研究室の難儀な日々 5
促されて職員達が作業に戻ると、王は背もたれのない椅子を自ら引き寄せる。
即位して二年、王太子の頃と変わらない身軽さだ。
「我が国が誇る研究所を信用していないわけではない。が、いささか待ちわびた」
「左様で」
ちらりと視線を寄越され、仕方なく傍に侍る。
……面倒だ。
「ザヴィナクルーエル。ここは釈明する流れじゃないか?」
「必要を感じませんので」
「お前……昔っからそういうヤツだよなぁ」
「陛下もお変わりない」
「あぁ? 成長してないってか」
「さあ」
「冷たいな! 昔みたいにルディ先輩って呼ぶぞ!」
「ご自身が恥ずかしくなければどうぞ」
まだ何か言っているが付き合うほど暇ではない。
早々に被っていた猫が剥がれた王を無視して席に戻ると、小声で部下達が話しているのが聞こえた。
「え、ええ? 室長と陛下ってー」
「学生時代は陛下の
「あーそれで……って、いやいや」
学生時代の縁で、多少の面倒を引き受けることと引き換えに研究所の治外法権を認められている。その意味でこの場に身分の上下はない。
若いながらも国の舵取りに手腕を発揮し、じきに賢王と呼ばれるだろうと評判の王だが、中身は普通の人間だ。
まあ、食えない者の頂点には違いないが。
泡を食ったような官吏達を尻目に、この日も探査網には『聖女』の反応もないまま時間だけが過ぎていく。
深夜になると、そろそろ陛下を王宮に戻せ、との宰相からのアイコンタクトも煩わしくなり、渋々声を掛けた。
「陛下、そろそろ戻られては」
「は? 臣下が必死に働いているのに俺だけ休めるか」
「いても役に立たないですし」
「少しはオブラートに包めよな!?」
「……面倒な」
「声に出てるっ」
いっそ護衛に担がせて帰還させるか。
そう思い振り返ったところに、フィルの焦った声が響く。
「室長ーっ! こ、これっ」
――それまで沈黙を保っていた探査網上に、初めて反応が現れた。
踵を返して近寄ると、たしかに微弱な点滅が確認できる。
「条件合致率は」
「八……いえ、九割以上、です」
いつも冷静なジョディの返答でさえ震えていた。
プロジェクトが始まって以来の事態に場が湧きたつ。
「ダレン、座標は出たか。どこの国だ」
「遠いです。この世ではありえません」
「なに?」
「つまり、異世界と思われます」
異世界。
そこに噛みついたのは、宰相をはじめとする中央の官吏達だった。
「そ、それでは二百年前のあの召喚と同じではないか!」
「やはり災厄が! ザヴィナクルーエル卿、企んだか!?」
ぎゃんぎゃんと喚き立てる宰相や神官長の声は無視して、王に直接問う。
「陛下、どうなさいますか」
このまま続けるか、との問いの意味を官吏達も理解し、顔色を悪くして口を噤んだ。
「国交がない場合や遠く離れた国であった時の想定はしていましたが、異世界となると話は別です」
人間は――形あるものは、界を越えられない。
厳密には、召喚できるが
それが分かったのも二百年前の召喚だ。
異世界からの少女は、大勢の眼前で突然、文字通り塵となって消えたのだ。
その場にいた者達の証言と残された僅かな痕跡から、創造主が異物を排除したのだとの判断が下された。
実際に彼の娘がいたのは半年ほどの間だけだった。
その短い間に、王太子を魅了し公爵令嬢を追い出しと、頭の痛い行動を山ほどしてくれたわけだが。
「異世界から召喚した人間が、どれほどの期間こちらに存在していられるかは不明です」
「そうだな」
『聖女』を召喚したところで、同じように創造主に排除されるだろう。消える前に卵が孵るかも不確定だ。
賭けではあるが、これが最初で最後の機会。王の返答は早かった。
「続けよ」
「陛下っ!?」
「ああ、宰相、神官長。お前達の連れてくる聖女候補は、誰一人も魔王に受け入れられなかったではないか。反対するなら今すぐ確実な代案を寄越せ」
「そ、それは、」
「……創造主のご加護を」
挑むように唇の片端を上げてみせる陛下に、宰相は諦めた顔で項垂れ、神官長は祈り始める。
話がついたところで部下達へと向き直った。が、問題はまだあった。
「室長ぉ、対象が遠すぎて魔石を追加しないと動作が安定しませーん!」
召喚システムを最も効率よく動かす動力は魔石だ。高価なそれを優先して回してもらっていたが、さすがにここ二ヶ月の消費で国の在庫も底をついているだろう。
財務担当の子爵が血相を変えた。
「こ、これ以上は無理だ!」
「それだと探査先の映像を表示できないですよぉっ? 何も見えなくてどうやって『聖女』を選ぶんですかあ?」
本来の召喚は、送受両側に召喚の陣が必要だ。
それができない時は、召喚の糸を繰り出して対象物を掴み引き寄せる必要がある。座標だけで判断すると、本来の目標から逸れる恐れがあった。
特にこれだけ離れている場合、測定できない僅かなズレでも致命的だ。
「不要な計器を切れ。明かりも落とし全ての動力を召喚に回せ」
どう考えても足りないが、少しはマシだろう。
動力不足で聖女を召喚途中で消失など、それこそ意味がない。
表示できるのはせいぜい数秒か……対象を掴み損なわないよう、気張るだけだ。
「さて、これよりこの部屋の安全は保障できません。陛下方は卵と共にご退出を」
薄暗い室内はさすがに警備面でも問題がある。
それくらいの分別はついたようで、王は立ち上がると服の内側からペンダントを取り出した。
「仕方ないな。では、代わりにこれを置いていこう」
じゃらりと鎖を鳴らして机に置かれたのは、大粒の高純度魔石。
「へ、陛下ああっ!? それは王家に伝わるっ、」
「家宝だろうが国宝だろうが、魔石は魔石だ。使うべき時は私が決める」
「ですが!」
「うるさい。ほら、お前達も行くぞ。――頼んだ」
すれ違いざまに小声で告げ、自ら卵の乗った乳母車を押してさっさと出ていく王を追って官吏達も去ると、ようやくいつもの研究室に戻った。
なみなみと蓄えた魔力が多色に揺らめくペンダントを一瞥して、部下に渡す。
「せっかくだ、使わせてもらおう」
「マジですかぁ……はあ、すげー……」
動力供給部分に入れたペンダントから、しゅうと音を立てて魔力が吸い込まれると、格段にシステムが安定したのが分かった。
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