音のない観覧車

帰鳥舎人

第1話

 自分が観覧車になった夢をみた。

 客車を震わせながらゆっくりと回転し、幾通りかに重ねられたネオンを点滅させて、僕は夜のなかに立っていた。

 僕は自分がどんな形のネオンを灯しているのか分からずにいて、それがペンタグラムだったら良いと思っていたんだ。

 客車のひとつに見覚えのある顔を見つけた。

 大学時代と同じように大袈裟な身振り手振りを交えながら剽軽に話をしている。

 なんだ、元気じゃないか。あいつが死んだりなんかするものか。

 誰だ?僕に悪い冗談を聞かせたのは。噂なんていつも当てにならない。

 彼の正面にボブカットの女性が座っている。振り向いてくれないので顔が見えない。僕は会ったことがないけれど、恐らくこの女性が彼の言っていた恋人なのだろう。確か美容師さんだったはず。

 声を聞き取れないのが残念。

 でも二人があまりに楽しそうにしているので、見ているだけの僕も愉快になり、そのために客車を数回ガタガタと揺すってしまった。怖がらせてしまったら済みません。

 それにしても若いなぁ、あの頃のままじゃないか。お前だったらやり直せるよ。何度でも。

 僕のなかにあるはずの小さな世界の音を、僕はどうしても拾うことが出来ない。

 サイレント映画のように大袈裟な表情を浮かべて、場面が重なりながら摩り替って行く。

 あちらにはアルバイトでお世話になった人たちがいて、今、笑いあって降りて行こうとしている。

 時計で言えば8時の辺りを登ってくる、ソフトクリームに唇をつけている女の子は、小学校の頃に隣に住んでいた子。遊びに誘いに来てくれたのに断ってしまってごめんね。本当は行きたかったんだけど恥ずかしくて、素直になれなかったんだよ。

 いつの間にかすべての客車に人が乗っていて、その誰もに僕は懐かしみを感じた。

 ひとりひとりをきちんと思いだせもしないのに、彼らはちゃんと僕の箱のなかにいる。少しだけ痛みを伴うようにして。

 昇降地点の客車がガタンとした。

 誰かが乗り込んでくる。

 小さな男の子を連れた老人で、彼はとても背が高いように見えた。

 男の子にも老人にもどこで会ったのか覚えがない。

 老人は男の子を先に乗せると、見上げるように「やあ」と軽く手を上げてから後に続いた。

 その挨拶は僕に向けたものだったのか、夜空に向けたものだったのか、もうわからなくなっていた。

 どこかでお会いしましたか?

 お名前を教えて頂ければ助かります。

 あなただけが覚えているなんて不公平だと怒らないで下さい。

 僕も覚えていたかったのに違いないのです。

 けれど僕はもう大分歳をとってしまったので忘れっぽくなってしまったんです。

 お名前を思い出せれば、今度は僕があなたの覚えていない昔話を出来るかもしれません。

 そんな僕の声も届くことはない。

 誰かが乗り降りするために相応しい速さを保ちながら、何かに触れるために伸ばす腕も持たず、夜と海の間を僕は回り続ける。

 空に届くこともなく、地に触れることもなく。

 同じ高さと同じ低さの間で時々躓きながら。

 君は笑うかもしれないけれど、

 ある晩、僕は、音のない観覧車だった。

 

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音のない観覧車 帰鳥舎人 @kichosha-pen

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