卵番はじめました 5
まさか異世界に桜があると思っていなかった。
ぽかんと口を開けて見入ってしまった私に、ジョディさんと護衛騎士さんは満足そうだ。
「どう、リィエ。綺麗でしょう」
「花の後に出来る実は炒って食べるんですよ」
「お酒に合うのよねえ」
実が食べられるなら、違うか。桜じゃないね。
いや、それにしてもびっくりした。
近づいてよく見ると、枝と花との距離が桜よりも近い。枝から直接花が咲いているような感じだ。
花びらも少し大きくて、ひらひらしている……もしかして、アーモンドかな? 実がなるし、桜と同じバラ科で似ていたはずだし。
「リィエ、こっちからも見えるから。ここに座って計測をさせて」
「あ、はい、ジョディさん」
ま、いいか、桜でもアーモンドでもトーカでも。花は花だ。綺麗だし。
桜似のトーカの花に目を奪われつつも呼ばれるまま、パーゴラのベンチに掛けるジョディさんの元へ行って隣に座る。
ワクワク顔のジョディさんと、興味深そうに覗き込んでくる騎士さんの前で、抱っこ帯の中から卵を取り出して、そっと自分の膝の上に置いた。
「これが『魔王の卵』ですか」
「あ、騎士さんは見るのは初めてでしたか。どうです、かわいいでしょう!」
「いえ、リィエ様。可愛い、というよりは畏れ多いというか……」
「そう?」
そう言う騎士さんは、ちょっと怖いけれど目が逸らせない、といった表情だ。あれ?
首を傾げる私に、ジョディさんがくすりと微笑む。
「そうね、私達にとっては聖獣も精霊も畏れ敬う存在だから。その子どもである魔王に対して、畏怖や畏敬の念を感じる人は多いでしょうね」
「はあ、そういうものですか」
あれかな、御神体とか仏像とかに感じるような気持ちと同じなのかもしれない。しかもこっちは生きているものね。
私には、ただただかわいいだけの卵ちゃんなのだが。
「さあ、魔王の卵さん。今日の調子を教えてね!」
ジョディさんは早速腕まくりをすると、持っていた鞄から少しごつめの聴診器のようなものを取り出して、卵の殻にピタリと当てた。
上、ななめ、横、下。
ぺたぺたぺたとまんべんなく何カ所も当てていく。
聴診器と同じで音も聞こえて、ほかにも重さとか、殻の厚さや強度の変化、そして内部の魔力の動きを感知して計測しているのだそう。
研究室に行けばもっとちゃんとした測定器があるそうだが、こうして外で測るほうがどうやら卵に負担が少ないようで、最近はもっぱらこの方法だ。
取れたデータはジョディさんの手元にある電子手帳的な成長日誌と、リアルタイムで研究室の解析機にも送られるというから、うーん、ハイテク。
Wi-Fiなのか無線LANなのか魔力なのか分からないが、有線でないことだけは確かだな。
「……うん、順調そうね」
「よかったぁ」
数字を見ながら満足気に頷くジョディさんに、私もほっと胸をなでおろす。
なんとなく卵の調子は感じ取れるとはいえ、やっぱり見てもらうと安心する。
「記録の解読が捗らなくて悪いわね。文書チームを急かしてはいるのだけど……なにか新しく分かったら、すぐにリィエにも教えるから」
「はい、お願いします」
とりあえず今できることを、と、こうしてずっと一緒にいてどこにでも連れまわしている。
けれど多分、やったほうがいいこととか、気をつけることとかがあるはずなんだ。
ちょうどいい気温とか、日光浴の時間とか。
転がしたほうがいいとか、逆に動かさないほうがいいとか、いろいろ。
それに、私は単純に卵が元気であればいいと思ってしまうのだけれど、ジョディさん達はその上の「安全・確実に孵す方法」を切実に欲している。
だってこの小さい卵は、この国――トラウィス国と、ここに住む大勢の人の安全と直結しているから。
もし卵になにかあれば、即対応して善後策を講じねばならない。
大げさでなく人の命がかかっているからほんの僅かの変化も一大事で、いつ孵るかも分からない卵から半日だって目を離すことはできないでいる。
「……こうして毎日ついてくれて、ジョディさん達は大変じゃないですか?」
「私? ちっとも! だって、生きている間に魔王の誕生に立ち会えるなんて奇跡よ! 毎日生きたデータが取れるのも、すーっごく楽しいわ!」
「そ、そうでしたね」
子どもの頃から魔力に魅せられて、社交や結婚よりも研究にのめり込んでしまったというジョディさん。
自己紹介のときに、新しいことを調べるときの高揚感について語ってくれた姿は、推しについて語る同僚を彷彿させる熱量だったよ……ルドルフさんが止めてくれなければ、翌朝まで熱いトークが続いていたに違いない。
「ほら、ここ見て。この部分の微弱魔力の波形なんて芸術的よね……うっとりしちゃう」
「は、はい」
表示されたグラフや数字を、ジョディさんがぐいっと私と騎士さんに差し出してきた。
突然始まった魔力発達講義(魔王の卵・特例バージョン)に、騎士さんも驚く。
「いい、これが今までのデータね。昨日まではここが
「は、はい? ん、」
分かったような分からないような話を聞いていると、膝の上、両手で支えている卵が、ぴくりと目で見ても分かるくらいに身じろぎをし始めた。
「おお」
「っ、あー!! 動いたわ!!!」
さらに目を輝かせたジョディさんが、きゃあきゃあと目を輝かせて慌てて計測に戻る。こら、引くな、騎士さん。確かに、ジョディさん達研究室の皆さんは、お城勤めの中でもちょっと異色の集団らしいけど、いい人達だからっ。
「っきゃーー! また動いた! ちょ、この振動はどの魔力波……これ、これねっ!!!」
「あ、あの、自分は後ろで」
「いいから貴方もよっく見なさい、ほらっ! ああ、美しいわぁ……!」
……部下達をまとめるのに、ルドルフさんのあの冷静さは必須かも。
ジョディさんの盛り上がりっぷりに上司のご苦労を偲びつつ、それからしばらくの間、賑やかにトーカの花を楽しんだのだった。
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