第16話 スライム、召喚

 次の日の放課後、千沙は部室棟の屋上で自身の書いた魔法陣を前に魔術書を手にしていた。


「地の平面に住まいし魔の者よ。我が召喚によりその身をここに現せ!」


 千沙の口から叫ばれる召喚呪文。


「……」


 しかし魔法陣には何の反応も見受けられない。


 その光景に千沙は「はぁ」と自然にため息が零れてしまった。


 真也がオカ研をやめてしまってから約一週間。これまで千沙は心霊スポットやUMAが出るとの場所に出向いたり、自身の超能力を開発しようとしたり、UFOを呼ぼうとしたり、様々なことに取り組んできた。しかし当然のようにその成果はゼロである。


「結局、真也の言うことは正しかったのかな……特別な事なんて起こりはしないのかな」


 自身の持つ魔術書に目を向ける。


「……そうだよね。この本、誰がオカ研に持ってきたかなんて知らないけど、ここに存在するってことは他にも持ち主がたくさんいて、きっと私以外にも試した人がいるに決まっている。それで召喚出来てたらニュースとかに絶対なってる。出来るわけがないんだこんなこと……」


 何だか千沙はすべてが馬鹿らしくなってきた。


「もういいや帰ろ……」


 そして千沙が踵を返し、歩き出そうとした瞬間だった。


「え……」


 何か後方から光が発せられていることに千沙は気が付いた。とっさに後方を振り向く。


「こ、これって……!」


 魔法陣が光を放っている。それと共に辺りに強風が吹き荒れはじめ、直上の雲行きが何だか怪しくなってきた。千沙は強風に煽られも足を踏ん張りその様子を見守った。


 一体これから何が起きるのか、魔法陣を描いた千沙自身にも分からない。恐ろしい。でもここで逃げ出せば、何か特別なことが起きたとしてもそれを逃してしまうかもしれない。


「うっ……!?」


 そして次の瞬間、魔法陣が爆発的に光った。千沙はとっさに強く目をつむる。


 再び目を見開くと、魔法陣の光は消えており、そこには白い煙が漂っていた。


 まさか召喚が出来てしまったのか? しかし魔法陣の中央には何の姿もないように見える。


「ひッ……!?」


 しかしよく覗き込んでみると、魔法陣の上に赤い液体が広がっていた。


「こ、これは……」


 そして白い煙が晴れてその場に見えたのは三つの玉だった。そのうちの二つは……


「め、目だま!?」


 千沙は魔術書を手元から落とし一歩下がって自身の頭を抱えた。


 魔術書はおそらく本物だったのだろう。それはいいのだが、これはもしかして何か手順を間違ってしまったのではないか。きっと召喚対象の目玉と血液だけがこの世界に送られてきたのだ。もう一つの球は内蔵だろうか? いずれにせよなんと残酷なことをしてしまったのだろう。


 一体これからどうするべきか。千沙は考えを巡らせた。これではまるで殺人現場だ。もしかしたら自分はこれで捕まってしまうのでは? それはマズい。ならば証拠を隠滅しなくては? しかし血は洗い流せばいいかもしれないが目玉はどうする。触れることすら勇気がいる事だ。


「で、でも……や、やらなきゃ……やらなきゃ……!」


 千沙は勇気を振り絞りぱちゃりぱちゃりと血だまりの中を歩いて目玉へと近づいていった。


「ひ、ひいぃぃ」


 目玉の前まで来るとその場にしゃがんで手を伸ばした。


 そしてその目玉に指の先が届こうとした瞬間、目玉がいきなりギョロリ千沙の方を向いた。


「ギャッ!?」


 千沙は驚き、バランスを崩し後方に倒れた。床に尻もちをつき制服が赤い液体で濡れる。


「な、な、な……!?」


 気づけば動いているのは目玉だけではなかった。赤い液体が意志を持つように三つの玉の元に向かい集まっていく。


「は、はわわわ……」


 千沙が後退しながら目を白黒させていると、血液が盛り上がっていき三つの玉を巻き込んで一つのプヨンとした固まりになっていた。千沙の尻が血液によって濡れていたはずだが、それも完全に乾いてしまっている。


「血じゃ……なかった」


 その魔法陣の中央に現れたのは赤色のスライムのようだった。半透明な体の中に三つの玉が浮かんでいる。その二つはやはり目玉のようで千沙の方を見ていた。


「つまりこれって成功したってこと……?」


 千沙は自分で召喚しておきながらビビっていた。このスライム大丈夫なのだろうか。こちらを攻撃なんてしてこないだろうか。


 次の瞬間スライムはポヨンとはねて千沙に向かってきた。


「ヒッ!?」


 両手を前に構え、目をつむる。しかしスライムはただ肩に乗ってきただけのようだった。


「はは……ははは。もしかして私になついてくれてるの?」


 肩に手をやると、今度は千沙の手のひらの上に載ってきた。


 二つの目玉が千沙の目に標準を合わしている。表情などないしクチもないため喋ることは出来ないようだが、スライムは全身で親しみを表現しているように感じられた。


「えっと……あなたの名前はなんていうの?」


 スライムはただプヨプヨと上下に軽く動くだけである。名前はそもそもないのかもしれない。


「なら勝手につけちゃっていいかな……君スライムだよね? だからえっと……ライムで!」


 するとスライムは名前がつけられた事がうれしかったのかボヨヨンと一度飛び跳ねた。


「じゃ、じゃあライム! これから仲良くしてね!」


 千沙はその場に立ち上がると自身が何のためにこんな事をしたのかを思い出した。


「そ、そうだこの子を真也に見せるんだ……! そうすればきっと思い直してくれるはず。日常部なんてやめてオカ研に戻ってきてくれるはず……!」


 そう思い千沙はライムを肩に乗せたまま階段室に入り階段を降りようとした。


「……!」


 するとその時、下の階から誰かが屋上へと上がってくる足音が聞こえてきた。


 どうするべきか? 千沙はとっさに引き返し外に出ると階段室の裏側へと隠れることにした。


 ◆ ◆ ◆ ◆


「ふむ……誰もいないか……」


 真也は部長に連れられて部室棟の屋上へとやって来た。


 二人は制服姿ではあったが、そのポケットの中にはイレースソードがあった。


「本当なんですか? この校舎の上だけに怪しい雲が現れたって」


「まぁ、そういう風に見えただけなんだけどね」


「それがカオスのせいだっていうんですか?」


「僕の勘は割と当たるんだ。ことカオスにおいてはね」


「そうですか……」


「……そういえばあの魔法陣、桐嶋君が描いたんだったよね?」


「えぇまぁ……エイルを呼び出した時のやつです。……って、ん?」


 真也はその時あることに気づき魔法陣の元へと向かった。


「これは……」


「どうかしたの?」


「いや、これ、別の魔法陣に描き変わっているみたいです」


「別の……?」


 部長は魔法陣の元までやってくるとしゃがみ込み指で触れた。なんだか難しい顔をしている。


「まぁ、オカ研の奴らがやったんでしょう。あいつらいつも変な事ばっかやってますから」


「桐嶋君に言えたことじゃないけどね」


「はは……そうですね」


「ま、とりあえずカオスの姿は見当たらないみたいだね。戻るとしようか」


 部長は立ち上がり、階段室へと向かっていく。


「……部長」


 真也はその姿を呼び止めた。


「どうしたんだい?」


「いえ、ちょっと聞きたいことがあって」


「聞きたいこと……?」


「えぇ……部長って、カオス値が100を超える者が現れたら絶対に消去するんですか」


「うん絶対消すよ。たとえそれが桐嶋君の大事なサーバントであろうとね」


 部長は何のためらいもなくいつもの笑顔でそう答える。


「……どうしてですか。あんなに仲良くしてるのに……。あぁいう宇宙から来た巨大蜘蛛とか地底人みたいな化け物ならまぁ分かりますけど……別に共存できるカオスだって中にはいるんじゃないですか。俺には部長は少しやりすぎなようにも思えますけど」


「それは……」


 部長は言葉を濁したまま屋上の端まで歩いた。手すりに肘を乗せる。


「実はカオスに妹を殺されたんだ」


「え……」


 それは衝撃的な告白だった。真也はしばらくの間どう反応していいか分からなかった。


「で、でも、そのカオスをイレースすればその妹さんは生き返るはずなんじゃ……」


「あぁ、だがそのカオスはイレース出来ず逃げられてしまった。だから今も妹はそのままだ」


 部長は遠くに目を向けたまま話を続ける。


「そのカオスはね、始め無害にしか見えなかったんだよ。だから僕はそれを放置してしまった。カオス値は100を超えていたのにね」


 部長は踵を返し真也に目を向けた。


「その結果がこれだ。だから僕はカオスを絶対に消去するのさ。……分かってくれたかい?」


「……えぇ」


 そんな事実を述べられると真也にはそれ以上何も言うことは出来なかった。


「む……」


 次の瞬間、部長がなぜだか階段室の方へと目を向けた。


「ん……? どうかしたんですか?」


「何か音がしたような気がする」


「え……」


「あの階段室の裏側かな……見てみよう。桐嶋君は左から回り込んでくれ。僕は右から行く」


「わ、分かりました……」


 まさかそんなところにカオスが? しかし部長の言うことだ、それなりに信ぴょう性はあるのかもしれない。真也の身に緊張が走る。


 二人はポケットからイレースソードを取り出し階段室へと近づいていった。


 そして真也は言われた通り左から壁に背中を預けながら裏側へと進んでいく。


 次の瞬間バッと思い切って階段室裏側へと飛び出した。イレースソードをそちらへと向ける。


「……」


 するとその先には同じようにイレースソードを構える部長の姿があるだけだった。


「……あはは、ごめんね無駄に緊張させちゃって。今回の僕の勘は外れた見たいだね」


「はぁ……」


 そして真也と部長は階段室入り口に周り階段を下っていった。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 千沙は階段室の上で仰向けになり二人が去っていくのを待っていた。


「い、行った……よね?」


 なぜこんな場所にいるかというと、ライムが形状を変化させこの上へと千沙を引っ張り上げたのだった。


 日常部の部長がこちらに気づいた時千沙は自身の心臓が止まってしまうかと思った。


 その緊張は今でもほとんどそのまま続いている。呼吸が荒くなるのを抑えるので必死だった。


「な、なんなのさっきの二人の会話……日常部の部長……それに真也まで……もしかしてこれが真也が日常部に入った理由……?」


 日常部はカオスと呼ばれる宇宙から来た大蜘蛛とか地底人といった化け物を退治する組織で、そして真也もその一員……? そうだとしたら真也がオカ研をやめたことも千沙には頷けた。


「ライム……」


 ライムは丸い目玉を千沙へと向けていた。ライムは千沙にとって何の害もなさそうだが、世間一般からすれば化け物……日常部のいうカオスというものに該当するのかもしれない。


「だ、駄目だ。真也にあなたを見せようとか思ってたけど、きっと見せたら殺されちゃう!」


 千沙はライムの体を抱きしめた。


「大丈夫だよ……私があなたを守ってあげる。絶対日常部になんて殺させたりしないから!」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 ライムは一度その場に残し、補助バッグに入れてなんとか無事千沙は自宅へとたどり着いた。


 その日からライムと千沙の共同生活が始まった。


 その飼育に対して千沙はかなり不安だったが、それは思った以上に簡単なものだった。


 ライムの食事は体に取り込み消化する。その様子は体が半透明なので観察することができ、見ていて結構おもしろいものだった。そしてその食べ物だが、本当に何でもいいようだった。


 最初自宅の残り物なんかを与えていたのだが、ライムをリュックにいれて散歩している時に気づいた。ライムはどうやら雑草を好むらしい。ライムは雑草と水だけで生きていけるのだ。


 そして千沙はオカ研に顔を出さなくなり、学校が終わるとすぐに帰宅しライムの相手をするという習慣がついていった。


「うふふふライムったら。かわいいなぁ」


 千沙は自室のベッドの上でライムを膝の上に乗せ頬のような部分を指先でツンツンと突いた。


 それまでは真也がいなくなってしまったことの空虚感ばかりを日々の生活の中で感じていた千沙だったがライムの登場によりその穴が少し埋められていたような気がした。


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