勢。

 つまり、生きていくのに必要な情報だ。


 というのも、魔王は生まれた後もこのまま王城で暮らすことが決まっている。

 だけど『聖女』が必要とされるのは、卵が孵るまで。

 魔王が無事に生まれれば、私はお役御免だ。


 現在は、お城で何不自由なく過ごさせてもらっている。

 拘束生活だけど好待遇でもあるこの暮らしは期間限定。そもそも報酬も出るという話なのに、それ以上甘えるつもりもない。


 歴代の聖女には貴族や王族の人もいたようだけれど、私はね、たまたま聖女役になっただけの一般人なので。


 お城に残っても何ができるわけでもない。

 対外的なバランスを色々と乱しかねない自分の身の上も身の程も十分知っている。いつまでも居座るつもりはないのだから、あの厭味なオッサンも心配ご無用なのにな。


「リィエ様。陛下は出ていく必要はないと仰せですのに」

「いやでも、そういうわけにはいきませんって。私はもともと庶民ですから、ここの暮らしはやっぱり身の丈に合わなくて……」


 そりゃ、一ヶ月も過ごせば慣れるよ。

 慣れるけれど、完全に馴染めるわけではない。

 そう告げればシーラさんも仕方なさそうに笑顔を見せた。


「……その気持ちは分からなくもないです」

「でしょう? 椅子じゃなくて床に座って寛ぐような生活様式でしたし」

「まあ」

「テーブルも低くて。ソファーもあるんですけど、背もたれにして冬は炬燵に入ったり」

「コタツ?」


 そんな日本との違いを話して以前を思い出しても、特別寂しい気分にはならない。

 戻ることもできないし、嘆いたところで無駄といえば無駄とはいえ、我ながら淡泊だなとは思う。


 ……高校を卒業してから、ずっと一人で暮らしてきて。

 大学時代は授業とアルバイト三昧。就職先は二度変わったおかげで、交友関係も浅く、薄いものばかり。

 特に心残りになるようなものもない、そんな生活が幸いしたのかもしれない。


 むしろ今のほうが卵と離ればなれになるかと思うと、ぐうっと胸が苦しくなって涙腺が危なくなる。


 けれど、うん。しっかりしなきゃね。

 この子にはこの子の人生があるもの。

 そして『聖女』の役目を終えた後の私も、ここで生きていくのだし。


 そのためにも、お城にいる間にできるだけ多くのことを知っておく必要があると思った。

 でも、卵を抱いている間はこの城内に籠の鳥。

 普通の人達の一般的な暮らしを実際には見られない。買い物にも行けないから物価も分からない。


 こんな箱入りのままでは今後に差し支える、とルドルフさんに愚痴ったところ、午後の勉強タイムが設けられたというわけだ。


 日常生活については、シーラさんやお城の侍女さん達から。

 家の借り方や住まい方、買い物、洗濯などの家事といった日々のことのほか、風習や慣習、それに街の人達の服装や、食べ物、遊びの流行りなんかも話題に上がる。


 スーパーみたいになんでもまとめて買い物ができる場所はなく、個々の商店を利用するらしい。

 それに、現金で都度払うことはあまりなくて、馴染みの店を持ち一ヶ月ごとのつけ払いが基本だとか。

 王都に住む人は外食が中心で自炊はほとんどしないとか、旅行ガイドを聞いている気分でなかなか楽しい。


 ほかにも、たとえば今着ている私の服は、お城で用意してくれたごく一般的なものだけれど、普通にボタンとかファスナーとかがある既製服。

 布も、綿などの自然素材だけでなく、ポリエステルのような化学繊維も染料もある。

 石油が原料ではないようだけど、そのあたりは追々……だって「コカトリスの羽から取った素材なの」とか言われる可能性を否定できなくて。

 なんといっても、この世界は魔力がベースにあるから。


 そういった、今まで縁のなかった魔力とかに関することは、研究室の人達からも卵の観察ついでに少しずつ教えてもらっている。


 魔力と魔法と魔術は同じだと思っていたらそれぞれ意味が違ったり、基礎中の基礎からいちいち「へえー!」ってなることが多い。

 そんな私がジョディさん達も新鮮らしく、実演や実物を交えて親切丁寧に教えてくれる。


 ……たまに一緒に来る、小型の魔獣がかわいいんだな、これが。

 オオカミのような精悍な顔つき体つきをしているのに、大きさは豆芝くらい。三本に分かれている大きくて長い尻尾は、白い毛が厚くてなんとも柔らかそう。

 私はまだ触れさせてもらえるほどには親しくなっていないけれど、仲良くなっていつか絶対モフりたい。いや、モフってみせる。


 大きさは犬だが、当然「お手」とかの芸をしたりすることはない。

 むしろ、生き物としては魔獣のほうが、身体的能力・魔力も人間よりはるかに上だ。驚いたことに、言葉も通じる。

 お城の森で弱っていたのを研究所の人達が偶然見つけて、回復の手助けをしたのだそうだ。

 それ以来、時々遊びに来るようになったという。

 人間と動植物のほかにいる、魔獣や霊獣といった存在……そういうのも、なかなか興味深い。


 そして、この国の地理歴史とか政経・法律関係なんかについては、また別に詳しい人が来てくれる。

 今日はその日なのだけど――


「授業に使う地図はこちらに置きますね」

「ありがとうございます、シーラさん。あの、今日はどなたが……」

「ええ、今日ウォグルガーランディナ公爵がお見えになりますよ」

「えっ、あ……はい」


 にこやかに返されて、思わず出そうになった声を寸前で呑み込む。

 最高に呼びにくい名前の公爵は、悪い人ではない。むしろ好感度高いチームに入る。


 しかし困ったことに、彼はなんと国王陛下の叔父上様。

 このトラウィス国の数少ない王族のお一人であらせられるのだ。


「すっかり気に入られましたねえ、リィエ様」

「いやー、珍しいもの見たさですよ」

「あら、そんなことありませんよ」


 否定しつつ、シーラさんは気遣わし気に眉を寄せる。


「でも……理由はなんでもいいのです。閣下ご自身にも少しは気晴らしが必要ですから。見ていて心配になるくらいでしたもの」


 まるで家族の心配をするようなその言葉に、私も頷いた。



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