第20話 異世界人、いなくなる
次の日の月曜日、放課後の部室にて。
「もうすっかり夏だねぇ……」
「そうですね」
部長の何気ない言葉に真也が賛同する。
七月ももう十日ほどが経過していた。部室にはクーラーがついているために暑さは感じないが、外からの蝉の声が耳に入るだけで夏を感じるには十分すぎるだろう。
「ねぇ、今日は花火でもしようか」
「花火……ですか」
「まぁ、いいんじゃない?」
と杏里の言葉。
「花火……?」
エイルはそもそも花火というものを知らないようだった。
「んーでもまだ全然明るいしなぁ……」
すると部長はいきなりその場に立ち上がった。
「よし! じゃあ今日は一度家に帰ったあと夜八時にまた学校に集合だ! 花火はそれぞれが持参してくること!」
「……えっと、それはいいですけど学校で花火なんてやっていいんでしたっけ」
「そりゃあうちは日常部だからね。そういう夏の風物詩を行うことも部活の一つだ」
「はぁ……そうですか」
普通ならあまり通りそうにない言い分だが、この学校はイレイザーが裏でかなりの力を持っているようだし、よっぽどのことじゃない限り日常部の意見は通ってしまうのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「で、花火とは一体何なのだマスター」
帰りがけ、エイルは真也に尋ねてきた。やはり分かっていなかったらしい。
「何だって言ってもなぁ。火が花みたいに燃えるやつだよ」
「……なるほど。よくわからんな」
「ま、百閒は一見にしかずってやつだな。今から買いに行こう。そうだな。ドン・キホーテに行けば売ってるだろ」
◆ ◆ ◆ ◆
そして午後八時になると日常部の四人が学校の校庭へと集まった。一応学校内に集まるということでみんな制服姿となっている。
「バケツに水は汲んだし、じゃあそろそろ始めようか。エイルさん花火を一本取って火をつけてみなよ」
「私が……?」
簡易的なロウソク立ての上に立てられたロウソク。火は風もないのにゆらゆらと揺れている。
「その火に先っちょを当てればいい」
「こうか?」
しばらくエイルが花火の先端を当てていると花火に火が付きシュボオオという音とともにオレンジ色の光が放たれた。
「お、おおお!? 見てくれマスター! すごいぞ!」
「おう、そうだな」
真也も自分の手にもつ花火に着火させる。
エイルの持つ花火から出る炎が次第に緑へと変色を始めた。
「す、すごい……まるで魔法のようではないか」
「はは、何言ってる。魔法の方がよっぽどすごいだろ」
「いやいや、そんなことはないぞ。魔法でこのように火の色に変化を与えようと思えばかなりの熟練度が……」
パン!
「うわッ?」
エイルが何やら魔法について熱弁し、杏里が花火に火を灯した直後、少し離れた場所の上空で光の花が咲いた。どうやら部長が点火したらしかった。
「お、おおおお!? あれも花火なのか?」
エイルは打ち上げ花火に気を取られ踵を返し手に持つ花火を真也へと向ける。
「バ、バカこっちに近づけんな危ないだろ」
「お、おおう、すまんマスター」
しばらく花火を楽しんでいると、線香花火長持ち対決というものが始まった。トーナメント制で、真也は先ほど部長に勝ち、最終戦が始まろうとしている。相手は杏里だ。
「じゃあスタート!」
二人の花火に火が灯り対決が始まると部長がスマホを手に持ち真也と杏里に近づいてきた。
「写真でも撮ってあげるよ。三人とも入って」
「おぉ、笑えばいいのだな。って、ん……?」
その時、エイルが真也のことを見つめてきた。
「な、なんだよ」
「そういえばマスターは普段あまり笑顔というのを見せないな」
「え……そ、そうか?」
「そうだぞマスター。マスターはいつもどこか斜に見てる感じがあるからな」
「な……」
ズバリと言われ真也は虚をつかれたような顔をする。
「部長もあぁ言ってるのだ。こんな時くらい素直に笑ったらどうなのだ」
「どうなのだって言われても……」
「どれ、私が笑わせてやろう」
「え……」
エイルは自身の顔の前にまるでこれから手術でもするように手を上げ、指をうねうねと動かした。
「知っているかマスター、大抵の人間は脇腹を掴まれて動かされると笑い出すのだ」
「え……ちょっ……やめ!」
真也は立ち上がり踵を返して後ろを振り向いた。しかしエイルに一瞬にして回り込まれた。
「は、速い……!?」
「ハハハ、逃がさんぞマスター! この私のスピードとパワーをなめるなよ!」
即座に掴まれる脇腹。そして強力な力で全指が上下左右に運動を始めた。
「あひゃひゃひゃッ!? や、やめてぇッ!!」
◆ ◆ ◆ ◆
花火を終えると四人は校庭の端っこにあるベンチに座りジュースを飲んだ。
「はぁ、それにしても花火は面白かったなマスター」
「そうかよ」
真也はエイルの言葉にむすっとした様子で答える。
「平和で便利で面白いものも美味なものもたくさんある。マスター、この世界のこの日常はとっても素晴らしいものだな!」
そんなことをキラキラとした笑みで言うエイルの頭のてっぺんには、先ほど真也にげんこつをくらった時に出来上がった大きなコブがあった。
目をつむり、真也は残りのジュースを一気に飲み干す。
「何をむすっとしているのだマスター、この写真を見ろ。マスターだって、すごい楽しんでいるではないか」
エイルの持つスマホの画面にはエイルと真也と杏里、三人の笑顔の写真が収められていた。
「ふん……こんなのお前が無理やり笑わせただけじゃないか……」
◆ ◆ ◆ ◆
次の日の火曜日、エイルは部室にみんなが揃ったところで席を立って呼びかけた。
「マスター、それに他の者も聞いてほしいことがある」
「なんだ? 改まって」
「実は私、この世界に来てから弱くなってきているようなのだ」
「え……そうなのか?」
「あぁ、私の強さは魔力によるものだ。だからあれだけの身体能力を出すことが出来る。しかし、その体の中にあった魔力が次第に減ってきてしまっているようだな」
エイルは自身の握りしめた拳を見つめている。
「へぇ……で、それは分かったけど、どうやったらその強さ戻るんだ?」
もしかして戻らなかったりするのだろうか、という不安が真也の中に過った。そのまま弱くなっていき、日常部としての活動が出来なくなれば、傭兵としての給料も出なくなり、この世界で生活なんて出来なくなってしまうのではないか。
「魔力を宿すものを口にすればいい」
「魔力を宿すもの……? 例えばどんなものだ」
「それが、これまで生活してきて分かったことだが、残念ながらこの世界には魔力を宿すものがないようなのだ。私のいた世界ではありとあらゆるものには大なり小なり魔力が宿り、普通に生活しているだけでも魔力というものは自然に体に蓄積されていくものだったのだが」
「……つまりそれってどうしようもないってこと?」
「いや、だから一度私のいた世界に戻ればいいのだ」
杏里の声にエイルは当たり前のようにそう答えた。
「元の世界に戻るって……そんなの簡単に出来ることなのか?」
「あぁ、マスターとの契約はあの蜘蛛の魔物を倒した時点でとっくの昔に終わっているのだ。だから私はいつでも元の世界に戻ることが出来るぞ」
「そ、そうなのか……。でも、それでこちらにはまた来れるのか?」
「あぁ、私の血を少し混ぜた塗料で以前私を召喚した時の魔法陣をどこかに描いていてもらえれば私はいつでもこちらの世界に来れるはずだ」
「案外簡単なもんなんだな異世界との行き来ってのは。でも暫く生活ってどのくらいだよ」
「まぁ、普通に生活していれば二週間くらいか?」
「え……結構かかるんだな」
「とはいえそれは普通に暮らしていた場合だ。そういう魔力を含むものから成分を抽出した魔力回復薬というものがある。それさえ飲めば一発で魔力を回復させることも可能だろう」
「へぇ……」
◆ ◆ ◆ ◆
ということで、真也はそこから適当に理由をつけて魔術書をオカ研から借り、四人で部室棟の地下へとやってきた。ここならいきなりエイルが今のように甲冑姿に剣を腰に下げて現れても誰にも見られる心配はない。
エイルが指先に針を刺し、血を一滴水性ペンキの中に垂らした。
「よしじゃああとはこの塗料で魔法陣を書いてくれれば大丈夫だ。それではさっそく私は元の世界に帰ることにしよう」
するとエイルの姿が淡く光り始めた。
「え、もう行くのか?」
「あぁ、まぁそう寂しがるなマスター。すぐまた会える」
そして細かい光の粒子に分解されるようにしてエイルはその場から消失してしまった。
「……なんだかずいぶん急だったわね」
「えぇ……なんか忘れてましたけど本当にあいつは異世界から召喚されて来てたんですね」
「ちゃんと帰ってくるといいんだけど……」
杏里は普通にエイルのことを心配しているようだった。
「まぁ、大丈夫でしょう」
「あら、楽観的なのね」
「……そんな心配する要素あります?」
「まぁ……この世界にまた来ることは出来るかもしれない。でもちょっと思ったんだけどね」
杏里は眉間にしわをよせて難しそうな顔をしている。
「浦島太郎って童話、あるじゃない?」
「え? えぇ」
「もしかしたらあっちの世界の一日はこっちの世界の百年くらいかもしれない。なーんてね」
「……はは、まさか」
だとしたらエイルがこっちの世界にやってくる時には真也はもう寿命でこの世にはいない。
「ま、そんなことはないと願っておこうか。魔法陣を描くにあたって何か手伝うことでもあるかい?」
「いえ、後は俺一人で何とかなりますよ」
「そうか」
二人がエレベーターで上に戻ると真也は魔術書の通り以前と同じ魔法陣を描き始めた。
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