過ち、二つ。

 



 隣室に入る刑事さんを見送り、わたしも取調室の扉を叩く。


 返事はないが扉を開ければ室内にはテーブルと椅子が二脚、そのうち一脚に小柄な男性が座り、隅にある一人掛けの机と椅子には調書を取るために警官が一人腰掛けていた。警官は話が通っているのかわたしを見て目礼を寄越したので、わたしも返す。


 小柄な男に視線を向ければわたしを見て目を瞬かせた。


 小柄な男は痩せ気味で全体的にヒョロリとした体型だ。この国に多い茶髪に目尻の垂れた茶の瞳をして、線が細く、三十代ほどだろうが頼りない印象を抱かせる。顔立ちはこの国では然して不細工でも美形でもないごく普通。目が合うと頻りに視線が泳いだ。なるほど、かなり気弱そうだ。


 テーブルを挟んだ向かいの椅子に腰掛ける。




「初めまして、瀬那といいます。失礼ですが、お名前を伺っても構いませんか?」




 警戒され難いことで定評のある笑顔を浮かべてみせる。


 愛想笑いに見せないコツは目元まで意識して動かすことだ。


 口元が微笑んでも目元が全く笑っていなければ装ってるだけだと相手に気付かれてしまう。


 目元をちょっと細めるだけでも随分と雰囲気が和らぐのだ。


 戸惑いながらも小柄な男は頷いた。




「あ、ああ、うん、僕はテッド=ウーリー……。あの、君は?」


「わたしは大柄な刑事さんの知り合いでして、自分達だとウーリーさんが緊張してしまって話せないだろうから、良ければ話を聞いてもらえないかと頼まれた者です。そうは言いましても、わたしも一般人ですので何をすればいいのやらといった感じなのですが」




 一般人と言いながら苦笑して肩を竦めれば、ウーリーさんの強張っていた雰囲気が少し緩む。


 ついでにテーブルの上に置かれたティーポットから空いたティーカップに中身を注ぎ、一口飲んで「冷めちゃってますねえ」とぼやけば小さく吹き出された。


 うん、大分緊張が解れたようだ。表情に余裕がある。


 冷めた紅茶をとりあえず半分ほど飲んでテーブルへ戻す。




「さて、大雑把なお話は伺っておりますが、一応最初から話していただけますか? もしかしたら何か新しいことを思い出せるかもしれませんし、それであなたの罪が軽くなる可能性もあります」


「……分かった」




 また顔を強張らせかけたウーリーさんの前に包みを置く。


 それは丁度テーブルの真ん中で、包みを広げて中身を見せた。




「長くなりそうですから、クッキーでも摘まみながらにしましょう」




 驚いて振り向く警官に「これは差し入れですよ。お一ついかがですか?」と笑いかければ困惑した顔で「いえ、仕事中ですので」と断られてしまった。


「残念、とても美味しいのに」などとわたしがクッキーを摘まんで食べれば、ウーリーさんは今度こそ肩の力が抜けたようだった。この頓珍漢な態度に怒りを覚える人もいるが、思った通りウーリーさんは安心感を覚えたみたいだ。


 勧めたクッキーを一枚食べてゆっくりと話し始めた。




「僕がティモシーと出会ったのは五年前でした――……」




 乗合馬車――辻馬車よりも大きな馬車で大勢の人を運ぶ、所謂いわゆるバスのようなものだ――の御者をしていたウーリーは、当時、客として頻繁に集合馬車の乗り合い所に訪れるティモシーの存在を知っていた。


 何でもティモシーは美丈夫で、彼が乗ると他の客は必ず一度は視線を投げかけてしまう。


 そんなだからウーリーもティモシーのことはすぐに覚えたのだ。


 何度も自分が御する馬車に乗りに来るティモシーとは、当初は挨拶をする程度の仲だった。


 だがティモシーは人と接するのが上手く、気弱で臆病なウーリーの話も嫌がることなく聞いてくれた上に他人と話すことが苦手だと言えば「じゃあ友人になろう。私と話すことで練習にもなる」と親身になってくれたのだ。これで惹かれない訳がない。


 半年ほど友人のような関係を続けた後、ティモシーから交際を申し込まれた。


 ウーリーは驚いたものの大いに喜んで二人は恋人同士となる。


 ティモシーは穏やかで紳士的で魅力ある男性だった。




「最初は野良犬を捕殺するくらいだったんだよ。それも、彼の家の近所で野犬が人を襲って困ってるって話を聞いて『それなら自分が何とかしよう』って、多分厚意からだと思う」




 庭先に罠を仕掛けて野犬を捕まえた。


 可哀想だが仕方がないと噛み付かれないように口や足を縛って殺処分した。




「その時に驚いた顔をしてたんだ。……いや、衝撃を受けたって言うのかな? まるで生まれて初めて見るような目で死んだ野犬を見てたよ。僕はてっきり生き物を殺したのは初めてなのかなって。それくらい当時の彼は良い人だっんだ」

 

「でも違ったんですね?」


「うん。それからティモシーは野犬を捕殺するのに夢中になった。離れた地区までわざわざ行ってまで捕まえて来ることもあったよ。最初は苦しまないように処分していたのに、何時の間にかなかなか殺さないやり方に変わっていた。僕も御者の仕事が忙しくて週に一度しか会えなかったから気付くのが遅れたんだ」




 いや、ウーリーさんの話を聞く限り、ホフマンには元々素質があったのだ。


 それに気付かぬまま成長して大人になった後、偶然野犬を殺すという経験をして、その瞬間に喜びか快感といった何かしらの多幸感を得たのだろう。そして自分の性質を理解した。


 平凡な人生を送り、これといった不幸もなく生きてきた人が何かの拍子に突然暴力に目覚めることがある。理由は優越感を欲しかったり憂さ晴らしだったりと様々だが、殆どの者はホフマンのように一度感じた快感をまた得たいという思いから繰り返すのだ。


 だがホフマンは野犬だけでは満足出来なかった。


 非合法な娼館や娼婦の下へ行き、行為の最中に暴力を振るうようになる。


 それでもウーリーのことは大事らしく手を上げられることはなかった。


 次第にホフマンの入店を断る店が増えて、個人で春を売る娼婦達の間でも噂になり、娼婦相手に暴力が振るえなくなると次に男娼へ目を付けた。


 それも店ではなく、花街の至る所で立ちんぼをしている少年や青年達だ。


 彼らを言葉巧みに誘い出し、時には金品で釣り、ホフマンの家へ連れて行く。


 そこで食事などをさせてくつろいだところを行為の一環と称して拘束し、動けない状態にしてからホフマンが彼らを甚振いたぶる。最初は叩く程度だったものが一人、二人と回数を重ねていくうちに野犬の時と同様に過激になっていった。




「最後の方は殴る蹴るなんて遊びみたいなもので、彼らがやめてくれと懇願すればするほどティモシーは興奮した様子で拷問を酷くしていったんだ。僕も最初は愛するティモシーのためならと思っていたけれど、途中からは何時それが自分に向くかと思うと怖かったし、手助けをやめたいとも言い出せなかった」


「では何故、今回自首されたのですか?」


「それは……ティモシーが僕を見るんだ。誰を誘い出すか選ぶ時と同じ、仄暗い目で、時々僕を見るんだ。……あの目が怖い。彼らにしたことをされたらと考えただけで夜も眠れなくなる」


「次は自分だと感じたんですね」




 テーブルに両肘をつき、頭を隠すように両手で抱えてウーリーさんが項垂れる。


 彼は殺人鬼を愛した人間の典型的な例だった。


 いや、罪の意識に苛まれるだけまだマトモだろうな。


 中には殺人鬼の異常さに惚れ込んで、どのような命令であっても聞き入れてしまう者もいる。そういう人にとって殺人鬼は刺激的な恋人であり、愛するスターであり、そして神のように崇めることもあると聞く。


 その行いに心酔し、時には共感してしまう。まるで狂信者だ。




「……散々手伝った僕が言える義理じゃあないのは分かってる……。罪は償わなくちゃいけない。……それにティモシーに殺されるより、処刑された方がきっと苦しまない」




 殺されるのが怖いと言いながらも処刑される道を選ぶ。


 それだけティモシー=ホフマンという男の拷問が恐ろしいということだ。




「彼らの服や物を残しておいたのも、こんな日が来た時のために証拠として見つけてもらうためだった。もしも二人揃って釈放されれば僕はティモシーに殺される。……もう殺してくれと泣き叫ぶほどつらい思いをして死ぬんだ」




 被害者達のその姿を思い出したのかウーリーさんの瞳がかげる。


 それでも、この人は処刑による死を覚悟して自首したのだろう。


 殺人の手助けは許されないことだ。


 ウーリーさんは被害者の数を正確には覚えていなかったが、一つだけ助言をくれた。




「ティモシーは彼らを拷問する時に記録をつけていたよ。植物紙を束ねただけの簡素な本だったけど、それならどれだけ殺したか、どんなことをしたかも全部載ってると思う。ただ、それをどこに隠してるかは僕にも分からないんだ」




「役に立てなくてごめんね」と謝られたがわたしは首を振った。


 ウーリーさんが自首したことでこの事件は明るみに出た。


 そして被害者について書かれた証拠があると分かっただけでも充分助かる。


 もしもそういうものがなければウーリーさんとホフマンの家の近所や、二人がよく行っただろう花街を人海戦術で聞き込みするしかない。それはかなり時間もかかるし、数年も前のことなど殆どの人間は忘れてしまっている。


 特に花街は違法に春を売る娼婦や立ちんぼも多い。彼らが突然姿を消しても別の花街か、どこか警察の目を逃れられる地区にでも移ったんだろう程度の認識か、もしかしたら彼らがいたことすら記憶にないかもしれない。


 最後に「君と話せて良かった」と微笑まれ、わたしも笑み返した。




「いえ、こちらこそ貴重なお話をありがとうございました」


「そっか。でもお互い、もう会うことがないといいね」




 それはホフマンの事情聴取が難航している証みたいなものだからか。


 わたしは笑みを苦笑に変えて頷いた。




「……そうですね」



 

 こういう人は何度も会うと絆されてしまいそうになる。


 顔を合わせる回数が少ない方が情も移り難い。


 向こうもそのことを理解している風だった。




「それでは。……さようなら」


「さようなら」




 席を立ち、扉に手をかけて開ける。


 廊下へ出たわたしの背後で扉が閉まる直前「来てくれてありがとう」と声がした。


 振り返る間もなく扉が閉まり、代わりに隣室から刑事さんが出て来た。


 扉に背を向けたままのわたしを見て足を止めた。




「坊主、大丈夫か?」




 こちらの様子を窺う声音に顔を上げる。




「ええ、問題ありません」


「そうか。それなら、まあ、いいんだけどよ……」




 ウーリーさんの言う通りだ。もうわたし達は会わない方がいい。


 あの短い時間に交わした情なぞ捨ててしまえ。


 そうしなければ壊れるのはわたしの方だ。


 慣れた愛想笑いを浮かべ、居心地が悪そうに頭を掻く刑事さんに問う。




「もう一人にはすぐに会えますか?」




 話しかけられた瞬間は微妙な顔をしていたが刑事さんは頷いた。




「ああ、まだあっちの部屋でやってる」


「そちらは刑事さんも同席なさってください。ウーリーさんと違い、下に見られてしまうと話が聞けなくなりそうなので威圧係が欲しいのです」


「威圧係って何だそりゃあ?」


「舐めた態度取ってきたら多少の脅しも止むを得ないということですよ」




 あえてニヤリと口角を引き上げてやれば、刑事さんの頬が少し引きった。


「えげつねえな」という言葉に聞こえない振りをしてホフマンのいる取調室へ向かう。


 こっちは気合を入れて話をしなければ情報は引き出せないだろう。


 聞いた限りでは元の紳士的な名残があるとも思えない。


 自信家か、身勝手か、その両方か。


 扱いづらい人種なのは確かだ。




「取り調べにおいて禁止されていることはございますか?」




 扉を叩きながら聞く。




「いや、ねえな。よっぽど暴力的な取り調べでもない限りは大丈夫だと思うが……何する気だ?」


「ただの確認ですよ」




 そう告げて扉を開ける。


 室内には事情聴取をしていた警官と調書を取っている警官、そしてティモシー=ホフマンらしき男性が一人。内装はウーリーさんのいた部屋と同じだった。


 刑事さんが事情聴取をしていた警官に手で交代するように示し、空いた席にわたしが座る。


 目の前の男性が訝しげに視線を向けてくる。


 金混じりのダークブロンドの髪をやや後ろへ撫で付け、淡い緑の瞳、スッと通った鼻筋に彫りの深い顔はどこか甘さを含んでいた。椅子に腰掛けた体は長身でスラリと手足が長い。身嗜みも整えられており、清潔感がある。


 何も知らなければ三十代後半ほどの物腰穏やかな紳士に見えただろう。


 さあて、どうやって情報を引き出すかな。


 ニッコリと普段より二割り増しの笑みを浮かべる。




「初めまして、ティモシー=ホフマンさん。わたしは瀬那と申します。あなたのお噂は予々かねがねお聞きしておりますよ」




 まずは反応を見よう。


 予々、と強調して口にすれば向こうも笑う。


 しかし状況に不釣り合いなほど柔らかなものだった。




坊やきみみたいな子供はこんな所に来てはいけないよ」




 子供を諭すように、けれどどこか小馬鹿にした風に言う。


 互いに安い挑発をかけ合ったものだ。




「お気遣い痛み入ります。ですがわたしはこう見えて成人しておりますので御心配には及びません。それに今日はあなたの件で呼ばれて来たのです。例え思うところがありましても仕事は仕事、話をせずに帰る訳には参りませんよ」




 呼ばれた原因であるお前に言われる筋合いはない。余計なお世話だ。


 まあ、意訳するとこんな感じだ。


 ホフマンの口角が僅かにピクリと動く。


 それを隠すように口元が手で覆われる。




「そうか、外見が若く見えたものでね」


「よく言われますのでお気になさらず。若く見られるのは良いことですから」




 そうそう、考えて喋った方がいいぞ。


 わたしはやられたら倍返しは絶対だからな。


 毒を吐いたら少なくとも倍で返って来る覚悟をしておきなよ。


 お互いに微笑み合ったまま一瞬沈黙が落ちた。


 どこかで試合開始のゴングが鳴った気がした。



 

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