研究室の難儀な日々 4

 

 日中は分析と調査のため研究室で卵を預かり、夜間は警備がより万全な王宮に。

 そんなローテーションの中、陛下の元へ戻す道中の卵が何者かに襲われた。


 研究室は外部業者の出入りも多い上、取扱注意な薬品や道具類、騒音を伴う作業もある。そのため王城の中とはいえ所在は敷地の端だ。

 距離がある移動は中央から派遣されてくる護衛に加えて、返却の際は研究所の職員もつけている。

 その日の同行者がフィルだったことが、犯人にとっては災難だったと言えるだろう。


 警報に気付き駆けつけた時には、悪漢達は末期の昆虫のようにひっくり返って、両手足を上にぴくぴくと震えている有様だった。


「フィル」

「あ、室長! 早いですねえ」


 大仰なマスクを外した部下がこちらに気付いて表情を明るくする。

 ――大方の予想はつくものの、一応話を聞くか。


「……報告」

「ええっとぉ、召喚前後の体組成を調べるのに新しい試験薬も開発したじゃないですかー。その過程で、ちょっと面白そうなのが抽出できてですねぇ?」

「それは前に聞いたな」


 話しながら、廊下に転がる割れたガラス容器の破片と変色した床材を示すついでに、フィルの爪先は悪漢の脇腹も軽く小突く。

 生きているが抵抗はできない状態に、にんまりと満足そうにした。


「その希釈液がたまたまポケットに入っていましてー、この人達がぶつかってきたはずみで落ちて割れちゃいましてー、ええ、偶然ですよぅモチロン」

「ほう。そのマスクも偶然か」

「や、これは、えっと、あー、研究者の嗜みというか、備えあれば憂いなし、っていうかー?」


 取り繕うような笑顔で外したマスクをぶんぶんと振り回す部下に、額を押さえる。


 卵の運搬に使っている台車には、盗難や破壊を防ぐ工作をいくつも仕込んである。乳母車の形をしているがシェルターも同然で、乗せている卵に直接危害を加えることはまず不可能だ。

 だから有事の際は、悪漢の相手を護衛に任せ、職員は卵と共にその場から離れればいいだけなのだ。本来は。


 同行しているはずの護衛はと見回せば、少し離れた場所で屈強な騎士が酷い顔色をして座り込んでいた。一応、味方を逃す気遣いはしたようだ。


「……治験は手順を踏んで行え」

「やだなあ、偶然ですってばあ。あ、大丈夫ですよ、痺れるだけで後遺症や致死性はないはずですから!」


 まあ、たぶんー? と首を傾げる部下に、「これだから研究室の奴らは」と言われるのも仕方のない面がある、と改めて実感したのだった。




 やがて拘束された犯人達は連行されていった。

 駆け付けたほかの部下達は研究室に帰し、卵の乗った乳母車を押すフィルと共に王宮へと向かう。


「黒づくめで覆面で、いかにもって感じなんですよーっ。あはは、本当にあんな恰好で強盗? っていうか、するんですねえ!」

「ほかに感想はないのか」

「あ、室長ってば、そんなに呆れないでくださいよう」


 闘技場や訓練場以外の城内で殺傷事件が起こると、各所にある警報器が反応し即座に警備部に連絡が入る。

 現場を特定して、各詰所から護衛兵や警備兵が現れるまでに必要な時間は数分程度。

 略奪者が使用したのは殺傷能力のない催涙弾だった。怯ませた隙に、卵を盗もうとしたらしい――準備万端だったフィルに催涙弾は効かず、返り討ちに遭ったわけだが。


「その物騒な薬品やマスクを毎日持ち歩いていたとは恐れ入る。なあ、フィル」

「んぐっ、た、たまたまですよー」

「なるほど、たまたま同行当番も代った、と。今日の返却はクリスが担当だったはずだが?」


 盛大に泳いでいる部下の瞳から視線を逸らさずに重ねて言えば、早々に観念した。


「っ、わ、わかりましたぁ! 数日前から、なんとなく見られている気がするって聞いたので、まあ、今日あたり来るかなーって」

「それを警備には」

「言ったら向こうにも気付かれるじゃないですかー。あ、ジョディ先輩とダレンさんには報告しましたよぅ」


 なるほど。真っ先に到着したのが警備兵達ではなく近衛兵だったのは、ジョディがそれとなく父侯爵に警告を出していたからか。

 中央所属のダレンに伝えたのは研究室が疑われないための保険だろう。

 ……フィルなりに考えてはいるようだ。


 だが、先輩指導員と、優秀だが部外者の二人には警告しておいて、統括責任者の自分に報告の一つもないというのはどういうことだ。

 びくりと肩を震わせたフィルが、言い訳のように早口でまくしたてる。


「だだ、だって室長ならすぐ気づいてくれますもん。予想もしていたんじゃないですかー?」

「……」


 返答しないことで、フィルは満足そうに前を向いた。

 確かに、遅かれ早かれこういった事態になることは予想がついていた。


 犯人は、魔王という巨大な力を手に入れたい者達か、このトラウィスを確実に亡国にしたいと思っている者達か。

 どちらにしろ、襲撃に来るのは使い捨ての駒だ。


 実行犯達が城壁を超える算段があったかどうかは、内通者が誰かによるだろう。

 とはいえ、捜査は官憲の仕事でこちらには関係ない。


「僕らの仕事は、『聖女の召喚』ですもんねー」

「分かっているならいい。だが、無茶はよせ。これ以上、成功確率を下げる要因を作るな」

「はぁーい」



 その後は大きな襲撃もなく、飛ぶように時間が流れていく。

 召喚システムの変更は何度もの改良を重ねて、生体でも使用可能の状態を保持できるようになった。


 しかし相変わらず『聖女』は見つからない。


 連日昼夜を分かたずに及ぶ作業に、いい加減職員達の疲労も限界を超えている。

 卵の生体反応も鈍くなってきており、頻繁に様子を見に来るようになった中央の官吏たちの顔色も悪い。


 神官長の元からはあの後も『聖女』候補なる者が連れて来られ、その度に試したが誰一人として上手くいくことはなかった。


 期限と言われた二ヶ月まであと数日、という晩。

 卵の返却準備をしている研究室を訪れた人物に、その場にいる全員が驚愕した。


 整った容姿に豪奢な金の髪、長身を包むマントは王族にのみ許された緋色。


「気にするな、そのまま続けよ」


 それまで王宮のみで報告を受けていた国王自らが、とうとう研究室に姿を現した。


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