研究室の難儀な日々 1

(※ルドルフ視点)



 出勤したとたんに緊急の呼び出しが届いた。

 仕方なしにローブを脱いで会議用のマントを羽織ると、部下から声を掛かけられる。


「あれえ、室長。朝から会議ですかー?」

「第六だ」

「ええっ? っと、あー、お疲れ様でーす」


 中央宮にある複数の議場は内容や人数によって使い分けられるが、普段使用するのは第五まで。

「第六」とは国王の執務室に隣接した小部屋のことで、そこで行われる特別会議の呼称だ。


 議題に上がるのは、今すぐは公言できない重要案件……たとえば外交でのあれこれや、武器や特殊機器について、また戦争や紛争に関してなども。

 どの案件も影響は広く、責任も重い。


 そんな第六に招集されるのは宮廷人としての誉れと言われるが、別に誉れを望んでいない身としては時間が削がれるばかりで正直、面倒だ。

 だが会議をボイコットすれば、予算編成にもあからさまに影響してくる。やはり面倒だ。


「フィル、代わりに行くか?」

「絶対イヤでーす! 偉いさんに囲まれるの慣れてませんしー」


 盛大に両手を振って断られてしまった。

 集まるメンバーは、キツネやタヌキのほうが可愛らしいような人物ばかり……それもまた、面倒だ。


「そういうのは、ジョディ先輩にお願いしますよぅ」

「フィル・トゥイージラスディン。私がなんですって?」

「わぁっ、おはようございます、センパイー!」

「ええ、おはよう。室長はその姿だと会議にお出かけですね」

「第六だ」


 部屋に入ってきたばかりのもう一人の部下は、形の良い眉を怪訝そうにひそめた。


「朝から災難ですこと……でも、変ですね。今は研究室ここに特別要請をするような事案は出てなかったと思いますが。父が昨晩から帰宅していないことと何か関係あるかしら」


 ジョディの父侯爵は国防を担当している。だが、その線はないだろう。


「えー? だって協定を結んだばっかりですよー」

「そうよねぇ」


 長年くすぶっていた隣国との国交上の問題は大枠で合意し、解決が見えたところ。

 実務レベルでの詰めの協議はこれからだが、今になって覆すのは益がないどころか、むしろ両国にとってマイナスとの認識は共通のはず。


「行けば分かるだろう。後を頼んだ」

「ええ、承知しました」

「室長! また妙なこと押し付けられそうになったら、予算マシマシでタヌキに請求してくださいねー!」

「あ、ホントね! ケチるなって言ってやってください!」


 そんな、気心の知れた部下達の明るい声を背に、第六議場へと向かったのだが。


 王が円卓上に静かに置いた薄灰色の丸い物体に、集められた者達は首を傾げた。

 今にも倒れそうな顔色の宰相がその物体――卵の正体を告げると、一斉にどよめきが広がる。


「バカな、魔王だと!?」

「な、何かの間違いでは」

「貴殿ら、落ち着かぬか!」


 部下ジョディの父であるフォルトリディアーナ侯爵が、顔色を失くす出席者を諌めるが、その侯爵自身もいつもの冷静さがやや薄れている。

 張り詰めた空気が満ちる中、王は脚を組みかえて飄々と語り始めた。


「昨晩、私の寝室に突然青竜が現れこの卵を託していった。ああ、間違いなく二百年前の忌まわしい事件の遺産だよ」

「なんと……」


 二百年前。

 確立したばかりの未熟なシステムを使って、軽率に異世界から人間を召喚した事件があった。


 召喚が成功しただけならば、まだよかった。

 問題は、その異世界の少女に当時の王太子が溺れたこと。


 少女に魅了され、自身の婚約者である公爵令嬢を邪魔に思った王太子は、冤罪をなすりつけ令嬢を家族ともども排除しようと画策し……精霊の加護を得ていた令嬢は、最終的に竜の花嫁となった。


 王太子が令嬢一家へ与えた非道な仕打ちに対しての、竜の怒りは大きかった。

 この国が今もこうして存続しているのは、令嬢が竜を宥めてくれたからに他ならない。

 だがそれ以来「魔王」を預けられることもなくなり、もとより減る一方だった精霊の加護を得る者も絶えて久しい。


「なぜ、今になって……」

「聖獣の伴侶となった者は、時間と共に身も心も人から離れていくと伝えられています。二百年が経ってようやく、初めてのお子をなしたのでしょうな」


 神官長の言葉に、いっそうの沈黙が下りる。


 人ならぬ高位の者と人間との間の子である『魔王』は、人の手で育てられるのが古来からの習いだ。

 しかし前例ははるか昔のこと、その生きた知識は既に失われている。


「な、なぜここに。『聖女』はっ?」

「いない。その『聖女を探せ』と言い残して青竜は消えたのだよ」

「なんと……」


『魔王』は大いなる福音か災厄だ。

 育ての仮親たる『聖女』がいない状態で預けられたという事実はつまり、滅べと宣言されたに等しい。


 ざわざわと動揺の声が広がる中、宰相が重苦しく告げる。


「二百年前はかろうじて難を逃れました。時が経ち、令嬢の係累も亡くなった今こそ報復を……と、そういうことでしょう」

「か、加害した王太子も異界の娘も、もういないのに」

「濃くはなくとも私という血統は残っているじゃないか。それに、青竜の怒りは王太子個人と同時に、この国全てにも向けられたのだよ。誰も彼女達に手を差し伸べなかった、と」


 王は蟄居、王太子は廃嫡。

 新たに冠を戴いたのは、王とは従兄弟にあたる人物だった。

 薄い血の繋がりを指摘して、現国王は面白そうに口の端を歪める。


「そんな昔のことを!」

「彼らと我らの時の流れは違う。彼らにとっては、つい昨日の出来事だろう」

「しかし陛下、」

「禊は済んでいない。……この卵がすっかり冷たくなった時が、我々の最期だな」


 玉座を継いだばかりの若い国王の肩には重すぎる事案だ。

 しかし目の前に『魔王』がいる以上避けて通る道もなく、嘆いて諦めるような人物でもない。

 水を打ったように静まり返る中、王が立ち上がる音が響いた。


「とはいえ、私の代でこのトラウィスを終わらせるつもりはないよ。さて、ザヴィナクルーエル」


 背後の窓から差した陽に透ける金の髪を軽く払った王が、挑戦的な視線を自分に定め顎を引く。


「我、ジュリアン・オーディス・ヴァラフレイターナ・トラウィスの名の下に、生きた人間の召喚を特別に許す。研究室の全力をあげて一刻も早く『聖女』を探し、ここに連れてこい」

「……かしこまりました」


 ――ああ、やはり面倒だ。



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